平山周吉のレビュー一覧

  • 江藤淳は甦える

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    ネタバレ

    ハードカバーで760ページを超える大著であるが、読みやすく、ボリュームを気にすることなく読み終えることができた。

    江藤淳は、大学2年生の時に三田評論に書いた「夏目漱石論」で、従来の定説とされてきた小宮豊隆の漱石晩年の「則天去私」という神話を打ち壊し、漱石を近代の個人主義と我執の中で苦しんだ生活者として捉えた新進気鋭の評論家として強烈にデビューした。
    また評論や論争では、その鋭い舌鋒で論敵を打ち負かす保守の論客であり、評論家としては、戦前・戦後と活躍した小林秀夫の後継者として見られ、政治的には真逆の立場にいた吉本隆明と共に、当時もっとも影響力のあった評論家であった。
    (極左の吉本隆明と保守の江藤淳が最後まで相手を評価しあっていたというのも面白い。吉本の言葉を借りれば、同じ出発点から左右に分かれて、グルッと回って一致している)
    その江藤淳が、ある時期から世間(文壇やマスコミ)から無視され、生き埋め状態になり、最後は慶子夫人の死の3ケ月後に、追い自殺のように見える自裁に至った。

    本書の著者は、江藤淳が自らの命を絶つ数時間前に、その絶筆を受けとった編集者による評伝であり、江藤淳の著作はもちろん、夫人への手紙、関係者へのインタビュー、生まれ育った場所や環境を含む幼き日以来の、江藤淳の精神に秘められた独特の暗部を、丁寧にしかしどこか同情をもって探っている。

    学生時代に三田評論の編集者であった山川方夫に見いだされ「夏目漱石論」で、評論家としての才能を一気に開花させると同時に、一方慶応義塾大学院では西脇順三郎に疎まれて中退し、退路を断ち評論家として出発する。
    初期の評論「成熟と喪失」では、幼き日に失った母への思いを繰り返し語り、進歩派から保守派への「転向」、また井筒俊彦、小林秀雄、三島由紀夫、山川方夫らとの関係で読み解き、晩年に生き埋め状態になる原因になったアメリカ占領軍下での検閲とその影響を扱った「閉ざされた言語空間」に至るまでを詳細に検討している。
    中でも、初期のプリンストン大学時代の講義などを詳細に検討することで、江藤淳の全体像を捉えようとしているのが本書の白眉であり、まさに江藤淳の評伝の決定版といえる。

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    2025年09月17日
  • 小津安二郎

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    ▼書名を見ただけだと、「はいはい、またまた小津本ですか」という印象だったんです。実は個人的に、20代の若いころに「小津本」を絨毯爆撃をするように読み漁った時期があり、全般食傷、もうあまり新刊が出ても読まないのです。正直、ほぼ知ってる話の焼き直しばかりですし。

    ▼ところが筆者名を見て「?」と興味が。「平山周吉」。これは、終盤の小津作品で頻繁に出てくる役名なんです。「・・・これは、かなりの小津マニアが書いてるんだな」と、購入。

    ▼結果、面白かったんです。大変に。DVD世代というか、ねっとり何度でも映画を見直せる強みを活かして、そしてとにかく「小津日記」をはじめとして同年代の新聞雑誌などのインタビューほかを丹念に丹念に読み解いて、書いてはります。そしてなにより、大胆な仮説を軸にして書いておられる。

    ▼仮説は、

    ・小津安二郎さんは、出征して戦地を踏んでいる。作家性の高い有名映画監督の中では、非常に例外的に、そうである。

    ・そして、盟友であり愛しい後輩の山中貞雄さんが中国戦地で病死しており、それは小津さんに強烈な喪失感とショックを与えた。

    ・そして山中貞雄さんは「河内山宗俊」で少女の頃の原節子さんを美しく撮った。原節子さんと山中貞雄さんは、その一点で分かちがたい記号になってしまっている。

    ・小津さんの、戦後の、いわゆる「原節子主演の紀子三部作(晩春・麦秋・東京物語)」を筆頭に、多くの映画が・・・・

    ・山中さんへの哀惜と、山中さんを通したいびつな形での原節子への憧憬・慕情が隠れた主題として、反復して描かれている。

    ・それは戦争の時代への鎮魂歌であり、戦争の時代を世間は忘れたかのように流れていくが、自らは(多くの人が)個人的に決して忘れ得ぬ中でどう生きていくか、という主題である。

    というようなことだと思います。

    ▼それらを、小津の日記と、同時代での小津の発言と、周囲の人の証言と、何よりも小津映画の画面の細部を検証して語っていきます。ちょっとした探偵小説です。でも、かなりの状況証拠があります。映画を手段として持っただけで、問題は小津さんという生活人が、何を経験して、どういう情緒を持って、何を語りたかったか。黒澤さんはじめほとんどの映画作家が「戦場」を知らぬ。自分はそこで何年も浪費し、文字通り泥を啜った。ヒトを殺したかもしれない。それでも今、亡き人を思いながらも平和と向き合って日常を生きねばならぬ。そんな小津さんが浮かび上がってきます。正直に言って個人的には涙モノの感動だったりしちゃいました。

