ジャンプの三大原則「友情」「努力」「勝利」の「努力」「勝利」について、この巻では深く考えさせられた。
というのも、第165Qで氷室が火神との「才能の違い」を見せつけられたからだ。
黒子や青峰に「キセキの世代と遜色のないプレイ」と言わせる氷室。けれど青峰が言ったように、氷室はキセキの世代のように”天賦の才能”を持っているわけではなかった。
自分自身でも「自分に生まれ持った才能はない」と自覚しつつプレイしてきたが、弟分である火神が才能を持つ者とわかりコンプレックスを抱いてきた氷室。”自分は兄貴として勝ち続けなければならない”という気持ちがあったのだろう、”弟に負けることは許されない”と思っていたのかもしれない。それ故に”兄弟であることをやめる”という考えを持つようになったのだろうか。
努力し続けて自分のプレイスタイルを確立した氷室は、陽泉において自分の役割とは何か考えチームを勝利へ導くために力を尽くすが、結局、火神のいる誠凛に負けてしまう。
誠凛VS陽泉を読み終わってみると、結局才能がすべてなのだろうかと思えてくる。
天賦の才能を持つ火神と、才能はないが努力し続けてきた氷室。どれだけ頑張ってきたかは彼のフォームの美しさやフェイクの秀逸さから窺える。けれど、才能を持つ火神は試合中にどんどん進化し続け、氷室を圧倒する。
才能の差を見せつけられること、自分にはないものを弟分である火神が持っているというコンプレックス、どれだけ努力しても火神に勝つことはできないという思い、氷室の胸には多くの感情が渦巻いたことだと思う。
私自身が、氷室と似たような経験をしたことがあることも、彼に感情移入した理由の一つかもしれない。
才能があるかないか。それはとても大きい。
才能がない。だから自分はどんなに頑張っても、努力しても勝利をつかむことなどできない。そう思うと嫉妬し、卑屈になるときもある。
けれどここで氷室を救ってくれたのが、最後の原則「友情」だった。
バスケは一人でプレイするものじゃない。仲間同士で助け合い行うもの。紫原に一喝した後、本気でプレイすることを決意した紫原、岡村、福井、劉とともに、火神に勝つためではなく誠凛に勝つため、陽泉を勝利に導くために全力を尽くしたプレイをする氷室。
才能の違いは大きいかもしれない。けれどそれだけがすべてではないし、努力は人を裏切らないとも思う。努力をしても結果が得られないと感じるのならもっとたくさんの努力をすればいい。そう思う。
今回のVS誠凛では陽泉は惜しくも負けてしまったが、次はどうなるかわからない。
誠凛に勝ってほしいと思いつつも、次は陽泉に勝ってほしいとも思う。全力で戦って勝利を得られたそのときこそ、氷室が努力がし続けてよかったと思える瞬間になるだろう。