氣賀澤保規のレビュー一覧
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ネタバレ日本史でも馴染み深い隋唐ですが、実際のところはどんな政治状況だったのかということはこれまで私もほとんど知りませんでした。隋や唐が巨大な勢力を誇った世界帝国だったという漠然としたイメージ以外はあまりありませんでした。それこそ豪華絢爛な中国文化というイメージです。
ですがこの本ではこれら隋唐がどのような経緯で建国され、衰退していったかを詳しく見ていくことになります。そして何より、中国全土を統治するというとてつもない難事業をどのように行おうとしていたのかというのは非常に興味深かったです。
現代のような通信手段がない中でどうやって広大な国土を治めるのか。そのことについて改めて考えさせられるのがこの本です。 -
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コテンラジオのテーマをトレースしようの一環。コテンは漢王朝やら唐王朝の成り立ちまで遡ってスタートしてたけど、隋以降の話は大分この本から持ってきてるんじゃないかな。
中国王朝唯一の女帝。則天武后の生涯を時代背景や周辺の関係者たちの物語と絡み合わせ遍歴していきました。豪快で残忍な一面もあり、狡猾で用意周到な立ち回りを見せたり、色んな個性が一堂に会してるって感じです。後宮の女同士のドロドロな駆け引きとか、高宗のなんとも言えないヒモ感とか人間味が溢れ出ておりまして、単純に魅力深かったです。
登場人物多くて紛らわしい名前がバシバシ出てくる中国あるあるですが、粒ぞろいなので各所見どころ満載。コテンラジオで一回シリーズを聴き終わって予備知識ある状態で、今度は視覚的に同様の内容を通読する価値はあります。 -
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隋唐時代はあまり面白くないイメージがあったのですが、とても面白かった。広大な帝国を統べる強大な皇帝がいて、絶大な権限を奮っていたのだろうと思っていたのは違っていました。
春秋戦国時代を終わらせて、南朝の陳を滅亡させ中国全土を統一した初代皇帝(文帝)は、14歳年下の皇后に頭が上がらず、後宮には数千人の美人が揃っているのに手をつけることができなかった。一度お手つきした奴婢は皇后によって虐殺された。
唐になっても、歴代皇帝は皇后に手を焼くことになる。則天武后なんて太宗の後宮にいたのだから、太宗の没後は大人しくしてるべきなのに、年下の息子高宗をたぶらかせ、その皇后を押し退け、自分が皇后になり気弱な高宗に代わって全てを取り仕切る。高宗の没後は皇帝に即位してしまうのだから凄い。
さらに中宗の韋皇后も旦那そっちのけで、娘と共謀して旦那や息子を殺して権力を奪おうとするのだから凄まじい。この「武韋の禍」を解決し党の最盛期を築いた玄宗だって、晩年いい歳こいて楊貴妃に入れ上げて安禄山に長安を奪われ、まるでアフガニスタンの大統領のように都を逃げ出す。
男性はどんだけ女性に弱いか
女性はどこまで暴走するか
どんなに成功した人でも最後まで立派で貫けない
様々な教訓が隋唐時代にはありました。 -
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まさに突出した能力と個性である女性則天武后がえげつない手段を用いながらもどうやって皇帝にまで上り詰めたかがわかる。則天武后が存在しえたそれ以前でもそれ以降でもない唐という時代の背景をベースに、関隴系功臣集団と山東系をはじめとする古来からの名族の支配する朝廷に対抗するため、科挙に及第した新興層を取り立てて政治の実権を握っていくという、皇帝を巡る愛憎の激情とは裏腹の冷静な計算を緻密に行っていた凄味がわかった。また、小説のような表現が用いられていてとても興味深く読みやすく、歴史を解説するうえでも詩情を排するのではなく人間の情をある程度忖度していくことの有効性が感じられた。
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隋の煬帝の時代から則天武后の娘が亡くなるまで、時々物語調の描写で綴られていて面白かった
中国の時代劇で、皇后が有能だと、皇后は引っ込んでろ的な意味で、武韋の禍の再来!などと言い出す朝臣が出て来る
それだけ歴史的にも強烈な人だったと言えるのだろうけど、現代に生きる身としては、能力があるのなら女性が皇位についても良いではないかと考える武后の方に親近感が湧く
同時に、敵認定すると実子でも始末する非情さには引く(…が、これはやるかやられるかの時代だったのだろうから、現代の感覚では理解できないのも致し方なしと思う)
以下、個人的な覚え書
(「」内は中国古装劇のタイトル)
「武則天」
范冰冰主演、めっちゃド派手な衣装とメイクが度肝を抜く
武后が主役なので、武后の悪辣度はかなり低め
「風起洛陽」
武后登極済みの神都が舞台
能面のような表情で淡々と話す武則天、迫力がすごい -
Posted by ブクログ
ネタバレ則天武后の一生を、その前段である隋末より描く。描写は極めて小説的でありそういった意味で純学術的ではないけれどおかげで最後まで楽しく読むことができた。章立てが細かく、区切りがつけやすいのもそれに寄与している。
唐初の時代背景として、西魏由来の旧六鎮を元とした主流派・関隴集団と、それ以外の非関隴集団との政治力学が種々に出てくる。則天武后は自らの幕下として北門学士といった寒門出身の子士を多く用いたためか。
唐代は律令による三省六部の官制が敷かれたが。中書省は皇帝に近侍する秘書的役割から発展したもので、皇帝の意を体現する。門下省は詔勅の審議を受けるが、これは貴族の意を体現するものであると同時にそういった貴族勢力を政権に組み込むことで政権の安定を図った。
太宗の皇太子争いでは、長孫皇后の子である皇太子承乾と魏王泰と晋王治がいた。皇太子が素行不良により廃嫡され、対抗馬であった魏王泰も相応しくないとされ、晋王治にお鉢が回った。これは魏王泰を推すのが南朝系の者であり、政治の主導権を奪われることを恐れた関隴集団筆頭の長孫無忌が、気が弱い晋王治を擁立することで影響力の保持を図ったためだった。
則天武后は自らが皇帝の位に付く前に、任官に科挙を重視し名門貴族同士の通婚を規制し新たな家格体系を作ることで門閥系貴族の力を抑え新興非門閥貴族系勢力の台頭を促した。また、酷吏により反対勢力を叩き潰し、瑞兆を演出し、仏典から理論を構築するなど入念な下準備をしていた。
唐代の皇室は、北朝系の遊牧民の慣習を色濃く残しているためか、嫡子相続が確立はせず、皇后の地位と権威も不安定で常時置かれていたわけではなかった。そういった時代だからこそ、則天武后が皇帝の位につく事もできたのだろう。しかし、流石に男女同格の気風までは取り除けず、韋皇后は単純に則天武后の後を倣うが失敗している。
唐という王朝は、整った統治機構をもって成立しながら、武后という女性皇帝の登台をあっさりと許した。それを許した大きな理由は、足場としての唐朝の特質、すなわち個人的な人間関係、恩寵的関係を容認する体制上のゆるさ、その上に北族的影響と魏晋以来の時代の空気のなかで形成された女性の強さが重なる、という構図から導きだされる。筆者はここに、漢代までの古代的世界とも宋代以降の君主独裁制が確立する時代とも異なる、中国中世的世界の表象をみてとるのであるが、どうであろうか。