中野美代子のレビュー一覧
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おそらく實吉達郎『西遊記動物園』で知ったのだと思う。悟空が最後に会敵するのは月のウサギ。キネを武器に全裸で悟空と渡り合う。あぁ、絵心をくすぐられる!
評判のよい平岩弓枝『西遊記』をひもとく。着衣のようである。實吉先生は間違えているのか。やむなし、中野美代子完訳版(十)に手を出す。
ありました。「妖精はといいますと(中略)着ているものをパッと脱ぎ捨て(中略)杵のような短い棒を手にするなり(中略)悟空に打ちかかってきたのです」
しかし、このページ左側イラストの妖精は着衣である。おぉ、こうなれば何としても不肖の自分が赤い目・白い肌・全裸の妖精を描くしかあるまい。
なお、解説・補 四「構成について」には圧倒される。こと構成に関しては中国四大奇書の随一であろう。 -
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澁澤龍彦の序がまずよい。残虐や攻撃=動物性、友愛や連帯=人間性と一般的にイメージされてるが、むしろ逆なのでは?という定義。道具の発明は力の均衡を壊し、バランサーであった動物的本能が働かなくなり、同類殺害が生まれた。だから、カニバリズムは人間的な行為なのだという完璧な導入。
本文で好きなところの要約、引用
・「思えば、肉欲の至高の表現は、愛する者を滅ぼし、これを食いつくすことにありはしないだろうか。性が形而下の目的として生殖すなわち有を一方の極におくならば、一方の極には、完全な無があるはずだ」
・ジョルジュ・バタイユの「エロティシズムとは、死にまでいたる生の称揚である」。戦争もカニバリズムも人類が禁忌としながら避けられなかったエロティックな欲望。永遠に未知なものに対して渇望と想像力の交流が発生するエロスの原理。達成したい、しかし達成すれば終わり......
・高価な珍奇な中国料理の価値は一元的であり、飢えに苦しむ人の誘惑の対象にはなりえない。食物として、こんなにも二元的な倒錯的な価値があるのは、人肉だけ。
・西洋人は血を噴出するものとして捉えたが、古代中国人は体内を平和に巡るものと捉えた。だから残虐な処刑絵にも血は登場しない。つまり、血のイメージ化は一切なかったといえる。流れ出る血はもはや、その人のものではない。
・サディズムの思想は、人と人が対等であるという前提によって成立する。
・日本の武士道は死という幻想、虚構の目標に向かう無私の苦行であり、マゾヒズム。一方、中国の科挙試は富や美女という現実的な目標に向かう「有私」の苦痛。しかし、この「有私」の苦痛は体制に奉仕する目的を帯びると無私の自己修養へと転換する。「体制化されたマゾヒズム」と言ってよい。
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中野美代子では『孫悟空の誕生』『西遊記の秘密』を読んでいる。それらとカブることもない、汲めども尽きせぬ『西遊記』の奥深さ。
龍門石窟寺奉先寺の羅漢像が、実在の玄奘三蔵の顔つきを伝えているという指摘はロマンがある。
沙悟浄のモデルといえる深沙大将立像が、本国で失われ、わが国に現存しているのは幸運だった。
最初に提示された四大州の位置関係から、西遊記の一行は渡海して当然である。しかるにそんな描写は無い。それが原型の説話では渡海している。
原作のサクサク読書を妨げる詩詞の羅列。百科全書派の暴走? 果物や野菜名の列挙は、音通字によるダブル・ミーニングというのだから、三蔵の愚痴や八戒の軽口もおいそれと読めない。
『西遊記』は並列構造ではなく立体構造。原典を編んだ匿名グループはもはやパラノイヤの領域だ。
「回文による本書あとがき」、中野教授もパラノイヤ気味(ホメています)。