北上次郎のレビュー一覧
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北上次郎『冒険小説論 近代ヒーロー像100年の変遷』創元推理文庫。
本の優れた読み手として、数多くの優れた書評を残し、2023年に逝去した北上次郎が8年の歳月を掛けて執筆した労作にして、大傑作。
1993年に早川書房より刊行された同名作の最終版である2008年刊行の双葉文庫版を底本に復刊。第47回日本推理作家協会賞受賞作。
改めて北上次郎の鋭い感性と読書量の凄さに驚愕した。冒険小説の捕らえ方一つを見ても、単なるヒーロー物の娯楽小説として括るのではなく、時代背景や歴史、文化を酌み取り、冒険小説を文学史の高みにまで押し上げている。そういう点で本作は北上次郎が語る冒険小説論というよりも、冒険小説史といった色合いが強い。
第1部は、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』から紹介される海外の冒険小説。自分が冒険小説を意識して読んでいたのは1970年代以降の作品からだろう。本作にもジャック・ヒギンズ、ギャビン・ライアル、アリステア・マクリーン、クレイグ・トーマス、ディック・フランシスと懐かしい作家が紹介される。
第2部で、中国の『水滸伝』を紹介し、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』との関連が描かれる。
第3部は、いよいよ日本の冒険小説の紹介なのだが、時代小説、剣豪小説、少年向け小説などを経て、ようやく大藪春彦、西村寿行、北方謙三、船戸与一といった馴染みのある冒険小説作家が登場する。締めを飾るのは夢枕獏で、『餓狼伝』『獅子の門』といった格闘冒険小説の他、将棋の真剣師を描いた『夢果つる街』が紹介される。
自分は、北方謙三のハードボイルド小説を全て読んだが、比較的初期の作品である『逃れの街』が一番気に入っている。北方謙三がハードボイルド小説から時代小説へと転身したことが残念でならない。最近、馳星周もピカレスク小説から時代小説へと転身しつつあるのが気に掛かる。
船戸与一も全作読んだが、最初に読んだ『山猫の夏』に大きな衝撃を受けたことを覚えている。
夢枕獏の作品もかなり読んでいる。未完の『餓狼伝』にやきもきしつつ、完結した『獅子の門』『東天の獅子』には満足している。個人的には夢枕獏の最大の傑作は『神々の山嶺』ではないかと思っている。
本体価格1,500円
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稀代の一流の読み手である北上次郎が、勝手に!書いた文庫解説集。日本の小説12本に海外の小説16本に書き下ろし2本を加えた全30本の文庫解説を収録。巻末には、池上冬樹、大森望、杉江松恋、北上次郎の四人による文庫解説スペシャル座談会も収録。
全30本の解説を読むと、対象となる文庫本に留まらず、同じ著者の他の作品や他の著者の同じ系列の作品などにも触れるなど、非常にマニアックな内容になっている。このような本の世界の広げ方は、本好きにはたまらない。
個人的には、この解説集で紹介されている本の半数は既読作であるのだが、未読作で読んでみたいと思ったのは、沢木耕太郎の『波の音が消えるまで』とハーバート・バークホルツの『心を覗くスパイたち』の2作であった。
…ここからは、北上次郎の文庫解説の幾つかに触れてみたい…
『絆回廊 新宿鮫10』大沢在昌。解説というよりも、新宿鮫論といった方が良さそうな、なかなか鋭い切り口の内容。シリーズの第1作から第10作までを辿りながら、他の大沢在昌作品も例に挙げ、新宿鮫シリーズを総括している。
『水上のパッサカリア』海野碧。これまで、海野碧作品を高く評価する人には余りお目に掛かったことはなく、従って、これは極めて貴重な解説ではないだろうか。個人的には女性作家ながら、高いレベルのハードボイルドを描く素晴らしい作家だと思っている。しかし、残念なことに大道寺勉を主人公にしたハードボイルド・シリーズは、この『水上のパッサカリア』を皮切りに『迷宮のファンタンゴ』『真夜中のフーガ』の3作で終わっている。このシリーズ以外でも、海野碧作品は『アンダードッグ』『篝火草』の僅か2冊しか無く、この寡作の度合いはデビュー作の『水上のパッサカリア』が低評価だったことに起因しているのかも知れない。
『抱影』北方謙三。北上次郎はこの作品を絶賛しているが、自分は駄作だと思っている。昔の北方謙三の作品は読んでいて、身体の中に熱いものが滾るようなエネルギーを感じたのだが、この作品は恋愛小説か、変態小説か、少なくともハードボイルドではない、といった内容だった。読み手によって、受け止め方、評価が分かれるのは当たり前であるのだが…
