渡辺浩のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
蒸気機関車や電信機など、目に見える物質的なものだけではない。明治の文明開化期には、制度や組織、さらにそれらを支える概念までもが西洋から日本に採り入れられた。そして、それらを理解するために、さまざまな翻訳語が生み出された。しかし、まったく異なる歴史と文化の中で形成された概念を、翻訳語によってどこまで元の意味に即して理解できるのだろうか。
著者は、欧米の政治・社会を形づくってきた基礎的な概念であるFREEDOM・LIBERTY(自由)、RIGHT(権利)、LAW(法)、NATURE(自然)、PUBLIC/PRIVATE(公/私)、SOCIETY(社会)の六つを取り上げ、その意味を検討していく。そこから見えてくるのは、原語と翻訳語との微妙な意味のずれである。さらに、日本で従来使われてきた言葉のほうが、原語のニュアンスに近い場合もあれば、そもそもの語源や概念の成り立ちが大きく異なるため、翻訳語だけでは本来の意味が分かりにくくなってしまう場合もある。
たとえば、PUBLICは漢字の「公」や大和言葉の「おほやけ」と理解されてきた。日本語の「公」には、「公用車」という言葉が示すように、政府や役所など公的な機関に関わるもの、あるいは公務のために用いるものという意味合いがある。
ところが、本書では興味深いエピソードが紹介されている。欧米から来た留学生が、大学の研究室に設置されたコピー機について、教授に「あのコピー機はパブリックかプライベートか」と尋ねた。教授は研究室の業務用だから「パブリックだ」と答えたところ、留学生は「パブリックなら誰でも自由に使えるものだ」と理解し、私用でコピーを始めてしまったという。
ここには、日本語の「公」と英語のPUBLICとの微妙な違いが表れている。日本語の「公」は「公的なもの」という意味合いを持つのに対し、PUBLICには「みんなに開かれたもの」という意味合いがある。そしてPRIVATEも、単純に日本語の「私」と置き換えればよいわけではない。
なぜ、このような誤解が生じるのか。
それは単なる翻訳上の問題ではない。言葉の背後には、それぞれの社会が長い歴史の中で形成してきたものの見方や、人間と社会との関係についての考え方があるからだ。
西洋文明を形づくってきた基礎概念を、異なる歴史と文化を持つ日本人が翻訳語を通して理解する。そのとき、私たちは知らず知らずのうちに、日本語が持っている意味の枠組みの中で西洋の概念を理解してしまう。
本書は、普段何気なく使っている「自由」「権利」「法」「自然」「公」「私」「社会」という言葉が、本当に私たちが思っている意味なのかを問い直させてくれる一冊である。翻訳とは単に外国語を日本語に置き換えることではない。その言葉が生まれた歴史や文化まで理解しなければ、概念そのものを取り違えてしまう――そのことをあらためて認識させられる、非常に興味深い一冊である。
-
Posted by ブクログ
本書を読んで、「自由」「権利」「法」「自然」「公/私」「社会」といった言葉を、あまりにも自然に使っているのだとあらためて気付かされた。普段は深く意識することもなく口にしているが、これらの言葉はもともと西洋で生まれ、日本に入ってくる過程で翻訳され、少しずつ意味を変えながら定着してきたもの。
印象に残ったのは、翻訳とは単なる言葉の置き換えではなく、概念そのものの受け取り方に影響を与えるという点。たとえば「自由」は liberty や freedom の訳語であるが、日本語では「不自由がない状態」として感じられることが多い。また「権利」も、本来の「正しさ」や「正当性」といった意味合いよりも、「自分が得られる利益」として理解されやすいように思う。同じ言葉を使っていても、その背景にある意味の広がりや重心には違いがあると実感した。
こうした言葉のズレは、自分たちの物の見方や社会のあり方にも少なからず影響しているのではないか。「公」と「私」の区別の仕方や、「権利」と「責任」の捉え方など、言葉の意味の置かれ方によって変わってくる。言葉は単なる道具ではなく、考え方そのものを形づくるものなのだと実感した。
本書を通して、西洋の概念をそのまま受け取っているのではなく、日本語に翻訳された枠組みの中で理解し、考えているのだということに気づかされた。だからこそ、普段何気なく使っている言葉について、その成り立ちや含まれている意味を少し立ち止まって考えてみることが大切なのだと思う。言葉を丁寧に捉え直すことが、自分の考えを見直すきっかけにもなると感じた。あと、歴史がいかに大事かも。 -
Posted by ブクログ
本書は5部構成。「はしがき」にあるように第Ⅰ部は欧州および中国との比較による「明治維新論」。筆者は明治維新を「革命」と呼ぶ。第Ⅱ部は日本と異国の双方から眺めた徳川外交論。とくに「鎖国」の是非をめぐる対話と討論が道徳的・思想的問題であり続けたことが、朝鮮と日本の知識人の間での知的交渉から見て取れることが示されている。第Ⅲ部は、政治と「性」の関連について、欧州と中国との比較を通じて検討されている。この第Ⅲ部がもっともボリュームがある。第Ⅳ部は、開国以前の日本での中国思想との仮想対話が、西洋への対応へと結びついていったことが3つの角度、すなわち「教」、競争、「文明」から論じられている。第Ⅴ部は、哲学的・思想的比較の試みとなっている。
本書に収録されている各篇はすでに刊行されたり、講演録に基づいたものであったりと様々ではあるが、碩学ならではの重要な指摘や着眼点が随所にちりばめられており、読者を飽きさせない。とくに「Ⅲ 「性」と権力」はまとまっていて、そこだけ取り出しても新書1冊を優に超えるボリュームと内容がある。
