安田登のレビュー一覧
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読書について考え直せる、とってもいい本に出会えました。
本を読んだ後は、内容や感想を誰かに話したり、自分の言葉で整理したりすることがとても大切。ただ読むだけではなく、アウトプットすることで初めてその本が自分の「血肉」になっていくのだと感じた。
正直、本を一冊読み終えてもイマイチよく分からなかったという感想しか出てこない時もある。そんな時は、本書で取り上げられていた「ネガティヴ・ケイパビリティ」という考え方のように、すぐには理解できないことを受け入れ、それを考え続けることに意味があるのだと感じた。そうすれば、別の本を読んだ時やある経験をした時に、それまで分からなかったことがふと腑に落ちる瞬間が訪れる。
自分の興味がある分野の本ばかり読むのではなく、ときには本屋さんで直感で本を選ぶという体験を大切にしたい。思いがけない一冊との出会いが、新しい価値観や興味につながり、ウマゼインがもたらしてくれる。 -
Posted by ブクログ
本の読み方そのものを見つめ直すきっかけになった、お薦めの一冊です。
斎藤幸平さん、小川公代さん、安田登さんが、それぞれの本への向き合い方や人生の糧となった本を紹介しています。
特に印象に残ったのは「柱リーディング」という考え方。10年先の自分を育てるために、人生の柱となる本を時間をかけてじっくり読むという発想です。
これまでの私は「読み終えること」が目標でしたが、一冊を何カ月、あるいは一年かけて味わう読書もあっていいのだと気づかされました。
気軽に物語を楽しむ読書も大切にしながら、自分の思想や価値観を深める読書も取り入れていきたいと思います。
「冊数を積み重ねる読書」から「人生を積み重ねる読書」へ。そんな新しい読書の楽しみ方を教えてくれた一冊でした。 -
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「本棚ビオトープ」
なに、その素敵ワード。
本は読むものじゃなくて、
“育てるもの”だった。
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✾血肉となる読書 なぜ読むことだけが人生を変えるのか
✾能楽師安田登/上智大学教授小川公代/経済思想家斎藤幸平/ナビゲート100分de名著プロデューサー秋満吉彦
✾あさま社
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名著は、そのまま読むとむずかしい。
でも、読み方には“コツ”がある。
・本は「自分への手紙」だと思って読む
・“異物”を飲み込むように読む
・柱リーディング
読み方ひとつで、
本はちゃんと応えてくれる。
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特に心に残ったのは、
古代ギリシャ語「タウマゼイン」。
=驚き、敬意、じっと見ること。
わからないままでもいい。
すぐ理解できなくてもいい。
ただ、敬意をもって、
立ち止まって、見つめる。
その先に、
思いがけないものがある。
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正直、私は古典が苦手だった。
・むずかしそう
・時間がかかる
・理解できない気がする
でもこの本を読んで、
『古典の魅力がわかるようになりたい』
その気持ちが強くなりました。
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まずは100分de名著から選んで、
読んでみようと思います。
みなさんのおすすめ←読みやすくて面白い
が、ありましたら教えてください✨️
自分に向けて書かれた手紙だと思って読む
自分が著者に何を語りかけられていると思ったのか、それに対してどう感じたのか、内側から湧いてくる言葉をありのままに伝えるのだ
古典とは、「この本の主張はこうです」と簡単にまとめられるものではありません。
