川村湊のレビュー一覧
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日々ありとあらゆるものに悩みぐらぐらふらふら迷っている自分だけど、この本を読んで、そんな自分でもいいのかなぁと思うことができた。
自業自得という言葉があるけど、この本の中ではそんなものはなんら関係なく掬い上げる「アミダはん」の存在を諭していて、親鸞が語った様々な話に触れていくうちに、自分のどうしようもなさやあさましさを思い、こんな自分に関わってくれている周りのヒトモノセカイそしてそこから生ずる縁、全てに有り難いなという気持ちが湧いてきた。
仏教の今生における目標は心の平安であるとしたら、この有り難いと思う心の状態というのは、とてもそれに近い気がする。
愚かな自分を認めた先にそれをも大きく包ん -
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浄土真宗の教祖である親鸞。
その直弟子の唯円が師である親鸞の思想がその死後に異なったものになることを歎じて書いた書と言われる『歎異抄』
親鸞(1173-1262)は12世紀から13世紀にかけて生きた人物であり、今から750年以上も前の人物だ。
驚きなのは、親鸞は弟子をとらない、としてこの本文中にも書かれてあり、
また、大正時代のベストセラー本でもある『出家とその弟子』でも、このような形で描写されてあったが、その親鸞の教えである「浄土真宗」が今も尚脈々と受け継がれているということだ。
唯円のように全てをなげうって、丁稚のような形で遍路をともにするものはいたが基本的には弟子達にお寺で大規模に -
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特に文学賞に興味が向いている今、手に取った作品ということもあるけど、かなり面白く読ませてもらいました。村上春樹とノーベル賞の親和性についても頁数は割かれているけど、むしろノーベル賞の何たるかを検証する点に重きが置かれていて、世界規模の文学賞の実際が見えてくる構成。過去の受賞者とか(北欧偏重)、男女比とか(男性偏重)、まあ何となくそうなんだろうとは思いながら、改めて指摘されるとへーって感じ。アジア枠みたいな中に日本人も入っていて、中国とか韓国とかも合わせて選出、みたいになってるんですね。そうなると、目下一番のライバルがカズオイシグロってのも納得。いよいよ今年のそのシーズン。周りが騒ぎすぎ感が大き
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ネタバレP191
原発関係者は放射能を閉じ込めるということを強調するのだが
それは実は原発の全ての情報を閉じ込めることであり、
原発に関する論議、討議を密室化し、その実情を決して明らかにしないということにある
P195
発電の方法はいくらでもある。
コスト、環境悪化、持続可能性、終末処理、社会的リスクの
どの面においても原子力発電はもっとも劣悪な選択枠であることは
すでに明らかとなっている。
誰かが犠牲にならなければならないという
エネルギー政策は根本的に間違っているのだ。
★読んでみたい本、見て見たい映画がたくさん紹介されていた。
川村 湊さんの本も、もっと読んでみたい。 -
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現代語訳が、今どきここまでコテコテな人は居ないって…というレベルのコテコテの関西弁で、訳者はこの古典新訳のシリーズで『梁塵秘抄』を歌謡曲風に訳している人でもある。
唯円が師の親鸞から伝え聞いた事を記述する、というスタイル(とくに前半部)なので、究極の話し言葉であるコテコテ関西弁をチョイスしたのは正解な気がする。黙読より、音読してみると良いと思う。
昨年浄土真宗のお寺での葬儀に参加する機会があり。参列者は基本的に要所で「南無阿弥陀仏」とつぶやくのみで、結構な田舎で通夜の後に不寝番して線香を…的な地域なんだけど、お坊さんは「無理せず。真宗ではそれは必ずしも必要ではない」のようなことをおっしゃり。 -
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温泉でゆかりの文学作品に思いを馳せる。異色の温泉文学。
多くの名作の舞台となる温泉。作品を読み返し温泉を訪問し著した作品。
尾崎紅葉「金色夜叉」の熱海
川端康成「雪国」の越後湯沢
松本清張「天城越え」、川端康成「伊豆の踊子」の湯ヶ島、湯ケ野
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の花巻
