梶原一明のレビュー一覧
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激情家の天才技術者、藤沢武夫がほれ込んだ男が、どんなものであったか、簡単に知ることができる本。退職後、70歳近くで自分で車を運転して全国の支店・工場を回って、1人1人と握手した(なぜなら、そうしたかったから)というエピソードが好き。
35周年記念の鈴鹿サーキットイベントで、社員たちに大歓迎されるシーンがとても好き。
-----以下、抜粋
1906明治39 浜松市生まれ
・父親は鍛冶屋、日本刀、スキ・クワ、のちに自転車
8歳、はじめて自動車を見る
16歳、東京アート商会
1923大正12 関東大震災、初めて車に乗る、ふるえるような喜び
1937ピストンリングの研究、静大聴講生
1939 東京 -
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1章は本田宗一郎の生涯について。
ホンダという会社が宗一郎の技術側面での天才ぶりから成長していく
過程が書かれている。
本当に車に憧れた青年時代から、技術と発想でのし上がっていき
会社をでかくしていく。経営面はパートナーに任せきりで
長きにわたり研究へのこだわりを持っていたようです。
2輪最高峰のマン島TTレース参加、その後4輪でもF1への参戦。
鈴鹿サーキットの建設など。
走りのイメージが本当に強かったんだなぁ、ということを
今更ながら「若者の」僕は知りましたw
そして、そこが本田「技研」なんだなぁと。
2章ではその挑戦の数々をクローズアップ。
マン島TTをはじめ2輪レースの栄光、
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オーディオブックで視聴。本田宗一郎は今まで語録や伝記を読んでこなかった人物だけど、相当にぶっ飛んだ人でありつつ、かなりの合理主義者ということがよく分かった。また、共同創業者の藤沢武夫との掛け合いが実に面白い。
「得手に帆をあげて」という本田宗一郎の生き様にはグッと来た。
「どんな数字でも、ミリやパーセンテージがつくと覚えちゃう」「最後に(円)がつくと全然ダメ」ということで、経理・販売など、技術以外の部門はすべて藤沢に任せた。
また、ライフハックでしばしば効率化自体が目的化してしまう反省として、「能率とはプライベートの生活をエンジョイするために時間を酷使すること」という言葉は胸に刻みたい。 -
Posted by ブクログ
内容…筆者が幸福について何か書こうと思ったときに、本田宗一郎の生き方が出てくる。世界の本田を築き、さらに年老いても甘い汁を吸うことも無くあっさりと会社から身を引いた本田宗一郎。
本田に会い彼に不幸せを感じた人はいるのか。それは本田に短所や欠点が無いということではない。本田は偉大なる俗物であり、未完成と言える面すらある。しかし本田から不快を感じることなく鳥が歌うが如く本田は人々に幸福を振りまいている。
そんな本田について述べられている。
そしてHONDAを築く上で最も重要な出会いと言えるパートナー藤沢武夫という人物との逸話。今につながるHONDAの様々な社内規定や、社内雰囲気などがこの2人が大本