受け入れがたいと感じた部分こそ大事にしたい。すぐに「使えない」とあきらめてしまうのではなく、一度すべてを吞み込んで、その意味を考え続けてみることで、新しい発見に出会えるー。
「異物」を呑み込みながら、高い壁に何度も挑むような気持で読むことで、
ネガティブ・ケイパビリティ
「容易に答えが出ない状態に耐える」「不確実性を受け入れる」能力
加害者や犯罪者も含めて、その人たちとつながりうる自分を考え続けることは、自分と他者との間に無意識に作っていた壁を取り払うことにつながります。
難しい本を読むこと自体が楽しいという人もいないとは言いませんが、
読書の90%はしんどい行為。それを乗り越えてようやく、10%の楽しさや感動が得られるのです。
小説の読み始めがしんどい理由として「物語の中途」から語られるということが挙げられます。これはラテン語で「イン・メディア・レス」と言われる文学技法で、登場人物のことを知らないのに「物語の真っ只中」から始まります。
自分の着眼点から読んでみたり、別の本を読んでいて思いついた解釈を持ち込んでみる。
人生の哲学や思想を深めてくれる、人生の柱になっていくだろう本を、時間をかけてじっくりと読む。
「柱リーディング」
本棚ビオトープ
本を循環させる書棚術
生物が生息する空間
シンギュラリティとは、特異点のこと。
イエスの言葉は「福音」
ギリシャ語では「エウアンゲリオン」、エヴァンゲリオン
英語ではゴスペル、つまりグッドニュース、よい知らせを意味します。
相手の話をしっかりと聞き、味わったからこその驚き。そこには相手に対する深いリスペクトも含まれます。
「今」という一瞬に全存在をかけることができていれば、痛みも感じていないはず。
古代ギリシャ語「タウマゼイン」
プラトンが「哲学の唯一の始まり」だと発した言葉です。
英語で言うならば“wonder”
「敬意」の意味が含まれています。
「じっと見る」という意味もあります。じっくりと観察するのです。
切実な問いを抱えながら、古典に対して「敬意」を持ち、「じっくり」と向かい合い、そせて「驚く」、それによって思いがけず、道がひらける。
四十にして「惑わず」は「クギラズ」で、「区切らないこと」「限定しないこと」
「音読」とともにおすすめしたいのが、「覚えること」
「馬上」「枕上」「厠上」
近くの書店に行って、まずは一冊、今までまったく手に取ったことのない本を子入してみてください。
人生に変化を与えてくれる読書には「漢方薬型」と「抗生物質型」の2種類があるのではないか
何か劇的な発見があるわけではないけれど、ある本を読むことでじわじわとものの見方や考え方に変化がもたらされるような本
苦しいときや迷っているときに読んでいることで、何らかの発見や変化に出会えたり、悩みを解決する糸口が見えたりする、 -
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歴史は現在と過去の間の対話であるという有名な言葉があるとおり、人は現在の問題の解決のヒントを過去に求める。
『いま、私たちは、時代が大きく変わろうとする「あわい」のただ中にいます。(略)価値観が大きく揺らぐ渦中にありながら、あるいは渦中にあるからこそ、私たちは変化の大きさやスピードになかなか気づけません。そんな時代だからこそ、揺れ動く「あわいの時代」に翻弄される人々の姿、強かに生き抜いた人々の姿を、『太平記』に見いだすことが意味を持ってくると思います。』(本書115、116頁)。
それだけではない。太平記を題材に、語り・解説役と質問役に分かれ、「なぜ、楠木正成はそんな戦い方をしたのか。なぜ、足利尊氏はそんなに強くなったのか」などと問答し、語り・解説役と質問役を交替で行うことで、想像力を培い、「未来を見る」能力を育むことができる。(本書152頁)。
メディアやSNSなど誰かにより「見せられた未来」に接することが増え、「未来を見る」能力が退化している現在、太平記に接することは、非常に意味を持っている。
垣根涼介の『極楽征夷大将軍』や松井優征の『逃げ上手の若君』がなぜ今高く評価され、南北朝時代のアクチュアルな意味がわかる良書。
