大屋雄裕のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
XなどのSNS上では毎日議論が絶えませんが、短文なので相手の前提を汲み切れずに、平行線の論争になってしまっていることも多いように見えます。
その中でもよく取り違えられるのが道徳と法でしょう。
例えば「人権」
「人権は、普遍性や生来性のゆえに、法体系を超えてそれ以前に存在するとされているから…法的権利ではない。…法的でない道徳的権利」(pp.141-142)
「人権が法的権利でないならば、日本国憲法上の権利はなぜ基本的人権と呼ばれるのだろうか。…それは、法の確立に先立って存在する人権が、日本国憲法を含む各国の憲法…に実定化されてきたと考えられてきたからである。…同一の人権が、各国の憲法上の権利に実定化されると、その範囲や性格が多かれ少なかれ相互に異なったものとなる。」(p.142)
インターネット上では、ふわっとした概念であることも相俟って、道徳的権利の話をしているのか、法的権利の話をしているのか分からなくなりがちな気がします。
人権だけでなく、功利主義、正義、自由、平等といった<法とは何であるべきか?>を問うのが正義論(法価値論)です。
本書では、第Ⅰ部Chapter1~6が正義論に当たります。
これに対して<法とは何か?>を問うのが法概念論です。
本書では、第Ⅱ部Chapter7~12がこれに当たります。
法概念論は、哲学史です。
自然権思想を生み出した古典的自然法論は、近代に至って法実証主義に批判されます。
「法と道徳との間、<ある法>と<あるべき法>との間には必然的連接がない。」(p.194)
つまり、神の法とか自然法とかいったものから実定法を導くのではなく、実定法とは何なのかを問います。
例えば、オースティンによれば、法は主権者の一般的命令です。
しかし、これは市民への命令・禁止には当てはまっても、契約法や訴訟法を説明できません。
そこに現れたH.L.A.ハートが、法の概念分析を…といった具合です。
私はときどき分析哲学の入門本を読みたくなるのですが、そういう意味では法実証主義は好きですね。
本書は大学学部のテキストらしく、各学説紹介とそれへの批判のセットが、積み重なって構成されています。
やや記述に物足りない箇所もありますが、多分、一通りの学説紹介をするためコンパクトにまとめた結果だろうと思います。
むしろ、別のChapterに出てくる概念については参照すべき章節番号を逐一掲出しているあたり、3人の著者が分担して書いているとは思えない丁寧な編集になっていると感心しました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ【全体的にわかりやすいです。CP最高】
多様な学説を多く提示して多角的に考えられるように配慮されています。気になった論者については次の本、というようにスムーズに進めそうです。
「法となにか」と「法とは何であるべきか」という区別でまとめられているので、論点が理解し易い。
前半は、論点整理が秀逸で、これ以上ないくらいの要約ではないでしょうか。欲を言えば、正義の章をもう少し多角的にしてほしかったですね。
後半は、自然法論と実証主義の対比が秀逸です。そこからその後の展開を関連付けるので、全体像が把握し易いのは助かります。ただ、遵法義務と批判理論については紙面が足りていない印象を受けたので、別の本に進みたいと思います。
全体的には大満足の一冊。長い付き合いになりそうです。 -
Posted by ブクログ
自立した自由な個人を至上とした19世紀の夢は,20世紀に崩壊。いま個人の自由は幸福追及権に屈服し監視社会をもたらしつつある。その不可避性を見通し良く示してくれる好著。
事後救済という本質的な限界を抱えた法の支配は,ますます低コストになる監視技術・物理的抑止策による事前規制へと道を譲りつつある。それは必然的に自由を束縛し,個人の自律性を侵すものであるのだが,多くの人が安全安心を求める以上,もはやいかんともしがたい流れとなっている。この行きつく先はディストピアなのだろうか。別段そうでもないと感じるのは,著者の筆致に影響を受けすぎたためだろうか。 -
Posted by ブクログ
論点の展開がよく考えられている良書だと思います。タイトルで自由の反対に幸福を置くのは違うのでは?と感じていたのですが、なるほどと思わせる展開でした。
自由は基本的な権利で不可侵であることと、社会性生物として功利主義は正しいがその最大化には「国」が「国民」をつぶさに知らなくてはいけない、というどちらも正しいがゆえに両立はしないことを、人が社会の中で重きを置いてきた権利の変遷で説明されているので、極論ではなく自然な議論なのだと納得することができました。