また経済思想史的な観点から言えば、「Ⅳ 儒教と「文明」」の「第9章 競争と「文明」—日本の場合」が示唆に富むことは言うまでもない。著者は、山本常朝、荻生徂徠、海保青陵、西川如見、市井の様々な教訓書、井原西鶴、上田秋成、只野真葛、藤田幽谷、中井履軒らの言を自在に引用し、「徳川日本には、『諸国民の富』のような理論は出現しなかった。しかし、市場競争を道徳と結合させる教訓から、競争を否定した質素で平等な農本主義的ユートピアの構想まで、競争をめぐってこのように多彩な思想が展開していたのである」とまとめつつ、明治に入ってからのウェスタン・インパクトの受け止めを福沢諭吉、神田孝平、加藤弘之、小野梓、中江兆民、佐田介石、陸羯南、徳富蘇峰、(注も含めれば、田口卯吉や三宅雪嶺、長谷川如是閑らも)などに言及し、概説する。これだけで日本経済思想史の教科書が書けてしまいそうな内容である。
もちろん概説しつつ知的刺激を存分に与えてくれる書でもある。続く「第10章 儒教と福沢諭吉」では福沢の有名な「独立自尊」論を取り上げ、「強い主体性を備えた個人が出発点である」という考え方は朱子学と福沢の考えに共通するものだという小室正紀先生の指摘を引きつつ(p.538)強調し、かつ丸山真男の「議論の本位」論(『文明論之概略』)を間違いだと切って捨て、「議論の本当の位、真の値打ちを明らかにし、確定するにはどうすればよいか、即ち「至善」にして「一」なる「定則」に到達するにはどうすればよいか、を扱」っているのだと喝破している(p.547)。
じっくりと再読したい本である。 -
Posted by ブクログ
日本政治思想史を専門とする著者による「読書案内」。
すべてが書評ということではないが、どの文章も間接的にであっても「読書案内」をしている本だと受け止めた。
著者自身が「私の主な仕事は、昔の賢い人たちの遺した本を読むことです(自分は仕事に恵まれたなぁ、と思っています)」と書いているので、そういう読み方でも問題ないでしょう。
多くの本について、ひとしきりその意義や特長を書いた後で、「でもこういうことにも触れてほしかった」的なことを書くので書評される側の緊張感がすごいと思う。いわゆる「素人質問で恐縮ですが」に類する書き方だし。
こういうときに「隴を得て蜀を望む」という故事成語を使うのですね。「あえて望蜀の感想を、少し述べてみたい」とも。勉強になります。
坂本ひろ子『中国民族主義の神話――人種・身体・ジェンダー』について述べた「コルセットはいかが」では、欧米の宣教師が纏足を批判している同時代にコルセットがもてはやされていた(「三寸金蓮」(纏足による、前後9センチの小さな足)と同様に、hand-span waist(両手で手が回る細さの腰)は憧れの対象だった)ことに触れていないと疑問を呈しつつ、文の締めは
「本書は、より広い読者に向けられ、多方面に思索を促してくれる。ここでお勧めする所以である。
本書を読むことによって心躍ることはないかもしれない。しかし、その苦味を含め、じっくりと味わうに足ることは請け合いである。」
である。私もこういう書き方ができるようになりたいものだ。
もちろん著者の専攻に隣接するような領域の本が多いのだが、読書案内として私には刺激があった。
トクヴィル『アメリカン・デモクラシー』について、旧訳が全然ダメと強調している(明記していないが)のは、なんか執念じみたものを感じて面白い。
スピノザ『神学・政治論』は光文社古典文庫が「岩波文庫版より、はるかに読みやすい」、荻生徂徠『政談』も「岩波文庫版は、テクストが良くありません」。
ジェーン・オースティン『高慢と偏見』は中公文庫版が一番良いそうで、「彼女の他の5作品もお勧めです。特に、『エマ』と『マンスフィールド・パーク』。」とのこと。
『高慢と偏見』を読んでお腹一杯になったのだが、他の作品も読んで見ようかなと思った。 -
Posted by ブクログ
江戸期思想史の大家の本だが、本人も言っているように本筋から少し外れて冒険したもの。これまでの著書に比べると主観が多く、今ひとつ的を射ていないのではないか。
中国や朝鮮との比較はいいとしてもジェンダー論は今の風潮への迎合が過ぎる。価値観が時代によって変遷し、正解などないことは一番知っていると思うが、書き方に激しい違和感を感じた。
最後の徂徠などの思想史関係は安定して面白かったので、脱線部分の残念感が際立つ。
付け足しだが、この本の前にイザベラ・バードの奥地紀行を読んだので、開国の章の江戸時代の暮しの礼賛に疑問。一部の表面てはなかったかという気がする。 -
Posted by ブクログ
日本政治思想史の研究者である著者が、さまざまな機会に発表した文章を集めて収録している本です。
日本の社会や政治の分野において、ジェンダーをめぐる問題に対する関心がいまだ低いままであることを指摘しつつ、政治学や政治思想史の研究シーンにおいても同様の問題が見られることに目を向けるところに、著者の政治思想史の研究がアクチュアルな関心と密接に結びついていることがうかがわれます。また、書評やそれに類する文章も多く収められていますが、溝口雄三ほか編『中国思想文化事典』(2001年、東京大学出版会)に対する忌憚のない批評を通して、著者の「思想」へとかかわる姿勢が見られるように思います。
ほかに、中国思想の研究者である島田虔次の業績についてまとめた文章や、丸山眞男をめぐる硬軟織り交ぜたさまざまな文章などもあって、興味深く読みました。