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『変調 日本の古典講義』 内田樹×安田登
本書のあとがきで、安田登さんが内田樹の本について、読み終わったあとに何も覚えていないということをお話されていたが、全く同じことを私も正直なところ、思っていた。おそらく大学1年生から約10年間で70冊程度の内田樹の著作を読み漁ってきたが、この本について何が語られていたのかを話すのは至難の業である。ただ、全く覚えていないのであるが、読んでいる途中の自分、読んだ後の自分は不可逆的に何か違うものになっていることはわかる。
特に、読んでいる最中には、どこかで思考のスイッチが入り、今自分の身の回りで起きていることや仕事等で悩んでいたことへの打開策が見えてくるというとても不思議な力が内田樹の本にはある。
本はただ知識を得るためのものではなく、知識と知識の連関が見えるまで抽象度を飛ばし、そこから足元までゆっくりと丁寧に下りてくる(どうしても身体的な言葉での表現になってしまうが)ような、一つのアクロバシーに身体と脳をゆっくりと漬け込んでいく全身的(漸進的でもある)なプロセスであると内田翁は教えてくれる。
以下、とりとめもないがメモ。
日本文化の特徴は世阿弥の言う「ものまね」である。「もの」とは、「もの思い」や「物の怪」として書かれる場合の、「もの」の意味で、ある漠とした状態を指す言葉であり、言語で分節化される前の状態を指す。そうした何か言語化できない「もの」をまねて、自分の文化に吸収してしまうことが、日本文化の特徴である。わからない概念をわからないまま受け入れる姿に、日本文化の本質がある。本書では書いていなかったが、福沢諭吉や西周が西洋文化を受け入れるときに、英単語の訳語にあてたものが漢語であったのも、そうしたことなのではないか。漢字のニュアンスを和語で表現することはできないが、日本人は平然と運用している。そうした意味で、既に内容された異質なキャリアとしての漢語に、英語を当てることで、異質な感覚を、その異質さや本質を分解して棄損せずに受け入れるという方法は、まさに日本文化そのものであるとも感じた。
何度も内田樹の本に出てくる、張良の沓を落とす話であるが、重要なポイントとして、意味はその時点では分からないが、自分宛のメッセージをとして受け取って、わからないなりに覚えておく、考え続けることが弟子のスタンスであり、極めて本質的な学びの姿勢である。また、そうした学びの姿勢を土壌として、一見するとランダムに見える個々の事象の背景に「見えない秩序」が存在することを直感し、それらを関連付ける能力こそが、人間の知性の本質である。アイザック・ニュートンも、神が作ったこの世界には美しい秩序があると直感し、リンゴが落ちるというある種のランダムな事象から、背景にある科学的秩序を予感し、直感した。そうした関連付けのアナロジー思考こそが、人間の知性の基本である。
さらに、別のページで、能は当時の人々の想いを型に封じ込めることで、冷凍保存し、それらを現代人が型どおりに行うことにより、想いが氷解し、演者を伝播して観客に流れ出るものであると記載があったが、型という頭では理解できないものを徹底的に身体化することにより、現代的な身体技法、既存の自分の身体の使い方では到底思いつかなかった想いを、直感できることが、能の凄さであり、恐ろしさでもある。
ユダヤ教も、わからない状況をわからないまま後世に伝え、決着させることを自制する宗教である。現代的には意味がわからないが、ユダヤ教はその教義において、そうした様式にこそ、人間の知性が発揮されることを直感し、戒律としたのであろうと内田翁も言っている。
