筆者の井村和清氏については、本書の中の著者紹介が上手にまとめてくれているので、それを引用したい。
【引用】
1947年、富山県生まれ。日大医学部卒業後、沖縄県立中部病院を経て、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務。1977年11月、右膝に悪性腫瘍が発見され、右脚を切断。半年後の職場に復帰したが、まもな
...続きを読むく肺への転移が見つかる。自ら「余命6ヶ月」と診断し、懸命の闘病生活を送りつつ、死の1ヶ月前まで医療活動に従事。周囲の願いもむなしく、1979年1月、長女・飛鳥を遺し、次女・清子の誕生を目にすることなく逝去。
【引用終わり】
本書はもともとは、自家版として発行されたものであるようだ。その後、出版社から出版されベストセラーにもなったが、平成17(2005)年に「新装版」として発行された。その新装版には、すっかり綺麗なお嬢さんとなった、飛鳥さんと清子さんの写真も掲載されている。また、次女の清子さんの結婚式の時の写真とメッセージも掲載されている。筆者が亡くなったのが1979年のことなので、それから26年が経過し、「まだ見ぬ子」は、立派に育ったのだ。
本書は、筆者の手記や日記などを中心に構成されている。
ご本人が医師であるだけに、右膝の悪性腫瘍を見つけた際には、切断が必要であるとすぐに理解をし、また、再発した肺の写真を見た際には、自分自身の寿命をすぐに悟っている。手記や日記には、医師としての冷静な記述もあれば、この若さで亡くなることへの悔しさや、何とかあと5年生かして欲しいという希望等が綴られている。また、筆者は人柄的にも立派な方だったようで、家族ばかりではなく、友人・知人からも多くの想いを寄せられている。
筆者の生前の手記・日記にも、もちろん、心を動かされるが、2人のお嬢さんの写真には、もっと大きく心を動かされた。