あらすじ
「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい…」不治の病に冒された青年医師が、最後まで生きる勇気と優しさを失わず、わが子と妻、両親たちに向けて綴った感動の遺稿集。初版の刊行以来25年の時を経ても、その真摯な思いは、いまだ変わらず読む者の胸を打つ。今回、「まだ見ぬ子」清子さんの結婚を機に、夫人による新原稿を加え、装いを新たに刊行。
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最初から最後まで号泣。
心に残った部分を以下に覚え書きとして記す。
…サン・テグジュペリが書いている。大切なものは、いつだって、目には見えない。人はとかく、目に見えるものだけで判断しようとするけれど、目に見えているものは、いずれは消えてなくなる。いつまでも残るものは、目には見えないものなのだよ。…
著者が残した詩
『あたりまえ』
井村和清
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのぼせばなんでもとれる
音がきこえて声が出る
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝が来る
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
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不変。
そして色あせない。
絶対変わらないものがある。
時を経ても、いついかなるときであろうと、
世代を問わず、
読んで感じることはみな同じだと思う。
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目前に迫った死を見つめながらも、
最後まで生きる希望を捨てずに、親として、夫として
最後の努めを果たして逝った作者。
自らの生きた証と意志を伝え残した一作。
子供の頃、病気をするとよくお世話になった井村医院は、
作者の父である、井村和男先生の診療所であった。
自分の子を亡くした悲しみを背負いながら、
日々医師としての職を立派に成し遂げている姿には、今更ながら感動を覚える。
Posted by ブクログ
31歳で不治の病に冒された医師が、家族と知人にあてた遺稿集。
筆者である井村さんの「死にたくない」という思いと、自分を愛し気遣ってくれる人たちへの感謝の気持ちがひしひしと伝わってくる。単なる闘病記に終わらず、人としての生き方についても深く考えさせられる一冊だった。
余談だが、井村さんが亡くなったときに奥さんのおなかの中にいた「まだ見ぬ子」清子さんは、立派に成長して昨年結婚されたそうだ。おめでとうございます。
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筆者の井村和清氏については、本書の中の著者紹介が上手にまとめてくれているので、それを引用したい。
【引用】
1947年、富山県生まれ。日大医学部卒業後、沖縄県立中部病院を経て、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務。1977年11月、右膝に悪性腫瘍が発見され、右脚を切断。半年後の職場に復帰したが、まもなく肺への転移が見つかる。自ら「余命6ヶ月」と診断し、懸命の闘病生活を送りつつ、死の1ヶ月前まで医療活動に従事。周囲の願いもむなしく、1979年1月、長女・飛鳥を遺し、次女・清子の誕生を目にすることなく逝去。
【引用終わり】
本書はもともとは、自家版として発行されたものであるようだ。その後、出版社から出版されベストセラーにもなったが、平成17(2005)年に「新装版」として発行された。その新装版には、すっかり綺麗なお嬢さんとなった、飛鳥さんと清子さんの写真も掲載されている。また、次女の清子さんの結婚式の時の写真とメッセージも掲載されている。筆者が亡くなったのが1979年のことなので、それから26年が経過し、「まだ見ぬ子」は、立派に育ったのだ。
本書は、筆者の手記や日記などを中心に構成されている。
ご本人が医師であるだけに、右膝の悪性腫瘍を見つけた際には、切断が必要であるとすぐに理解をし、また、再発した肺の写真を見た際には、自分自身の寿命をすぐに悟っている。手記や日記には、医師としての冷静な記述もあれば、この若さで亡くなることへの悔しさや、何とかあと5年生かして欲しいという希望等が綴られている。また、筆者は人柄的にも立派な方だったようで、家族ばかりではなく、友人・知人からも多くの想いを寄せられている。
筆者の生前の手記・日記にも、もちろん、心を動かされるが、2人のお嬢さんの写真には、もっと大きく心を動かされた。
Posted by ブクログ
妻と二人の子どもを遺し、癌で31歳の若さで亡くなった医師の手記。
彼の、周りの人を愛し、感謝する生き方に胸を打たれた。
飛鳥ちゃんも清子ちゃんも、近くにはいなくても、素敵なパパの想いの中で育ち、幸せだと感じた。