夏目漱石「満漢ところどころ」の熊岳城、湯崗子
志賀直哉「城の崎にて」の城崎
藤原審爾「秋津温泉」の奥津
中里介山「大菩薩峠」の龍神、白骨
坂口安吾「黒谷村」の松之山
つげ義春「ゲンセンカン主人」の湯宿
章末の書籍の出版状況と温泉の現在に関する付記が良い。
ちょっと独特の文体で小難しい。 -
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あなたの 約束 忘れない
信じて 信じて 待っている
あなたの 名前を呼ぶだけで
ほんとの 幸せ やってくる
誰が歌っている演歌だろうか?いや、そうじゃない。今から900年ほど前、京の都を中心に流行した「今様」という歌謡の歌詞を川村湊さんが今様に訳したものです。
本歌はこうです。
阿弥陀仏の誓願ぞ 返す返すも頼もしき ひとたび御名を称うれば 仏になるとぞ説い給う
大嘘じゃないか!百歩ゆずって意訳のし過ぎじゃないか!と思うだろうか?私はそうは思わない。当時、庶民にとっては阿弥陀仏は単なる仏様ではなかった。仏像や歌い手は時にはアイドルそのものだった(参考 五木寛之「親鸞」)。庶民がこの歌を歌 -
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何度目かの読み直しである。今度は、全面関西弁なので、とりあえず最後まで読み通す。関西弁、良いと思うよ。そもそも文字を知らない庶民に親鸞の教えを広めるのが目的の書き物じゃけん、しゃべり言葉で伝わらんかったら、意味ねぇーけんな(←突然岡山弁)。
(やはり元に戻して)「自力本願」に対する浄土真宗は「他力本願」。その他「悪人正機説」など、試験に出るから覚えていても、それを真から納得する者はいったいどれほどの人がいるのだろうか?わたしの家はそもそも真言宗なので、葬式の場面で「親は往生したのか」と自問自答したことはなかったのではあるが、何度か浄土真宗の葬式に出席していた時は、昔読んだ解説本や吉川英治・倉 -
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借りたもの。
サブタイトルの通り核と関わってきた日本人の精神面をフォーカスしたもの。
それは原爆から原発、そして原発事故に至るまでの日本人の考え方の変化も読み取れるものだった。
日本人の“唯一の被爆国”(表向きに唯一実戦投入されたのは事実だが)という考えに釘を差し、アレルギー並みの嫌悪感を抱きながら原発の誘致を進めた矛盾を細かく切り刻んでゆく。
結局、安全神話は迷信であり、原子力ムラというより“原子力マフィア”ともいうべき一部の利権を得られる人々に、扱いきれない代物を金によって盲目にされた人々が受け入れてしまった、という話だった。
「原発の必要性」は欺瞞であると。
何よりこの本は、文学やサブ -
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ネタバレ今週おすすめする一冊は、親鸞の教えを弟子の唯円が書き綴った書
『歎異抄』の現代語訳版です。現代語訳と言っても、本書は大胆に
も、思いっきりくだけた関西弁になっています。「金剛」を「ダイ
ヤモンド」と訳すなど、ちょっとそれはどうなの?と思うような部
分もありますが、画期的に読みやすいことは確か。日本史の教科書
の中でしか知らなかった『歎異抄』をあっという間に読めてしまう
手軽さは、やはり新訳ならではでしょう。
『歎異抄』というと、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人を
や」というフレーズが有名ですね。「善人が浄土へ行けるなら、悪
人だって行けるのは当然だ」という意味で、このような考え方を
「 -
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狂言綺語のあやまちは 仏を讃むるを種として 麁き言葉も如何なるも 第一義とかにぞ帰るなる(原歌222)
伝聖徳太子『法華義疏第一の序』に、「妙法者外國薩達磨然妙是絕麁之号法即此經中所說一因一果之法也言此經中所說一乘因果之法超然絕於昔日三乗因果之麁稱妙」とあり、漢字「麁」の使用からアイディアの引用を感じさせる(明治45年佐佐木信綱『増訂梁塵秘抄』には平仮名での記載だった、山田孝雄文庫写本では朱筆で「麁」の注あり、第一義が「大智き」)が、そのような考察がされていない。謎の現代唱歌は不要であるが、法華経の原典からのアイディアの引用を明示して論じた書はないものか。本書に収録されていない、「戯れ遊びの