人間を生む、ということは、この世の中に不幸を生み出す行為である。
人類はこれ以上、生殖によって人を生み出すべきではない。
というのが、「反出生主義」
その「反出生主義」を中心に、魔王によって人類は滅ぶべきか否かを、10人の登場人物が議論する物語。
ちゃんとオチも用意されているので、面白いし読みや
...続きを読むすい。
個人的には、反出生主義は最近気になっていたので、こんな感じで面白く読める本があってよかった。
反出生主義は「なんでこんな世界に生まれてきてしまったんだろう」と思ったときに、「我々は生まれてこない方がよかった」という答えを与えてくれるので魅力的に映る。
しかし、そもそも反出生主義は何なのか、なんでこんなに魅力的に映ってしまうのか、という点について、より深い考察をすることができた。
●反出生主義そのものに対する疑問
・本当に不幸は幸より勝るのか?
←ざっくりいうと、不幸は幸より勝り、そうした主体を生み出す出生・出産という行為は否定されるべきだという主張がある。
不幸の例えで、ハエの入ったスープ・白いキャンパスのようなたとえ話が出てくるが、本当に不幸は幸に勝るのか?という疑問が生まれる。
そのあたりの根拠が、いまいちあげきれていないような気がする。
何を幸・不幸と考えるかはそれこそ個人の考え方によるので、一概にそれを当てはめてしまうことにある種乱暴さを感じてしまった。
(その反論のために、幸・不幸が存在しないことは「悪くない」ことの例えが出てきているのだが、やはり、生まれてこないという状態=幸・不幸を判断する主体が存在していない状態で幸・不幸を判断することに乱暴さを感じてしまった。
その乱暴さは、最終的に幸・不幸を判断するのはその主体であり、その主体が存在しない状態で幸・不幸を判断するのはあまりにも乱暴だから。)
・我々が人を傷つけてはいけない、という義務は本当に守らなければならないのか
←これは、本書の中でも述べられていたが、我々は「人を傷つけてはいけない」という義務を課されているが、これは本当に守らなければならないのかというのは疑問に思う。
「人を傷つけてはならない」のだから、不幸を感じる主体を生み出すことは「悪」である。
個人主義の世の中で、確かに「人を傷つけてはいけない」ということは、万人に通用することだと思う。
しかし、それを絶対に守らなければいけないのはなぜなのか。
本書の中で述べられているとおり、本当は人を殴ったって、物を盗んだっていい。
普通人は道徳のために生きようとしない。道徳は破ってもいい。あくまで指針であって、それを忠実に守らなければいけないわけではない。
生きたいように生きるのが、人だから。生みたいから生むのが人だから。
●ではなぜ、反出生主義は、こんなに魅力的なのか?
・「なぜ我々は生きなければならないのか」の疑問に、答えてくれるような見た目をしているから。
生まれてくれば、「なんで我々は生きなければならないのか」「この世の中は辛い、死にたい」そうした疑問にぶち当たることは絶対にある。
そもそも、そうした疑問は人類が存在した当初、はるか昔からあっただろう。
そうした問いに対し、「我々は生まれてこない方がよかった」という論理は、とても魅力的に映ってしまう。
「死んだ方がいい」という答えよりも、あるはずのない「生まれてこない」という過程のもとで、自分の力及ばない(何が起こるか分からない)未来ではなく自分の力及ぶ(何が起こったかはっきりしている)過去に対して空想することができるものだから。
だからこそ、メンヘラカルチャーの餌食になってしまうのだろう。
本当に魅力的な思想なのだが、それを考えるとはまり込むのも危険な気がする。
・ある意味「道徳的」な論拠に基づき、人類を否定することに痛快さを覚えるから
本書のグレーが言っているように、我々が普段守っている「道徳」の思想が、最終的に人類を滅ぼす、人間の出生を否定する、ということに対して痛快感を覚えてしまうのだろう。