修士課程の先輩に当たる著者、前著がおそらく博士論文ベースの学術書で、本書は新書で個人的なエピソードや感想、推測なんかも含まれているので読み物として面白いし、幕府海軍のことはあまり知らなかったので学びも大きかった。
気になった話がいろいろあって。アメリカへ咸臨丸が渡って修理を受けた時、マクドゥーガル中佐が修理箇所の一つ一つを勝に説明して了解を得ており、それに勝が貴官が適切と考えるなら貴官の判断でと言ったときに「指揮官たる者、平素から索の一本、板の一枚に至るまで自分の艦を把握していなければ、嵐に遭ったときなどに艦を守れない。だから私はどんなに小さなことでも貴官に説明し、了解を求めているのだ」と回答したとか。幕府の近世的軍隊の論理で生まれ育ち、咸臨丸の当直割を能力に基づいて変更するよう提案したブルック大尉を拒んだ木村喜毅が渡米後は能力に基づく人事制度が不可欠と気づいたり。第二次幕長戦争では大島口の戦いの幕府軍の作戦行動は日本の近代軍事史上はじめて統合作戦が試みられたが、統合指揮官がおらずちぐはぐな行動で劣勢な長州勢に敗北した。富士山が彦島砲台を攻撃したが、激流のためそれ以上の接近を断念した望月の好判断について、軍事の世界においてファインプレーとは危機を未然に防ぐことでありら、それゆえ成功例であるほど目立たない、それに該当。薩摩海軍の翔凰丸が幕府海軍と戦い浸水した時に破孔に布団を詰めたのが今と同じ。徳川慶喜が大坂城から逃げる時に間違えてアメリカのイロコイに乗ってしまったが、その時副長を勤めていたのがマハン。慶喜の脱出を知った日の日記は判読不能だが翌日には冷静さを取り戻し指揮した小野広胖。日本の近代海軍史上、3隻を一つの戦術単位として有機的に用いて戦闘を試みた初めてが宮古湾海戦。