    ▼小津さんが原節子に惚れていた、愛していた、みたいな男女スキャンダルな物語にもっていこうとは、しないんですね。小津さんの私生活の研究は没後にそうとうすすんじゃったので、「小津=原節子、愛情説」は、面白いけれど、「小津さんには別途、長い間の恋人っていうか愛人さんっていうか、そういう女性がいた」みたいなこととかがもう暴かれちゃっている。そういうのは当然、踏まえて描かれています。

    ▼「今更なあ」と思って読んだんですが、大大大満足してしまいました。平山周吉さん、というのは無論、小津マニアであるゆえのペンネームなんですが、他のネタを書かれても結構、好きかもなあ、と思いました。同時代にこういう姿勢と価値観のライターさんが居るのは、ちょっと嬉しいな、と。

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    2024年03月24日
  • 天皇機関説タイフーン

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    全460ページ、あの「天皇機関説事件」を様々な角度から取り上げて検証、充実したルポ。時間の無い人は第一章だけ読めば、この本の骨格は理解出来る筈。しかし美濃部達吉博士、学校の歴史で学んだ時は自分の学説を曲げない信念の人と思っていたが、いや実際そうではあるのだが、単なる偏屈、頑固なジジイだとも言える。現実にこんな人と友だちだったら相当しんどい。堅苦しい本だと思われるといけないので、くすりと笑ってしまったところを少し書いておく。

    達吉の息子は元東京都知事、革新都政を三期十二年勤めあげた。笑顔で都民に話しかけるところをニュースなどでよく見たが、『都知事の「美濃部スマイル」が無愛想な美濃部達吉譲りのはずもないから、あれは母方から受け継いだスマイルなのだろうか』

    もう一丁。『この記事で注目したい箇所が二つある。一つは美濃部の声。剛直な印象に反して、「柔らかな声」とある。とすると、フォークソング「走れコウタロー」で物マネされた、一人息子・美濃部亮吉元東京都知事のソフトムードな声に似ているのか』

    少しふざけた感想を書いてしまったが、今の時代、大きな声で国体や日本人ファーストとか叫ぶ連中が、こんな攻撃をしてくるだろうというぼんやりとした想像が浮かんでくる。ま、いいさ、天皇機関説の最先端で攻撃していた蓑田胸喜がどんな最期だったか、この本で知ったから。

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    2026年08月07日
  • 天皇機関説タイフーン

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    昭和10年頃問題化した天皇機関説は学会・社会(政官)において通説だったものの、国内外で軍が増長していく過程で国粋主義者らの標的となり、時の政権を揺るがす問題に発展した経緯が国粋主義者、軍部、帝大、政府、国会、天皇及び側近らの日記、手記等多角的に検証していく。
    本書における主たる登場人物は美濃部達吉とその継承者にあたる宮沢俊義だが、その剛柔のキャラの違いが対照的で、置かれた状況更に戦後の変革期でどう発揮される様が興味深い。
    この2人以外にも皇道派の真崎甚三郎や天皇の憲法講師だった清水澄、国粋主義者の蓑田胸喜の記述も多い。
    結局美濃部個人への集中砲火になり、貴族院議員の辞任や著作物の発禁及び修正をする羽目になり、辞任後も右翼に襲われるなど散々であったにもかかわらず節を曲げず戦後復活した様は感嘆する。
    著者は多くの日本人(当時は特に)が宮沢のようにテロや政府の弾圧を恐れ、宮沢のようにリスクを回避したことにしょうがないと共鳴することに重点を置いているきらいがある。
    それでも表現の自由、学問の自由を固持していく美濃部の姿は小気味よさが残る。
    460頁の長編だが戦前のリベラリズムが蹂躙されていく記録としても読みごたえがある一冊だ。

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    2026年05月05日
  • 小津安二郎

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    小津安二郎ファンは必読の書。
    産まれた日に死んできっちり60年の生涯を生きた名監督。
    朋友の山中貞雄(監督)の才能を認めその死を(28歳の若さ戦病死)嘆き悲しんだという。
    表紙の写真も小津監督と山中貞雄監督(確かにあごが長い、それを隠すために顎ひげを生やしていたそうな)と、お気に入りの女優、原節子の写真。
    ふたりは何度も噂になっていたみたいだけど、好意はあったのはもちろんだけど形にはなっていなかったような気がする。
    小津監督は生涯独身を通したけど、元芸者の森栄という器量良しの愛人さんが長年いたそう。
    大昔「秋刀魚の味」「晩春」は観た記憶があるけど、
    「東京物語」は録画したまんま、この映画についてすごく書かれているので観たあともう一回読みたくなるかも。
    佐野周二のことをのんきな感じを出せる俳優として、重宝していたよう、しかもなんの映画かわすれてしまったけど自身を投影していたのではないかと。
    私の敬愛する中野翠しの「小津ごのみ」が無性に読みたくなった。
    ちなみに著者の”平山周吉”は東京物語に笠智衆の役名。