武道においても、何においても、「共身体」を形成することが肝要である。何かを為そうとするときに、自分の能力には限界があり、多くの人間の身体を一つの多細胞生物のように癒合して動かすようなことができる人間が求められる。いかなる伝達もなしに、直感的に「いるべきときに、いるべきところに立つ」ということができる集団を形成する能力が、集団を率いる人間には必要である。内田翁はそれを合気道であったり、イギリスのパブリックスクールのスポーツに見ているが、私自身、バレーボール部に10年間所属して、同様の感覚がある。まさに、バレーボール部9×9メートルのコートを6人で守り、皆がいるべきときに、いるべきところに立つという訓練そのものである。誰かが動けば、必ずその穴を埋める行動を取る(相手の攻撃を起点に守備体形を1つの生物のように瞬時に変化させる)。何年も同じメンバーでやっていると、まさにそうしたことが阿吽の呼吸でできる。また、レシーブが上手い人に、その極意を聴くと、レシーブこそ最も主体的なものであると言われたことである。相手が打つ瞬間に、相手のスパイカーとレシーバーを一つの共身体として解釈すると、身体が勝手にボールが来るところに動くというのである。ある意味、男子バレーでは、打たれたから動くような受動的なレシーブは、スピード的に間に合わない。そうした中でもレシーブができる人は、打たれる前に直感的にその場所に動いている。まさに、いるべきときに、いるべき場所にいるというものである。そうした意味で、バレーボールもまた、人と何かを為すときの重要なことを教えてくれる。スポーツ経験のある人が、就職に有利と言われることもあるが、スポーツはある意味で、集団として誰かがいなくなったところ、手薄なところを埋めて常に自分自身の存在している意味を作り出すという一連の動作を、脳で考える前にできるようになる訓練なのかもしれないと思うと、企業組織といっても人と人の集まりなので、そうした訓練が一定済んでいる人を取ることも、効率が良いと解釈されてしかるべきであろう。
こちらは内田翁の妄想的な仮説であるが、海の民と山の民の争いという視点で日本の歴史を見ると言う発想は面白かった。長らく日本には海部という操船技術に長けた集団と、飼部と呼ばれる野生獣の制御技術に長けた集団がいた。前者は風と水のエネルギーを、後者は野生生物のエネルギーを御する異能集団として天皇にそれぞれ仕えていた。源平の合戦は、海部の末裔たる平家と飼部の末裔たる源氏の闘いであるとみると、非常に面白い。平清盛は、福原遷都により、日宋貿易を基軸としつつ東シナ海や南シナ海まで広がる巨大な海上帝国の構想があった。(内田的直感では、その後、この海部の構想と引き継ぐのは朝鮮出兵を経て中華帝国への挑戦を夢見た豊臣秀吉と、海軍操練所を幕末に創設した勝海舟である)。それに対して、鵯越や俱利伽羅峠での戦法等、野生獣と共に戦に出向き、勝ちを重ねる源氏はまさに飼部の闘い方そのものである。結果、源平合戦を経て、源氏がその後の歴史の中心となるが、海部的思想は辺境(日本にとっては辺境だが、異国の地からのインターフェースである)に残り、その後の中心的な人物によって、再起が図られる。もっと言えば、陸軍と海軍の権力争いすらもそう見えてくる。こうした見方はもちろん妄想のデタラメ仮説と内田翁も断っているが、驚くべきことに、このようなプロットにそっくりなのが、最近のワンピースの展開である。ワンピースでは古代兵器と呼ばれるものが3つあり、天(おそらく風)を操るウラヌス、水を操るポセイドン、野生獣を操るプルトンがある。無論、四元素や基本的な自然現象の要素ということもあるが、海の民たる海賊と、地上を支配する世界政府の構図と取ってみても、どうにも海部と飼部の争いのようにも見える。(ワンピースでは、飼部たるワノ国のプルトンは、海賊側になるが)。そうした意味で、非常に空想的に示唆のあるストーリーであると感じた。 -
Posted by ブクログ
「古典の知識つけたいな。難しいかな、でも学んで知ることができたらこれからもっといろんな本を楽しく読めるだろうな。ものの見方も変わるかもしれない」そんな思いを持ちながらも何もしていなかった私が、入門のようなものになるかもしれないと思って手に取った本です。読んだから知識が増えた、とは言えないけれども、自分のいろんなところが沢山の刺激を受けて、興味を示す範囲がぐんっと広がった感じがしました。心境の変化があったり、環境の変化があったり、少し期間を開けてみたり、そういう風にしながら何度も手に取って、言葉を咀嚼して、長く長く自分の変化を感じながら読んでいきたい本です。