カール・マルクスのレビュー一覧

  • 新版 資本論 第2分冊

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    貨幣の資本への転化
    労働過程と価値増殖過程
    不変資本と可変資本
    剰余価値率
    労働日
    剰余価値の率と総量

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    2026年09月20日
  • 新版 資本論 第4分冊

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    第一部 資本の生産過程

    第7篇 資本の蓄積過程

    * 第21章 単純再生産
    * 第22章 剰余価値の資本への転化
    * 第23章 資本主義的蓄積の一般的法則
    * 第24章 いわゆる本源的蓄積
    * 第25章 近代的植民理論

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    2026年09月10日
  • 新版 資本論 第3分冊

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    ネタバレ

    第4篇 相対的剰余価値の生産
    - 第10章 相対的剰余価値の概念
    - 第11章 協業
    - 第12章 分業とマニュファクチュア
    - 第13章 機械と大工業
    第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
    - 第14章 絶対的および相対的剰余価値
    - 第15章 労働力の価格と剰余価値との大きさの変動
    - 第16章 剰余価値率を表わす種々の定式
    第6篇 労賃
    - 第17章 労働力の価値または価格の労賃への転化
    - 第18章 時間賃銀
    - 第19章 出来高賃銀
    - 第20章 労賃の国民的相違

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    2026年09月05日
  • 新版 資本論 第1分冊

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    序言[初版への]…マルクス
    あと書き[第二版への]…マルクス
    [フランス語版への序言とあと書き]…マルクス
    第三版へ…エンゲルス
    編集者の序言[英語版への]…エンゲルス
    第三版へ…エンゲルス
    第一部 資本の生産過程
    第一篇 商品と貨幣
     第一章 商品
     第一節 商品の二つの要因ー使用価値と価値(価値の実体、大きさ)
     第二節 商品に表される労働の二重性格
     第三節 価値形態または交換価値
     第二章 交換過程
     第三章 貨幣または商品流通
     第一節 価値の尺度
     第二節 流通手段
     第三節 貨幣

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    2026年08月22日
  • ルイ・ボナパルトのブリュメール18日

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    ネタバレ

    1852年にマルクスが執筆したもの。
    1852年!
    多くの固有名詞を変換すれば最近の話か?と勘繰るような。
    そして軽快で辛辣で芯をついているフレーズが随所に。

    「財産、家族、宗教、秩序」の名においてペンは折られ法典はひきさかれる

    平穏の名において荒唐無稽なアジテーションをし、革命の名において平穏をなんともおごそかに説く。
    情熱に真実はなく、真実には情熱がない。英雄といっても英雄の行為がなく、歴史といっても事件がない。

    革命のくせに、革命の担い手を麻痺させて、革命の敵にのみ、激しい暴力を許すのだ。

    国家が市民社会を、極めて包括的な人生観からごく些細な感情に至るまで、その極めて一般的な生活様式から個人の私生活に至るまで、丸めこみ、コントロールし、処罰し監視し後見している。そして、この国家という寄生体が、異常なまでの中央集権によって、どこまでも

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    2026年07月06日
  • ルイ・ボナパルトのブリュメール18日

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    これはまたとんでもなく面白いものを呼んでしまったな。マルクスの文章はその茶目っ気溢れるともすると過剰すぎる演出が読みづらさにつながっているので慣れるまで大変だったが、翻訳の素晴らしさと文章に埋め込まれる形で読みやすくなった注釈や補完がとてもわかりやすくしてくれている。
    頭の中ではトランプとタカイチサナエをはじめとするポピュリズム政治家たちとの溢れる共通点と、さてそれで百年以上経った現在この本の中でクソミソの扱いを受けているナポレオン三世の時代から為政者や社会がどう進化しているのかということを常に考えながら読んでいた。
    結論は言わずもながむしろ劣化しているのではないかという絶望的な見解だ。いやはや。

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    2026年04月19日
  • 資本論 第一巻 上

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    深々と多様な視点から読み解ける沼のような本で圧巻。
    経済学視点からの読み解きも当然ながら、社会学やジェンダーにも通じる思考の型。相対性、構造的な枠組みの中で絡み取られる資本主義下に生きる我々の生の本質。
    サルトルとかバタイユとか思い出した。
    再度読み直したい。

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    2025年03月25日
  • 資本論 第一巻 下

