佐倉統のレビュー一覧
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科学とどう付き合っていけばいいか、ずっと知りたいと思っていたことへの答えをの一つバチッと知ることができました。
「論文によると〜」というようなセリフに対して、これってどのぐらい信じていいことなんだろう、という疑問を自分は以前から感じていました。
この本では、その疑問への解を提示してくれてると思います。
科学的事実が確定されていく仕組みや、科学界の内情を紹介する章はとても面白く読むことができました。
また、「科学的事実と価値判断を混同してはいけない」というルールは科学に縁取られた世界を生きる上では極めて大切だと思いました。少し遅めかもしれないけど今このことを知れたことに感謝しています。
最近 -
Posted by ブクログ
東日本大震災と原発事故。
その危機はずっと以前から指摘されていたが、利益利権の追求の流れの中で亡きものにされた。そして発生した事故。
誰も責任を取らない政治と社会の構造。
いつの間にかそうなっている。
便利を求めて企業がサービスを提供して恩恵を預かって原発の片棒を担っていた国民の責任もゼロではない。
そしてその生活から抜け出せない。そこに未来はあるのか。
若者がどんどん言うことを聞かなくなって出ていって欲しいという著者。
しかし、それが本当に可能になるのか。
そうならないように進歩も学習も妨げているのは上の世代ではないのか。
そうなったら一番困るのは自分達だから。
いろいろな矛盾をはらみながら -
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ネタバレ科学技術をどのように使っていくか?
科学(知識)と技術(力)の社会における在り方や認識を時代を追って特徴を明らかにし、これからの科学技術に携わる者、つまり専門家だけでなく一般の人々含めすべてが、どのように科学技術を扱うべきか述べた本。
科学の知識は何か人が行動するときの理由付けの手段となる。しかしそれは唯一絶対ではないし、行動は善のために、また公共のためにあるべきである。科学的知識は何回もの再現実験を経てようやく確からしいと認定されるが、一般の市民が求めるのは「今、ここの、自分にとって」である。それは夕日の例えからよくわかる。地動説が正しいけれど、夕日は沈むのである。だから専門家はそのよう -
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経済学と脳神経科学との接点、神経経済学の本。
人が経済的な選択を行う際に、脳のどの部分が活性化しているかなどを調べる研究。
他人が喜んだ時に自分もうれしく感じている時は、脳のある部分が活性化しているとか、逆に嫌いな人に罰を与えるときはどの部分で快感を感じているかなど、共感、信頼、同情、嫉妬などの感情と脳のはたらきをしらべている。
きちんとした理論化にはまだまだほど遠い印象だが、部分的には、人間の利己性や利他性の反応について説明原理が解明されていく可能性がある。
他人を喜ばせるとうれしいと感じるのはどんなメカニズムなのか。何割の人がそのように感じるのか。どういう人がそういう風に感じやすい -
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行動経済学×脳神経学。それぞれの分野でのここ数年くらいの動向は新書レベルでウォッチしていたけど、両方が一同に会してあーだこーだワイワイガヤガヤと論じられているのが楽しい。
人間は必ずしも経済合理的に行動するとは限らない、しかし、いつも同じように間違うのならそこに潜む法則性を脳神経学として見つけよう!など。
文部科学省のプロジェクトの一部を民間に還元する目的で出版されているとのこと。Good Jobでございます。
惜しむらくは、シンポジウムの書き起こしや聞き書きなので、文字量と比較して内容が少ないこと。普通の新書の1/3くらいの時間で読み終えてしまい物足りなさが残った。食後のデザートを単品で出さ -
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ネタバレ神経経済学の専門家により市民講座のようなものをまとめたものです。今日10000円もらえるのと、1週間後に10100円もらえるのの、どちらを選びますか?のような選択に関して、経済学、神経科学から解き明かしていきます。夏休みの宿題を計画的にできる人と、最終日に一気にやる人の違いは何?といった疑問を解き明かしていきます。非専門家向けに平易に書かれていて分かりやすいですが、逆に詳細は参考文献を読まなければ分かりません。取っ掛かりになると思います。serotonin不足になると、将来の利益より目先の利益を優先するようになることを示した実験や、オキシトシンによって、他者への信頼感が増すことを示した実験など
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十五年ほど前の著書になるが、その意見の射程は十分今に届いている。
むしろある程度環境問題の内実や、”エコ”という概念が蔓延した現代だからこそ効果を発揮するように思う。
しかし、最後にコンピュータの環境問題に対する有効性が述べられているが、コンピュータを含む情報環境は当時から予想を上回る進歩をしており、その提案が現在どう現実味を帯びているかを詳しく計れないの、僕たちの知識がないせいか、それともこの提案の有効性が時代とずれてしまっているか。
それでもやはり確実なことは、環境に関して考えるのではなく、”環境問題”という曖昧な問題のあり方を問うべきであるということである。
そこには近代的思想の限界が見 -
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トランスサイエンス領域。
最後、「人口に占める大学院生率少ない、大企業役員の最終学歴に占める大学院生以上の割合が6%と少ない。アメリカでは修士以上が60%以上(MBAが多いと考えられる)。修士・博士を持っていればいいわけではないが…」確かにそれだけ割合が違うのは気にはなるが、それが具体的に定量的にどういう問題につながっているのかの因果関係がよく分からなかった。あと著者自身が自分の特性を振り返っていて、物事の俯瞰視は得意だが、細かい事象を積み上げて結言するというのは…とあったが、確かに発散的な内容であったように思った。だからこそ科学とはの大きなテーマに向き合えたのだろうとも思ったが、あんまり好き -
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博士の先輩から、研究室入って初期に読むと良いと言われた本。
主に、科学とは何か、すなわち社会と科学の関係性を、哲学的な立場、研究者としての立場、社会一般人としての立場から、論じるという内容であった。
大学院生という、研究者の卵(卵にもなれてない未受精卵と言っても過言では無い)の立場から読んでいても刺さる部分は多々あった。
アカデミアは、社会を見すえている一方、自然の中で未解明があるからこそそれを知りたいと思って研究していること。しかし、科学技術は、社会のためにあるべきだ!という風潮が高まり、その風に晒され続ける企業研究者はアカデミアに対し、「なんの役に立つのか」という説明をする。
双方 -
Posted by ブクログ
科学とは誰のためにあり、何のためにあるのか。
科学は、事実を語るもので価値を語るものではない。価値を語るのは、人文である。
専門家の鼻持ちならない上から視点はあかんし、科学的視点のあやふやなシロウトの傲慢もまた、害である。答えはその間のどこかに。
必要なのは、科学の「縁側」。
玄関から正面切って科学どやさ、ではなく、ちょっと気軽に上がって、気軽に話ができればいい。
そう言うことなんだろうね。
科学知識は絶対に必要なのだが、生活に必要なのは、必ずしも、科学的な視点ではない。そこに矛盾がある。
読みやすいし、全体に納得なんだけど、人文的価値に立ち入ると弱い感じ。
そっちの知識とか知見が十分と