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    2023年08月29日
  • 天皇機関説タイフーン

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    戦前から戦中の、言論弾圧を取り巻く人々。
    天皇は国家の一機関であるのか、主権者なのか。
    別段ありように違いはなく源泉の問題だけだし純粋に学問としての議論だったはずなのだが、政治と道徳と正義がそれを封殺する。

    サヨクさんたちが言論の自由をうたうのはものすごく判る。
    わかるのだが、この時代にウヨクさんがやっていたことを今サヨクさんがやろうとしてるのは何なんだと思う。要するに、自分と違うものは存在してはいけない。

    宗教だな。
    ウエストファリア体制以前の宗教戦争に近い。

    かなり分厚くて、当時の、関係する人々が何をやったかということを詳細に書いていて、研究者にはいいんだろうがちょっと飽きた。ぼくにはそんな程度。

    それにしても、関わる人たちがストレスだかなんだかでどんどん早死になさっているのに、当の美濃部先生の空気を読まない強さはすごいと思った。

    八月革命説で有名な宮沢俊義先生。
    東大自体が、要するに生き残るために尻尾振りまくって、占領終わった後にそれを修正できなかったから、あほな憲法論議が未だに残っているのだろうと失笑。

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    2026年05月11日
  • 昭和天皇 「よもの海」の謎

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    「よもの海みなはらからと思ふ世に
                   など波風のたちさわぐらむ」

    昭和16年9月6日、日米開戦か、回避かを決する御前会議の
    終盤。慣例を破って昭和天皇は発言を求めた。そこで読まれた
    のが明治天皇が日露戦争の際に詠まれた御製だった。

    慣例を破ってまで明治天皇の御製を読み上げたのは、外交の
    力で日米開戦を回避せよとの昭和天皇の意思表示だった。

    しかし、大御心とは反対に日本はアメリカとの戦争に突入して
    行く。和平を望んで読み上げたはずの御製は軍部によって
    都合よく解釈された。

    日本は何故、昭和天皇の思いと裏腹の道を進むことになった
    のか。本書は明治天皇の御製の作られた時期、異なる解釈、
    戦後の昭和天皇のお言葉までを追って、「よもの海」の変遷を
    追っている。

    膨大な資料を突き合わせている、その労力は凄い。だが、本書
    は「検証」にまでは至っていない。昭和史の謎を解くというよりも、
    著者の推測を積み上げているだけなので、「歴史検証」として
    よりも「エッセイ」として読んだ方がいいかも。

    著者が提示しているのはあくまでも「仮説」なんだよな。軍部が
    日米開戦に「よもの海」を利用した証拠がまったくないんだもの。

    軍部の動き、側近の思い等、参考になる部分もあるのだけれど、
    時々、まったく関連の感じられない話がはさまっているので
    読み手としては「これがどこへどうつながるんだぁ」と叫びたく
    なった。余計な記述は削ればよかったのに。

    ただ、御前会議での「よもの海」があったからこそ、戦後の
    訪米でホワイトハウスの前で読まれたお言葉に「両国の
    国民は、静けさの、象徴である太平洋に、波風の、立ち
    騒いだ、不幸な一時期の、試練に耐え、今日、ゆるぎない、
    友好親善の、絆を、築き、上げて、おります。」が含まれ
    たのだろう。

    先の戦争に対し、昭和天皇には様々な思いがあったこと
    だろう。だが、お立場上、それを公に出来なかったのでは
    ないか。著者は戦後の記者会見での歯切れの悪さを批判
    的に書いているが、言明することは出来なかったのだろう
    なと受け止めるわ、私は。

    尚、昭和天皇は病の床で御製の遂行を重ねていらっしゃった
    というのを初めて知った。有名な御製なので正式に発表された
    ものだと思っていたが、違ったようだ。以下がその御製。

    「身はいかになるともいくさとどめけり
                 ただたふれゆく民をおもひて」

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    2017年08月21日
  • 昭和天皇 「よもの海」の謎

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    昭和天皇が太平洋戦争開戦を巡る御前会議において、慣例を破って発言された。それが明治天皇の作った歌「四方の海…」であり、戦争回避の願いを込めた行為であった。本書は、その発言をされた昭和天皇、発言を受けた陸軍の杉山参謀長、永野軍令部長、同席した関係者、さらには発言があったことを伝え聞いた近衛文麿、山本五十六という人たちの歌の受け止め方とその後を丁寧に追跡している。さらには、当時この歌が軍人や知識人にどのような形で知れ渡っていたのかにも目を向けている。掘り下げ方に浅さや偏り、過度の推測がなきにしもあらずだが、この件で一冊の本が書き上げられたことは特筆に値するだろう。
    それにしても、これを読むと当時の軍人たちの身勝手さと、昭和天皇の気持ちとは裏腹の消極的な行動というのが浮かび上がってくるのには、「やはりな」という感を強く抱かせられた。
    ちなみに、個人的に御前会議でこのうたを天皇が詠んだという事を知ったのは、日米合作映画『トラ・トラ・トラ』であった。

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    2014年12月23日