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    マルクス読めて超嬉しい。
    近現代の思想、社会、哲学などの人文系を読むと必ず出てくるマルクスという名前。
    資本主義的生産様式のうちに絡み取られた人間の生の虚しさについて。
    なぜか下巻から読んでしまった。

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    2025年03月15日
  • 資本論 経済学批判 第1巻 I

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    『資本論』はとにかく難しい。これはもはや一つの慣用句のようにすらなっている感もあります。

    この作品はこれ単体で読んでも到底太刀打ちできるようなものではありません。

    時代背景やこの本が成立した過程、さらにはどのようにこの本が受容されていったかということまで幅広く学んでいく必要があります。

    私がマルクスを読もうと思い始めたのは「マルクスは宗教的現象か」というテーマがあったからでした。

    ここにたどり着くまで1年以上もかかりましたが、マルクスとエンゲルスを学ぶことができて心の底からよかったなと思います

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    2024年08月19日
  • 共産主義者宣言

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    マルクスの思想が所謂、共産主義や社会主義とは何の関係もないことが明確に確認できる本。
    200年経ってもこの本は新しく、永遠に達成されない究極の自由を描いている。
    恐らく、マルクスは加速主義にさえも鉄槌を下すだろう。。

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    2022年05月07日
  • 1分間資本論 差がつく実学教養(5)

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    目次に目を通すだけでもなかなかわかりやすい本なことがわかる。
    さっくりと「資本論」第1巻の考えが読めてとてもお得感のある本。

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    2019年04月13日
  • 共産主義者宣言

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    これはダメだな、と思った。
    社会の歴史を階級闘争の歴史という。
    その時点で眉唾だと思った。そして、だからこそ興味を惹かれた。何故、闘争を歴史の根本などというものに大勢が魅せられたのか。
    封建主義から資本主義へ、そして共産主義へ、というのはよく整理されてるように見える。
    でも、封建主義から資本主義へ、というものは、持てるものと持たざるもの、という構造の中身が入れ替わって関係が変化した、というものであって、その先に持てるものと持たざるものとの構造の解体を見出すには無理がある。
    暴力を革命の装置として想定することは、ある意味、やむを得ないと思う。それでも、暴力とは、世の初めに隠さないといけないのだ。暴力を公然と認めるところから始めた世界から暴力がなくなることはありえないだろう。
    暴力は肯定するのではなく、矛盾として残しておかないといけないのだ。

    とはいえ、自分としては、今の資本主義を肯定するわけでもない。資本主義も共産主義も、寿命が違うだけでどちらも破綻している。
    共産主義者宣言の妥当といえるところは、資本主義への糾弾という意味でだろう。
    「つまりは、社会の圧倒的多数の人間が財産をもたないことを必然的前提条件とするような財産を廃止しようとしているといって、諸君は、われわれを非難しているわけだ」

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    2018年11月18日
  • ルイ・ボナパルトのブリュメール18日[初版]

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    ともかく難しい。というか、この時期(19世紀半ば)のフランスの様子を基礎知識として持っていないとムリ。

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    2025年05月09日
  • 新版 資本論 第1分冊

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    物的交換の広がり、販売は購買である等、現代の商品流通にも適用されている思想。商品と商品、貨幣と商品の関係性が説かれている。労働がどう商品に転化されるかについての説明がある。

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    2024年07月31日
  • 1分間資本論 差がつく実学教養(5)

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    資本主義の日本で生きている限りどこまでいっても、自分は弱い立場にある労働者であることの再認識した。資本家に搾取されるから手を抜いていこうという風になりたくないものの、今の自分の頑張りが自分ではなく資本家だけが得するような頑張りになってないかという視点を持ち続けたい。

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    2024年01月27日
  • 資本論 経済学批判 第1巻 IV

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    理解できたとは到底言えないけれど遂に資本論第1巻を読み終わった。
    理論だけではなく、時流のジャーナリスティックな記載も満載。
    マルクスに学ぶならば、資本論を金科玉条とするのではなく、弱者の声に耳を傾け自分で理論を構築する必要があるのではないか。なぜみんなマルクス、マルクスと言って現実を見ない?

