・ジャスパー・フォード「最後の竜殺し」(竹書房文庫)の巻頭の1頁にこの物語のすべてがある。ただし、当然のことながら、それは読み終はるまで分からない。しかし読み終はるとその意外な物語に驚く……とはならない。「どれもこれも一週間のうちに起きたことだ。」 (9頁)それがここに書かれてゐるだけであり、それをふくらませたのがこの物語である。さう、それだけのこと、それだけの物語なのである。しかしおもしろい。
・物語の舞台は現代のヨーロッパあたりの王国である。王様がちやんとゐる。魔法は生きてゐるが、その力は衰へてゐる。魔法使ひ(本書では魔術師)も大変である。最初の章題は「実用の魔法」(10頁)である。実用とは何か。この場面では「家の配線を魔法で修理する」 (19頁)ことである。「大元の魔法プログラミング言語のルートディレクトリを少し書きかえれば、配線修理のような作業も比較的かん たんにできる」(同前)、そんな魔法なのだが、これは一体どのやうな魔法であるのか。現代に生きる魔法であるからにはプログラミングは避けて通れないといふことであらうか。大体、配線を魔法で直すとか、「走っている最中に車のギアの部品を交換」(16頁)するとか、かういふのは、走つてゐる間は別にして、修理する人間は決まつてゐよう。それを魔術師が行ふ。「実用の魔法」であればこそである。ただし、「〈魔法法(一九六六年改正)〉によって、どんなに小さな魔法を使ったときでも、書類を提出することが義務づけられている」(19~20頁)。これも大変に面倒である。そんな面倒な仕事を引き受けてゐるのが主人公ジェニファー・ストレンジである。魔術師はその場に合はせて魔法を使ひ、ジェニファーはその後始末をするといふことであらう。彼女にはそのやうな会社管理と今一つ、魔術師の世話といふ仕事がある。「そのうえカザムにいる四十五人の魔術師の面倒を見て、その住まいであるぼろぼろの建物を管理し」(10 頁)てゐる。そんな彼女でも実は魔術師ではない。「結局のところ、魔法は素質があるかないかの問題なのだ。」(52頁)といふ、その素質がないのである。にもかかはらず、最後に彼女はドラゴンスレイヤーとなる。それは運命であつた。「だれを待っているとおっしゃいました?」「ジェニファー・ストレンジだよ」「ジェニファー・ストレンジはわたしですけど!」「そうか(中略)待ち人来たる!」 (158頁)といふわけで、彼女は最後のドラゴンに対することになる。この物語は現代社会の物語であるが、そこはドラゴンが住み、魔法が通用する。しかも、資本主義的アイテム満載の世界である。巻頭の情景はそれを示してゐる。そこにドラゴンスレイヤーがからむ。からむとはいつても王は資本主義の申し子如き人であるから、彼女はそれにも対することになる。魔法と魔法的存在が現代社会に存在しうるか。ところが実際には魔力は弱まりつつあるのであつた。それとドラゴンの関係も突きとめねばならぬしと、そんなこんなでジェニファーは大変である。この物語ではジェニファーの存在感が圧倒的である。タイトルからして当然ではあつても、他の登場人物はどうなつてゐるのかと思ふ。どうなつてゐるのだらう、生きてゐるけどね。さう、確かに生きてゐる。影が薄いだけである。何事もジェニファーの双肩にかかつてゐるのである。これには続編があるといふ。そちらで活躍するのであらうか。かう考へると、ジェニファーに重点を置きすぎた気 がする物語であつた。他にも活躍できさうな人物がゐる。これらはどうなるのであらうか。いささか物足りない物語となつた。続編に期待しよう。