『夜の終わる場所』クレイグ・ホールデン。北上次郎が解説しているように傑作である。描写力と造形力が群を抜いており、ストーリー全体の雰囲気が良い。この作品に続く、『リバー・ソロー』『この世の果て』『ジャズ・バード』も傑作であったが、10年以上も新作が翻訳されていないのは残念なことだ。
『死にいたる愛』デイヴィッド・マーチン。なかなか、この作家を評価する人も多くはない。扶桑社海外ミステリーが元気な頃の傑作の一つ。『嘘、そして沈黙』『誰かが泣いている』『死にいたる愛』『過去、そして惨劇の始まり』と全て面白い作品だった。この作家も翻訳が途切れて久しい。
『暗殺者グレイマン』マーク・グリーニー。近年の冒険小説の傑作中の傑作。蘇る冒険小説全盛の頃。『暗殺者グレイマン』を皮切りに『暗殺者の正義』『暗殺者の鎮魂』『暗殺者の復讐』と次々、シリーズ作が翻訳され、今後の翻訳も楽しみなシリーズ。 -
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北上次郎が旅立ってすぐ神保町の本屋さんでコーナーが出来ていて、そこで見つけた本です。逝去のニュースと「黒と誠」を読み始めたのが同時くらい…「本の雑誌」を読まなくなってから著者の文章に触れることはずっとなかったけど、縁あってページを開きました。圧倒的な読書量から来る知識をネタバレせずに上手に伝え読みたくさせる文章、天才的。ずっと忘れていたけどすごい!さすが本を読む時間が無くなると言って会社辞めた男!「本の雑誌」を作っている名前としては目黒孝二、ミステリー評論家、文芸評論家としては北上二郎、競馬エッセイストとしては藤代三郎、三つの名前で文章書きまくっているので、いつ本読んでいるのだろう…という生活なのですが本書はさらに家庭人として、二人の息子を見つめるフィルターがかかっているのです。週末の日曜日の競馬の後から月曜の朝までの「お父さん」で、よく家庭キープ出来たとそれも驚異ですが、でも息子たちに向ける気持ちを軸に小説の登場人物の物語を重ね合わせてくるという離れ業。それぞれ短い文章ですが、息子たちの成長におろおろしながら、過去の自分の親や兄弟の気持ちも思い図るという優しさに溢れた本でした。「黒と誠」に登場する目黒孝二のマニアック&エキセントリックの内側にある「愛」の本でもあります。ってことは「黒と誠」は「愛と誠」?マジで北上二郎の愛の目線でちょっと紹介される小説、どれも読みたくなります。さらにこの「息子たちよ」への返信として本の雑誌別冊の「本の雑誌の目黒孝二・北上二郎・藤代三郎」という追悼号に乗っている長男の「父よ」、次男の「帰ってこない、お父さん」も併せて読むとさらに温かい気持ちになれます。
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急逝した目黒さんを偲んで、手にとった一冊。考えてみたら、北上次郎名義の文章はたくさん(まったくたくさん)目にしてきたけれど、単著のものはあまり読んでいなかったような気がする。今は大人になった息子さんたちを思いながら、家族を切り口にした小説評を綴った本書。しみじみと良かった。小説を読むというのは、単にプロットを追うことではなくて、細部に現れる人の姿を味わうことなのだと、あらためて教えてくれる。目黒さんは、そういう読み方をずっと身を持って示してくれた。深くこうべを垂れて感謝します。
本書には、目黒さんの息子さんたちへの思いがあふれていて、それが読みどころだ。同じく成人した子どもを持つ身としては、うんうんそうだよねと共感する箇所満載。特に心に残ったくだりをいくつか。
「子が親を必要としているときは、親もまた子を必要としているのである。」
まったくそうだ。けっして一方的に庇護してるんじゃないよね。そのうち「もういらない」と言われるんだけど、親の方はなかなか気持ちが切り替わらなくて、それを思い知るのだった。
「あれが最後だったのだ、と突然気がつくのである。」
確かに、「初めて」のことはそうわかるけれど、「最後」はしばらくたってからしか気がつかないことも多い。家族で遊びに行ったのは、手をつないでやったのは、いつが最後だったのだろう。
「まだ子が幼くて、両親ともに若く、みんなが幸せだった至福の団欒は、哀しいことに一時のものだったのである。」「子が大きくなれば家を出ていくのは当たり前で、そうして団欒は失われていく。家族はけっして永遠ではない。しかし、一瞬だけのものであるから愛しいのだ。」
このことは、目黒さんの盟友シーナ隊長もよく書いているが、こういう言葉にどれだけ慰められてきたことか。こどもが自分のもとを離れていくのは寂しい、でも、それは当然のことで、ちゃんと育った証なのだ、家族の記憶は失われないのだと、いつも自分に言い聞かせている。