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    2022年10月23日
  • 新版 資本論 第4分冊

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    労働階級の貧困と劣悪な生活状況と疫病の関係、今日的……
    スコットランドでの”地所の清掃”エグい 牧羊地の為に海浜に、魚取引のためにまた追いやられ、次には鹿猟林のために追い立てられるゲール人
    資本主義と植民制度の関係 植民制度は国債制度の温室

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    2022年01月07日
  • 1分間資本論 差がつく実学教養(5)

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    昔の内容なのに今の時代を語っているだろうという本だった。働いても働いても金に余裕ができない。世の中便利に発展しているはずなのに余裕がない。そんななぜだろうを考えさせられ、解消進むいい本だった。面白かった。自分の労働時間は必要以上に働いているかもしれない。今まさに転換の時期であると感じました。

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    2021年04月12日
  • ルイ・ボナパルトのブリュメール18日

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    同時代の事実・事件について、その背景やそこに至るまでの流れを概観し、どうしてそんなことが起こったのかということを考察する場合、筆者の思い込みによるバイアスが資料的裏付けや証言にかかってしまうという困難があると思うのだが、マルクスの記述には(もちろんバイアスはかかっているのだろうが)そんなことを少しも感じさせず、複雑な政治的出来事をきちんと腑分けしてわたしたちの前に提供してくれている。
    目次の後に付けられている「政治党派一覧」と「関連年表」のおかげで、この書物が書かれた時代背景や事件の流れがよくわかった。

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    2021年01月24日
  • ルイ・ボナパルトのブリュメール18日[初版]

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    カール・マルクス(1818-1883)による19世紀フランスの階級闘争に関する同時代批評、1852年初版。1848年の二月革命に始まる第二共和制が、如何にして1851年のルイ・ボナパルトのクーデタによる大統領独裁と第二帝政を帰結することになってしまったのか、を論じる。19世紀フランス政治史について相当程度精通していないと、マルクスの文意を正確に捉えることは難しいが、巻末の年表(「政治党派と階級的基盤」「時期区分と階級闘争の構図」)が補助として役に立つ。

    刻々と変化する情勢の中で繰り広げられる各階級の政治闘争の錯綜した様態が、マルクスの一種異様な情念とともに描かれており、それがいっそう本書を読みづらくしているのだが、この語りの騒々しさが、ちょうどドストエフスキーのあの喧騒じみた文体を思い出させる。本書はまるで異形の文学作品のようにも映る。

    巻末に付論として柄谷行人「表象と反復」が収録されているが、歴史や政治の事象を考察する上で「反復強迫」「抑圧されたものの回帰」「象徴界」といったフロイトやラカンの精神分析の概念を援用することの意味がよくわからない。それは学問的に妥当性が認められるような議論なのか、或いは尤もらしいだけで根拠のないただの「解釈」に過ぎないのか。

    □ 代議制の果ての独裁制

    「同様に、民主派の議員たちはみな商店主であるか、あるいは商店主を熱愛している、と思い描いてもいけない。彼らは、その教養と知的状態からすれば、商店主とは雲泥の差がありうる。彼らを小市民の代表にした事情とは、小市民が実生活において超えない限界を、彼らが頭の中で超えない、ということであり、だから物質的利害と社会的状態が小市民を[実践的に]駆り立てて向かわせるのと同じ課題と解決に、民主派の議員たちが理論的に駆り立てられる、ということである。これがそもそも、一つの階級の政治的・文筆的代表者と彼らが代表する階級との関係というものである」(p67-68)。

    「分割地農民の間には局地的な関連しか存在せず、彼らの利害の同一性が、彼らの間に連帯も、国民的結合も、政治的組織も生み出さないかぎりでは、彼らは階級を形成しない。だから彼らは、自分たちの階級利害を、議会を通してであれ、国民公会を通してであれ、自分自身の名前で主張することができない。彼らは自ら代表することができず、代表されなければならない」(p178)。

