織井啓介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「人はインセンティブに反応する」という基本原則に沿った論になっている。過去の援助について、明解に失敗の原因を分析している。さらにMDGsもその延長線上にあるとし、そのディレクターでもあるサックスを批判しているが、これも説得力がある。MDGsを批判的、客観的に見るためにも有用。共同責任から各々特化した個別課題について責任を持てば成果も上がりやすい、そのようなサーチャーが援助の主役になるべきなのはごもっともだけど、そのサーチャーにどう資金を分配するかはプランナーが決めるしかないんじゃないかと思う。
サーチャーとプランナー、これプロフェッショナルとジェネラリストの議論よね。ジェネラリストがG8とかで -
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「人はインセンティブに反応する」という基本原則に沿った論になっている。過去の援助について、明解に失敗の原因を分析している。さらにMDGsもその延長線上にあるとし、そのディレクターでもあるサックスを批判しているが、これも説得力がある。MDGsを批判的、客観的に見るためにも有用。共同責任から各々特化した個別課題について責任を持てば成果も上がりやすい、そのようなサーチャーが援助の主役になるべきなのはごもっともだけど、そのサーチャーにどう資金を分配するかはプランナーが決めるしかないんじゃないかと思う。
サーチャーとプランナー、これプロフェッショナルとジェネラリストの議論よね。ジェネラリストがG8とかで -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書全体を通じて、プランナーとサーチャーという立場が比較軸として語られる。
プランナーとは、援助対象から離れた場所で、大所高所に立ち、課題の理想的な解決が可能だと考えている援助者のこと。サーチャーとは、援助対象のすぐそばにいて、全ての課題を解決することは不可能だが、今よりも少しだけ物事を良くするためには何をすれば良いかが分かっている援助者を指している。
ちなみに、国連や世界銀行、先進国からの援助などは大部分がプランナーに属する。
なぜこのような比較軸が成立するのか。それは、プランナーによる援助が、ほとんど事態改善の役に立たないという悲しい現実があるからなのだ。
プランナーからの援助 -
Posted by ブクログ
原題’White Man's Burden。白人の債務。俺ら白人偉いもんね,かわいそうな有色人種たち助けてあげなきゃね、ということか。たしかに傲慢だな。でも傲慢な援助と訳すと人種差別的な意味合いが全く分からなくなってしまう。
本書にある事実;援助資金や援助物質が中央政府に届いたとき、どこの国であれほとんど実際に必要な貧しい人に届くことはない。
そこから導きだされる結論;Big Plan, Big Pushは無意味である。
さらには;プランナーは失敗し,サーチャーが成功する。プランナーはたとえ問題の国にいなくても答えは分かっているとばかりに解決策を押し付ける。サーチャーは試行錯 -
Posted by ブクログ
原題は「白人の責務」
全てを解決する大規模なユートピア的なプラン、世情を上からコントロールしようとすることや、植民地化による分断、軍事介入による数々の失敗の事例を提示。問題解決は、その国の知識と意識を持つ当事者(サーチャー)が行うべきと言う。
援助の評価が効果ではなく支援した額でしか測れないことで、投入した金額自体が評価対象となり、結果ではなくインプット額に対するインセンティブしか持たなくなってしまう。
先の『貧困の終焉』に反対はしているが、問題の正確な把握と、効果のフィードバックと測定、評価や改善が重要であると言う事は変わらない。現場の問題を知るためにより現場に権限を与えると言う事は正しい -
Posted by ブクログ
091209 by東女ms.terumi 高価 結論だけでも
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「援助はなぜ、貧しい国の人々を幸せにすることに失敗し続けてきたのか?」
ここに2種類の「貧困の悲劇」がある。
1つ目は、貧困が人々を苦しめているという悲劇。
2つ目は、莫大な援助をつぎ込みながらも、それでも貧困はなくなっていないという悲劇。
いったいどのようにしたら、貧しい国の人たちを幸せにすることができるのか。
援助を増やせばいいのか、援助のやり方を変えないと駄目なのか。
本書は、善意にあふれた先進国からの援助のうち、たった数パーセントしか本当に必要な人に届いておらず、これまで経済成長に成功してきた国は、援助をそれほど