なので、この辺りの社会の在り方は、民主主義も含めて、答えというものはなく、時代の要請によって移り行くものなのだと考えることができました。(つまり、民主主義も変わる時期に来ている) -
Posted by ブクログ
一人ひとりが自由であることが幸福と結びつくというフィクションを信じられていた19世紀。でも、実態としては、このフィクションを実現できる人は限られていて、その他大勢は、このフィクションから排除されていた。さらに、その多くの人は、自由であることを重荷とさえ感じていた(自由からの逃走)。
個人の自由が政治に反映されるデモクラシー。そのデモクラシーの絶頂を迎えた20世紀。ワイマール憲法からヒトラーが、大正デモクラシーから軍部主導政治が生まれ、個人の自由は制限される全体主義の時代になる。自由主義側が戦争に勝ったかに見えたが、自由主義諸国の政治も、個人の自由を制限する政策を進める。
その自由の制限、監視が、政府だけではなく、様々なプレイヤーを通して行われるようになった21世紀。人々は、自由の制限に反発するよりも、監視から得られるベネフィットを喜んでいるかのようになった。
そんな時代の流れの中から、次の時代を考えるとすると、著者は、次の3つの方向があるのではないかと指摘する。
1つは、新中世の時代。
2つ目は、○○○○。アーキテクチャーによる統治。
3つ目は、ハイパーパノプティコン。皆が少しずつ監視される社会。
感想途中ですが、久しぶりにワクワクしながら読んだ本。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私たち個人はより幸福になるために生きてるけど、私たちの文明は幸福というよりかは自由を拡大しようとしてない?ミクロとマクロでずれてない?なんて疑問が頭の中を漂っていたのでドンピシャな題の本書を読んでみました。
一方、頭の中の別の所で「それは自己責任だから 〜」なんてことを安易に言ってるのを見たり聞いたりするたびに感じていた苛立ちがありまして、その苛立ちの理由もなんとなくわかりました。ですが著者は法哲学の専門家で、抽象と具象を行ったり来たりしてなかなかの難しさです。
自己責任論の前段階には「自由=幸福」という巧妙で複雑なリベラリズムの理論があるらしく、このリベラリズムの理論は、19世紀に生まれたもので、それ以前にはなかったらしいです。つまりは国民の総意で国家を形成するという、自民の自己統治原理を有効にするために作られたイデオロギーです。自由意志による自己決定の集合が国家であるという今の形です。
ですが、時代が進むにつれて、人間にはちゃんと自己決定できるような能力なんてないんじゃないという状況が出てきました。そんな現実に対応する形で作られたのが消費者保護法とか労働基準法という弱者保護の制度です。
こんな風に、機能不全になっている「自由=幸福」というイデオロギーの上でしか了解されえない自己決定論に正当性なんてあるのでしょうか。これが私の感じていた苛立ちの正体でした。
「自由=幸福」とされてきた時代では、「不自由=幸福」というパターンは顧みられることはありませんでした。ですが、井の中の蛙のほうが幸せなんじゃないかという疑問が、会社員とかブータンの人とかを見てるとふと頭をよぎります。そして実際「不自由=幸福」の社会に進みつつあります。例えば、有害サイトを表示させないgoogleとかゲーテッドコミュニティとか。
『「法」が、制裁の予告によって我々の自由を奪っていくのに対して、「アーキテクチャ」のもとでは行為の自由が最初から与えられていないのである。』
初めから与えられていないのだから、制約されていることさえ気づかずに幸福な生活を送れるんでしょうけど、どうなんでしょうか、自由を求めて抗ってきた人々は骨折り損のくたびれもうけだったのでしょうか、やはり違和感があります。 -
Posted by ブクログ
大学で学ぶ「法哲学」の教科書の一つ。
法哲学は、法の根幹を問う学問であるがゆえに、面白い部分もたくさんあるのですが、似て非なる概念や高度な概念、目新しい概念がたくさんあるため、一読ですべてを理解するのは、なかなか難しいです。
ときには、屁理屈としか思えないような主張や議論についていく必要があり、ちょっとしんどい(面倒くさい)部分もあります。
ただ、法哲学を学ぶことは、法や政治、社会に対する新たな視点を獲得する上で、とても役立つと思いました。
また、個人的には、生命科学に関する知識をある程度持っていると、法哲学の学びは、より深い(味わい深い)ものになると感じました。