多根清史のレビュー一覧
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ゲームはいまだファミコンを超えていない、という書き出し。タイミングと社会的背景などなどで、そういうことになっちゃった人も少なく無いだろう。僕もそう。お陰で後の世が生きづらい。
ゼビウスは2ページなのに、アーバンチャンピオンとバルーンファイト、アイスクライマーは4ページ。バブルボブルにいたっては5ページ。自分で書いたのかと思った、なんていうと失礼なのか賛辞になるのか。
ただ、ファミコンソフトそのものの話はいいとして、文化として取り上げるならその立ち位置を、と思うのだけど、それはほとんど感じられない。
この本にツッコミが入れられる人には物足りず、ああ、懐かしいねレベルの人にはあまり読まれないであ -
Posted by ブクログ
ファミコンの歴史本、リアルタイで小学生だった頃コレは買ったなぁ…コレは友達んちでやったなぁ…とノスタルジーを感じます。
最初に買ったのはドンキーキングでした、ゲーセンでやっていたので2面が無いのにちょっとガッカリでした。
エキサイトバイク、バルーンファイト、勿論スーマリ、ゼルダ、メトロイドなんてはまりました。
ゼルダの裏ゼルダを発見した時なんかは興奮したものです。
この本には出てませんが、ディスクシステムの「謎の村雨城」も面白かったなぁ…要はこのときのゲームって友達と一緒にやっていたからはまっていたんだなぁとしみじみ思います。
今は年とってますからゲームに時間を掛ける事はありませんが -
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Posted by ブクログ
『もはや新書には収まりきらないゲーム史』
ゲームの詳細な歴史というわけではなく、人がゲームに何を求め、ゲームが人に何を与えてきたのか、その進化の話。中心的に語られるのはインベーダー、パックマン、マリオ、ドラクエなど。特にハードの制限が強かった時代でクリエーターがユーザに与えた選択について。逆に語られないのが、現代のゲーム業界の話。技術的な制約が少なくなったのと逆に、見えない圧力で自由が制限されたような状態で、ゲーム史が今後如何様に進化するのか。残念ながらその道筋を本書から見出すことはできないが、これからの展開こそが今後語られるべきゲーム史となるだろう。 -
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Posted by ブクログ
主にファミコン草創期のゲーム史について述べられている。
草創期は、少ない容量を発想でカバーすることの連鎖ですね。
ゲーム史といいながらも収録されている作品には片寄はあります。
しかし、なんとなく分かっていることを、ちゃんと言語化してくれたという印象。
例えば、
・ドンキーコングの魅力は、現実に忠実で不自由なジャンプ。
・マリオブラザーズの魅力は裏切り
・固定画面からスクロール画面になったことで、隠しキャラ、隠しブロック、隠しアイテムが生まれた。
余白が生まれると埋めたくなる。
・ドラクエは、RPGを分かりやすくものにした。一方向性。悪い言い方をすれば、お使いRPG。
それ以前の -
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Posted by ブクログ
ネタバレ戦前戦後の日本と「機動戦士ガンダム」の世界の関連性や類似性について論じた本。
全体としては戦時中の日本が一年戦争時のジオン公国に、アメリカ(戦後日本の目指す道)が地球連邦に例えられていることがわかる。真珠湾攻撃以降の日米の対立構図は、まさにジオンvs連邦だった、というもの。日本及びジオンが負けた理由として、そもそもの国力の差と人材(人的資源)の軽視が挙げられている。
面白いのは、帯にもある小沢一郎=シャア・アズナブルという指摘。小沢は55年体制を打破し、強大な権力を自分のもとに収斂するため、衆院選での小選挙区制を導入させた。また、戦力保持や愛国心教育を通じての「普通の国」へのシフ -
Posted by ブクログ
ファーストガンダム評論は数あれど、近頃の最大公約数的な評価でよく見るのは「ジオン=大日本帝国」「連邦=日本国」という流れ。
本著は明示的にそれを言わないまでも、十分にそれを意識した内容になっている。
戦艦大和の建造をビグザムに重ねてみたり、
零戦の改良をザクのバリエーションに重ねてみたり、
ワシントン海軍軍縮条約を南極条約に重ねてみたり、
小沢一郎をシャアに重ねてみたり。(え?)
日本の役人に連邦高官を重ねてみたり。
しかしタイトルほど「日本人」をテーマにしているとは言いがたく、
どちらかといえば「ガンダム」をテーマにして手当たり次第に学問的アプローチを掛けているイメージがぬぐえなかった。マ