(息子さん二人が天真爛漫に笑っている写真を見つけて)「この二枚の写真を見ていたら、なんだか哀しくなってきた。おそらく息子らは、幼いときにカメラに向かって笑ったことを忘れているに違いない。」「哀しい気分になるのは、大人になるとそう簡単には笑顔を見せなくなるからだ。今は成長した息子たちも、幼いときのように笑ってばかりはいられない。」「息子たちも、あの笑顔をどこかで持ち続けている。幼年期の至福が必ずどこかに残っている。いや、親としてはそう信じたい、という話にすぎないのかもしれないが。」
ええ、そう信じたいですとも。
(下の息子さんが就職した時に)「君がめざした業界ではないかもしれないが、しかし与えられた場で頑張ればいい。自分の気に入った服を探すのもいいけれど、いま着ている服を好きになること、そして自由に着こなすことも大切なのではないか。父はそう考えているのである。」
とてもいい言葉だ。「自由に着こなす」が特に。しかし、これを目黒さんが言うところになんとも言えない味わいがある。「どこにもない服」を作っちゃった人だから。
(重松清「ポニーテール」について)「このフミとアキも、その日々の中で見せた笑顔をやがては失っていく。しかし二人のお父さんとお母さんはけっしてその笑顔を忘れない。それが彼らの生きる力でもあるからだ。それに、その笑顔を失ったことを悲しむことはない。幼子の笑顔がまぶしいのは、それが本質的に永遠ではないからだ。うたかたのように消えてしまうものだからだ。彼らの笑顔はそういう一過性のものにほかならない。だからこそ胸が痛くなるように切なく、愛しいのである。」
人のすることはすべて儚いけれど、子どもにはそれが凝縮されているのかもしれない。 -
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『すでに文庫になったものを取り上げるケースは少なくないが、それはその文庫解説に不満があるからではない。おれのほうがもっといい解説が書ける、と言う自信があるわけでもない。素晴らしい解説はすでにあるけど、でもしかし、おれにも書かせろ、と言うニュアンスにすぎないのだ』
この感じが面白い。個人的に、文庫本の解説を読んだ時に、たまにしっくりこないことがあって、好きな書評家さんが、もしこの解説を書いたらどうなのかなあ、、、と思うことがある。そんな思いをちょっと叶えてもらえたような。
巻末で、スペシャル座談会として、池上冬樹・大森望・杉江松恋・北上次郎の4名が対談をしている。その中で、大森さんが北上さんに「解説を依頼されたのが(シリーズの)別の巻でも、自分が好きな『少年計数機』の話を書くじゃないですか。作品はあまり関係ない(笑)」とおっしゃっていて、笑ってしまった。そこが私は好きだったりもするのだが、たまに北上さんの書評を見かけて読むと、半分くらい別の作品の話してない?っていう時があるのだ。この『勝手に!~』の中にも、そういう解説いくつかあったな。でも、北上さんのそういう解説にはその作者への思い入れが込められていたりして、読んでいて楽しいし、たまたま、自分が好きな作家さんの解説で、そこに挙げられている他作品も読んでいたりすると、へえ、北上さんはこっちが好きなのか、などと思ったり。
ところで、本書の中で北上さんが、佐藤正午さんについて『佐藤正午の小説はいつもわかりにくい。それはテーマやモチーフがいつも見えにくいからだ』とおっしゃっていて、うんうんと頷いてしまった。そういう作品の方が真の本好きには面白いのかもしれないし、そういう作品の「面白さがわかる」と言ってみたい自分がいるのだか、何作品か読んだ中では、また分かりにくい、、読み返さないとよくわからない、、、だったので、少し嬉しくなってしまったのだ。(とはいえ、当然ながら北上さんはきっちり構成の面白さなど解説されていて、私の「分からない」とは次元が違う) -
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北上次郎氏のガイドブックは相変わらず純口語体で、何よりもそれが裏腹のなさを示しており、結構好感が持てる。
前回の『余計者文学の系譜』の時よりは『本の雑誌』書評の編集本ということもあり、作品の選択が一般的で愉しめた。
ただやはり書評家としてよりも一読者としての好みが全面に出ているきらいがあり、そこがいやに目に付く(まぁ、それが書評家北上氏の個性とも云えるのだが…)。
また全体的にのめり込んだ本についての書評が長く、1つのコラムのバランスが非常に悪い。これならいっそ1冊に絞り込んで徹底的に評したらいいと思うのだが。
惜しむらくはこの本を読んで触手の伸びる新たな本が見つからなかったこと。
でも自分の関心の高い作品についての感想を読むのはやはり愉しい。