現在社会に蔓延しているように見える「希薄な自己」という現象について、文学作品の解析から紐解いてみようと試みた本書。
帯に、私がわりと気に入っている現代作家たちの名前が挙がっていたので読んでみた。
ちょっとうすら寒くなるような恐ろしくなるような分析に、将来を悲観したくなったのは私だけじゃないんじゃないか。っていうか、最近の人たちはそんな感覚で生きてるのか?だとしたら、どれほど日々が息苦しくて恐ろしいものかと怖くなる。
それくらい、感覚を研ぎ澄まさなければ生きることが許されない状況が、現代には蔓延っているということなのだろうか。単に私が鈍感なだけなのか?
実体を凌駕するほどの情報が、これほどの価値と威力をもって社会に広がっていることの怖さをまざまざと見せつけられたような気分だ。
SNSの在り様から導いた「自己像の不安定化」とか「自己の拡散」といった表現は、仕事で関わる子どもたちの姿を重ね合わせると非常に腑に落ちるものがある。そこへ、平野啓一郎のいう「分人」という発想とも相まって、人格形成途上の若者たちには、現代はとても生きづらい世の中になってしまっているんだな、と再認識させられた。あの子たちが社会不適応を起こすのも無理もないわけだ。
普通の人々も、以前なら不特定多数の人の中に紛れてしまえば埋没してしまえた自分が、特定の個人として常に社会にさらされてしまう情報化社会の今。
多様性を求められれば求められるほど、自分を見失ってしまう現代。
人間は何か間違ってしまったのではないか?これでいいのか?もう後戻りはできないのだろうか?
以下蛇足。
わりと気に入っている作家が取り上げられているため既読の作品もいくつも引き合いにだされていた。だから、ああなるほどそう読むんだなと納得できるところもあるんだけど、なにしろ実際の作品から内容を引きながら解説している部分も多くて、このネタバレは未読の人にはまずいんじゃ?というくらいの重大なネタバレもあるため注意が必要。
それから、著者は家族をシステムと呼ぶことについて「面白い表現」と言っているが、社会学や心理学で言われるシステム論のことを知らないのだろうか?そんなはずはないと思うけどな、、、。