    代議制において、「代表される者」と「代表する者」との結びつきは恣意的なものでしかない。自らを代表することができず、恣意的な誰でもいい誰かによってしか代表され得ない者が、代表されるということそれ自体に幻滅して、媒介的な代表=表象=再現前ではなく直接的な自他融合を求めることになる。「代議制/独裁制」の対立は、「主知主義的・理性的な熟議/主意主義的・暴力的な決断」「合理性/非合理性」「納得/陶酔」「逡巡/突破」「媒介性/直接性」「再現前/現前」「自他分離/自他融合」の対立であり、代議制を否定する者は前者の価値を否定して後者に魅せられていく。こうして、代議制に倦んだ果てに、代議制を超越した絶対的権威による強権的な支配体制、則ちファシズムを招来してしまう。これは、優れて現代的な現象ではないか。シュミットの議会主義と独裁に関する議論や政治的ロマン主義の議論にも通じる話なのだろうか。尤も、ボナパルティズムとファシズムをどこまで同一視し得るのか分からない以上、粗雑な連想に過ぎないが。

    「決まり文句の権力に対する文句抜きの暴力の勝利」(p173)。

    □ 唯物史観の実例

    正統王朝派とオルレアン派は、それぞれブルボン家とオルレアン家の王政復古を掲げ、その理念によって相互に対立しているのだと自他ともに思い込んでしまっているが、実際は土地所有ブルジョアジーと金融・大工業ブルジョアジーという異なる経済的カテゴリー同士の身も蓋もない利害の衝突がその対立の本当の原因であった、と論じる以下の個所は唯物史観の典型例であろう。

    「所有の、つまり生存条件の異なる形態の上に、独自に形作られた異なる感性、幻想、思考様式、人生観といった上部構造全体がそびえたつ。階級全体が、自らの物質的基礎から、そしてこの基礎に対応する社会的諸関係から、それらを創造し、形作る。それらは伝統と教育を通して個々人に注ぎ込まれるので、彼は、それらが自分の行為の本来の動因であり出発点をなすものだと思い込むこともありうる。オルレアン派も正統王朝派も、どちらの分派も、彼らの二つの王家への愛着が彼らを分離させたのだと、自分自身にも他人にも信じさせようとしたが、むしろ二つの利害の分裂が二つの王家の一体化を許さなかったのだということを、後に事実が証明した。そして、私生活においては、ある人間が自分について考えたり言ったりすることと、彼が現実にどういう人間で何をするかということは、区別されるのと同じように、歴史的闘争においてはそれ以上に、諸党派の決まり文句や思い込みと、彼らの現実の組織や現実の利害とは区別されなければならないし、彼らの想像と彼らの現実とは区別されなければならない。オルレアン派と正統王朝派は、共和国の中でお互いが同じ要求をもって並んでいることを知った。どちらの側も相手に対して、自分たちの王家の王政復古を押し通そうとしていたとすれば、それが意味するのは、ブルジョアジーの自己分裂である二大利害――土地所有と資本――が、どちらも自分自身の優位と他方の従属を復古させようとしていた、ということにほかならない」(p62-63)。

    □ 歴史の反復

    本書冒頭の有名な一節でも論じられている、歴史の反復の問題について。これはどうしても科学的な議論ではなく「解釈」の遊戯にしかなり得ないのかもしれないが、たとえば日本の政治においても「維新」や「新撰組」などといった復古的な意匠が繰り返し呼び戻され続けているという事象を考えてみれば、やはり興味深い問題である。

    「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と」(p15)。

    「人間は自分自身の歴史を創るが、しかし、自発的に、自分で選んだ状況の下で歴史を創るのではなく、すぐ目の目にある、与えられた、過去から受け渡された状況の下でそうする。すべての死せる世代の伝統が、悪夢のように生きている者の思考にのしかかっている。そして、生きている者たちは、自分自身と事態を根本的に変革し、いままでになかったものを創造する仕事に携わっているように見えるちょうどそのとき、まさにそのような革命的危機の時期に、不安そうに過去の亡霊を呼び出して自分たちの役に立てようとし、その名前、鬨の声、衣装を借用して、これらの由緒ある衣装に身を包み、借り物の言葉で、新しい世界史の場面を演じようとするのである」(p16)。

    「一九世紀の社会革命は、その詩情を過去から得ることはできず、未来から手に入れる以外にはない。社会革命は、過去へのあらゆる迷信を捨てないかぎり、自分をうまく扱うことができない。以前の諸革命は、自分自身の内容に関して自らを欺くために、世界史的追憶を必要とした。一九世紀の革命は、自分自身の内容に到達するために、その死者を埋葬することは死者に任せておかなければならない。以前の革命では言葉が内容を上回っていたが、いまでは内容が言葉を上回っている」(p20-21)。

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    2020年05月30日