安田登のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
能楽師の安田登さんが開成高校の生徒に特別授業をされた内容です
だからとってもわかりやすくておもしろい!!
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. 「史記」を通して、歴史の中で思考の概念が生まれる過程がわかるということが驚きの視点でした。
文字が生まれる瞬間、心や時間の概念生まれる瞬間、法が生まれる瞬間、全て「史記」から見えてくるんです
無いものが生まれる瞬間。
文字がない時代の人たちは、文字がある世界なんて想像もつかなかったでしょう。
ということはこれからの時代を生きる私たちが今までにない概念を生み出すかもしれないということ。
そのために歴史やいろんなことを学んでたくさん考えることの大切さがわかりました。
ぜひ若い人たちに伝えたいです -
Posted by ブクログ
安田登(1956年~)氏は、大学卒業後、高校教員を務めていたときに偶々観た能の舞台に衝撃を受け、27歳で下掛宝生流ワキ方の鏑木岑男に入門。国内外の舞台で能を演じつつ、学生の創作能や能についてのワークショップ等、能楽の普及のための幅広い活動に参加している。能や能のメソッドを使った身体論等に関する著書多数。
本書は、能について、歴史、様式・形式、観阿弥と世阿弥、謡(うたい)、芭蕉や漱石への影響等、幅広い視点から解説したもので、目次は次の通り。
第一章:能はこうして生き残った、第二章:能はこんなに変わってきた、第三章:能はこんなふうに愛された、第四章:能にはこんな仕掛けが隠されていた、第五章:世阿弥はこんなにすごかった、第六章:能は漱石と芭蕉をこんなに変えた、第七章:能は妄想力をつくってきた、第八章:能を知るとこんなにいいことがある、<付録>「能を観たい、習ってみたい、知りたい」方へ。
私はアラ還の会社員で、これまで、演劇の類はオペラやミュージカルを観たことはあるものの、日本の古典芸能に接したことはなかったのだが、コロナ禍が明け、思い立って、能楽、歌舞伎、文楽(人形浄瑠璃)を立て続けに見てみた。結果として、いずれについても、今後も継続して観たいと思うほどの面白さは感じられなかったのだが、折角の機会なので、「能」のことをもう少し知りたいと思い、本書を手に取った。
読み終えて、舞台を一度見ただけでは到底想像のつかない、「能」という単独の芸能を超えた、様々な歴史や文化との繋がりを知ることができ、なかなか興味深かった。印象に残った点をいくつか挙げると以下である。
◆観阿弥・世阿弥が残した最も有名な言葉「初心忘るべからず」の真意は、「それを始めたときの初々しい気持ちを忘れてはいけない」ではなく、「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」ということであり、能が650年間も存続できたのは、時々に変化し、生まれ変わってきたからである。
◆能の典型的なパターンのひとつに、ワキ方の夢の中に死者の霊のようなシテ方が現れる「夢幻能」があるが、これは他の演劇にはない珍しいもので、敗者の無念を昇華させ、鎮魂するという意味があった。それは、勝者である江戸幕府が、能を庇護した理由のひとつでもあった。また、芭蕉も能の謡から影響を受けており、「おくのほそ道」の旅は、源義経の鎮魂と考えることもできる。
◆世阿弥が残した能の理想的な構造である「序破急」によれば、「破」の場面では、観客が半分目を開けながら寝るくらいにしておいて(観客の心の深いところに降りていく)、「急」の場面で目を覚まさせるくらいがよい。(これは驚き!確かに眠かった)
◆能は、舞台は極めて簡素であり、演者の動きも控えめで、話している内容もわからないことが多く、演劇としてリアルであるとは言い難い。しかし、それによって、観ている人は能動的にならざるを得ず、今見えていないもの(自分の脳内に蓄積されているもの)が見えてくることになる。謡も、それを媒介する効果がある。能を本気で味わうには、「能を観る」ではなく、「能と共に生きる」心構えが必要。
◆能のクライマックスは「舞」であるが、舞に「意味」はなので、そこから意味を汲み取ろうとしたり、ストーリーを感じようとすると、途端につまらなくなる。舞のゆっくりした時間の中に身を委ね、味わうのがよい。(これも驚き!)
