ロバート M パーシグのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
自分の悩みや疑問を代わりに考えてくれた、ある種運命的な本。
ロマンと古典、直感と理性、文系と理系などなど…
日常の中には常に対立したもの、人が存在する。
どうしてこうも分かり合えないのだろう?
同じ世界に生きていながら、なぜ真っ二つに分裂してしまうのだろう。
片方を重視すればもう片方を蔑ろにしてしまう。
理詰めで考えたものは息苦しく、複雑な容姿になる。かといって見た目を重視すれば、中身がスカスカ。
それらを一つにできる考え方はないんだろうか?
筆者は息子とバイクに乗りながらそれを教えてくれる。途中途中で「何いってんだこいつ」となるような表現も多々あります。たとえ結論がわからなくとも、要所要所にタメになるお話がたくさんあるので、是非読んでみてほしいです。
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Posted by ブクログ
こんなはずではなかった、昔の自分はもっと希望に溢れ、夢に向かって邁進していた…
こんな中年の喪失感への対応には3通りある。一つは、あの頃の自分は若かった、現実はこんなものだと過去の自分を捨てる。二つ目は、やはり夢は諦められない、と今の自分を捨てる。もう一つは、昔の夢を改めて考え、今の自分と昔の自分を融合して、新たな目標に進む。
本書の著者は、かつて大学で修辞学を教えるうちに、「良い」とは何か(本書ではクオリティと表現)を追求しはじめ、哲学の道に進み、大学の旧態依然とした価値観と衝突し、最終的に心を病み、精神病院に入院して電気ショック療法を受け、記憶と家族を失った。
その後、退院して別の仕事につき、息子とオートバイの旅をする。
旅の中で、かつて住んだ町を訪ね、昔の友人の宅に泊まり、記憶を少しずつ取り戻していく。記憶よりも筆者が追求したのは、やはりクオリティであり、当時の思想を分析し、新たな境地に至る。それは、ソクラテス以降、特にアリストテレス哲学によって失われた思想であり、東洋思想では禅や中道に類似する。主観と客観、自己と他者、絶対と相対、そんな二元論の生まれる以前の、原始的なところにクオリティはあるのだ。
旅のゴールとともに、筆者の思想もゴールを迎え、記憶を失った嘘の自分でなく、過去の自分そのものでもない、新たな自分が生まれるとともに、息子との新たな関係性が始まる。
広大なアメリカをバイクで旅をする描写を楽しみながら、筆者の思想の旅をなぞり、自分にとってのクオリティを追求する、そんな読み方をしても面白いだろう。 -
Posted by ブクログ
ずーーーーーーーっと頭の中で考えていたことを整理するきっかけをくれた本。
本著で言う、「理性(古典)」的な考え方と「経験(ロマン)」的な考え方のどちらかが崇高なのではなく、両方のバランスが大切なんだなぁ、というのが私なりの結論。
自分の言葉で説明を試みるなら、前者は「ロジック」、後者は「フィーリング」と例えることができるのではないか。
それはトップダウンの「西洋都市計画」と、ボトムアップからおこった「日本のまちづくり」に例えることもできると思う。
大切なのは、どちらか一方で十分なのではなく、両方の考え方の使い分けが必要なんだ、ということ。
日常生活で例えれば、計画性無しにその日暮らしで生活することは不安定だし、反対に社会生活の上で表面上の嘘をつくことが重要な場面もある。
要は、1か0かではなく、「何がベターか」ということなのだと思う。
著者はこれを、「クオリティ」と呼んでいる。
しかし、本文の中で唯一の疑問は、著者が次元としての「クオリティ」と、評価としての「いいクオリティ」をごっちゃにして、一つの「クオリティ」という単語で呼んでいるのではないか、という点である。
次元としての「クオリティ」の中には、当然「いいクオリティ」も「悪いクオリティ」も存在しているはずなのだ。
しかしそのことには触れられていない。。
ここまで哲学を突き詰めて考えてきた著者がそれに気付かなかったのだろうか。
それが出口のない迷宮に入り込んでしまった原因ではないか、とまで思えてくる。。。
どなたかご意見を求ム。 -
Posted by ブクログ
菊次郎の夏に、「オートバイ」と「真理の探究」の要素を追加した内容だと思います。
単なる親子のツーリング話ではなく、テクノロジー論、現代文明論、親子論、バイク分析論と、
著者の思索は、留まることを知りません。
著者は精神を病んだ経験の持ち主です。
また、その息子は、神経症を患っています。
小学生ぐらいでしょうが、彼は成人後、強盗に襲われ、不幸にも射殺されます。
一体、この著作は何なんだと思います。
哲学書というには、あまり纏まりがあるとは思えませんし、
息子との思い出日記にしては、哲学的考察が冴えわたっています。
恐らく、一読しただけでは、何を言っているのか、さっぱりわかりませんが、
読むタイミングと環境がマッチすれば、
「暖かい本」で何度も読み直したくなる本になると思います。
つまり、価値とは、一体何なのかということです -
Posted by ブクログ
ネタバレ息子とのオートバイの旅を通じて、自分自身の過去の人格を掘り下げていき、禅やら哲学に対する考察を同時に行うという内容の本。読み始めはタイトル通り「禅とオートバイの修理技術」についての考察が入り非常に面白く読んでいたんだけど、「クオリティ」の話になってから非常に難解な読み物になっていき、頭に本の内容がすんなり入ってこなくなった。後半になって、オートバイの整備の話に戻ったら大分読みやすくなったけど、全般を通じて難解な内容の本でした。オチについては、なんか個人的にはしっくりこなかったなぁ、という感想。まぁ、これは好き好きもあると思うけれども。
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Posted by ブクログ
失われた記憶を追いかける旅。真理探究への旅。そして息子と共に行くオートバイでの旅。三者がもつれあいながらドラマチックに旅路の到着点まで向かっていきます。
導入部ではテクノロジーを拒否する夫婦とともに行く旅。そして思い出の高地への旅。息子と二人きりになった後半。”クオリティ”探究の旅との符号に難しい哲学描写もなんとかついていけます。
結局”クオリティ”とは何だろう?「禅」の描写は意外と少ないぞ。最後は主人公の精神はどうなったんだ?など、疑問点も残るラストだが、それは読者である我々が考えていく部分も残っていることに価値があるのかも。
一人きりで延々と走り続けるライダーは、意外とメットの中で思索にふけっているものです。 -
Posted by ブクログ
p91
何度読んでも飽きのこない本である。私はいつもクリスの理解をはるかに越えた本を選ぶことにしている。多少読んでは、クリスがいつもの矢継ぎ早の質問をしてくるまで待ち、それに答えてから、また多少読み進める。昔の本は、このようにして読めば、読みが深くなる。古典とはそうしたものだ。これまでにも、読んだり、読み合ったりしながら、一晩過ごしてしまったことも何度かあった。結局二、三ページしか読み進めなかったが、これが百年前「シャトーカ」が盛んであった頃ーの読書法だったのである。実際こうした読み方をしてみれば、これがどんなにすばらしい読書法かがわかるはずである。
p232
彼は哲学を知識のヒエラルキー全体の頂点にあると見なしたのである。
かつて知識の全領域を占めると考えられていた科学は哲学の一部門にすぎず、哲学のほうがはるかに広く、普遍的であることを知ったのである。
彼を最初に科学の道に導いた疑問は、科学とは何か?そしてその目的とは何か?ということであった。結果的にはその疑問の延長線上に哲学があったというわけである。
p305
「その根本的な概念については、もう二十年以上も考え続けてるんだよ」