(尚、能を観たり習ったりすることの直接的・現代的な効果(健康増進、集中力アップ、ストレス解消等)についての記述もあり、それらは新書の主たる読者層であるビジネスマンを意識したものであろうが、少々違和感が残った)
もう少し知識をつけた上で、再度鑑賞してみようという思いが湧いてきた。
(2024年2月了) -
Posted by ブクログ
著者は、初めての能で「松風」を鑑賞中、水面に浮かぶ月の風景を幻視してから能にハマり、能楽師にまでなられた方。私も初めての能で、著者までではないが、鑑賞中時間を忘れてトリップした経験があり、能は従来のエンタメとは何か本質的に違うのでは、と思ったことがあったので、興味深く本書を読めた。
入門書に相応しく、能楽の歴史や、特徴や仕組み、効能などがカバーされていた。特に興味深かったのが、漱石や芭蕉、三島由紀夫や村上春樹などの現代の作家や漫画家の作品に見られる能からの影響。それら影響を受けた作品を改めて読んでみたくなった。
最も印象的だったのが、現代の映画などを私たちはお金を払って「消費」する感覚で鑑賞しているが、能は消費の対象ではないという事。映画などは鑑賞側の能動性が求められず、あくまでも受け身であるため「消費」となるらしい。逆に能は「観る」のではなく「能と共に生きる」心構えが必要で、そのために詞章(セリフ)を声を出して読んだり、謡や仕舞を稽古したり、聖地巡礼をすると妄想力が鍛えられ、能の見え方が変化するらしい。なかなかハードルが高いが、能は限られた要素を使って鑑賞者の妄想力を刺激し、幻視を発動させる装置とも言え、今のARやVRにも通じるものらしく大変興味が湧いた。
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新しい何かを学ぼうとしても、いきなり専門書に手を出すのはハードルが高い。そもそも、需要と供給の原則通り、専門書は価格も高い。
そんな時、NHKの100分de名著シリーズは、非常にありがたい。当代切っての学者や評者の解説を、まあ普通の版元なら無理だよねというリーズナブルなお値段で、気軽に手に入れることができるのだ。
本書は、摩訶不思議な能楽師、安田登先生が軍記物の名著『平家物語』を解説しておられる。「祇園精舎の鐘の声」で始まる名調子を大半の人は口ずさむことができるだろうし、重盛の「孝ならんと欲すれば忠ならず」という台詞をご存知の方も多いだろう。信長が好んだことで知られる幸若舞や能の『敦盛』は「平家」が元ネタである。その他にも、あれは「平家」だったのかというお話はきっと少なくない。とはいえ、「平家」なんて、せいぜい高校の古典の時間に細切れに読んだきりである。これは学び直しがいがある。
本書は最初から安田節が全開フルスロットルで突き進む。ご自身も「あわい」の住人である安田先生は、『平家物語』は貴族から武士社会へと転換する「あわいの時代」を描いていると喝破する。そして、テクノロジーによる急速な革新が進む現代もまた「あわいの時代」であり、今こそ「平家」を読むべき物語なのだと語られる。実におもしろい。 -
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中国史を少しずつ齧るにつれ、避けて通れないと感じるのが司馬遷の「史記」である
どうしても敬遠してしまうのだが、でも気になる気になる…
少しだけこの世界を覗いてみたい…
そんな自分に天からの思し召し
能楽師の安田登氏が解説
何度も目からうろこを落としてしまった「異界を旅する能」以来だ
とても楽しみである
司馬遷の「史記」は三皇五帝と呼ばれる古代の伝説の王の時代〜前漢まで
2500年以上の歴史が描かれる
歴史書には、一般的な出来事を時系列に書く「編年体」と人物を中心に書く「紀伝体」がある
司馬遷はこの「紀伝体」で描くことによって、直線的な歴史ではなく、歴史に物語が生まれ、たくさんの人間の活動の積み重ね…として描いている
(学校の歴史より、歴史小説が楽しいのは当然ですね)
安田氏の着目点はシンギュラリティ(特異点)
「シンギュラティ」とは…少しずつ変化してきたことが、ある時点を境に劇的に変化する、その変化の一点をいう
古代中国はシンギュラリティを体験しているという
一番大きなものは「文字の発明」だ
文字によって脳を外在化できるように
脳に余裕が生まれる
余裕が生まれたことで「知」という新たな精神活動が生まれた
(これは自分も体験した 厚かましのは承知の上で…記憶力がとてもよかったワタクシ
が、思慮深さがまったく足りず、この記憶力をふんだんに使うことに特化してしまったのだ
わかりやすく言えば試験の一夜漬け的なこと
全て「覚える」という行為で人生の半数を乗り切ってしまった
人生において起きたいくつかの出来事と環境により記憶や記録をPCやスマホにお任せし、脳の容量を「考える」行為に移行したら…
あら~人生が激変、今まで何気なく通過してきた物事がまったく違うように見えてくるではないか!
これが今思えばワタクシの人生の「シンギュラリティ」である)
各時代のシンギュラリティ
・殷…文字の誕生
・周…心と論理の誕生
・奏…法の完成
・漢…中華文化の成立
■周
心ができた(どういうこと⁉︎)
農業を完成させた周の時代
農業をする人は、地を耕して、そして種をまく
さらに水をやったりして、収穫の時まで待たなければならない
つまり先のことを考えなければならない
また実りがあると信じなければならない
未来を知る力が「心」
心と論理が出現したことにより、周の時代は神、占い、生贄ではなく、自分たち自身でなんとかできるということが見えた時代
(「心」ができたとはさすが安田氏 歴史に風流さが吹き込まれたようだ)
■秦
例外なく適用する「法」の誕生
ちなみに日本で法の適用に例外認めないことが運用されるのは鎌倉時代の「御成敗式目」
秦といえば始皇帝
残虐な王である一方、国を統一したあとは戦争をやめた
また文化政策や、先ほどの法を定める…
司馬遷は始皇帝の良い面、悪い面をきちんと書いた
また法を職権乱用した趙高
法を改め李斯を排除
法の恐ろしさも浮き彫りに
(いつの時代もこういう輩が必ず居ますな)
■漢
「項羽と劉邦」(大好きである)
劉邦は普通の家系の人が王になったという中国史上初のパターン
劉邦は家の仕事は何もせず、酒と色を好む、ただ度量が大きかった
一方項羽は代々将軍を努める名家の家系
戦闘能力に優れていた
初めて始皇帝を見た時の二人の様子
劉邦→「男子たるものは、まさにこのようにならなくてはいけない」嘆息した
項羽→「あいつに取って代わってやる!」
これが紀伝体の醍醐味
さらに安田氏に言わせると、現代なら、さらにハイパーリンクを貼って、同じ出来事に対しての各人の思いや考え、行動に飛ぶことができよう
司馬遷はハイパーテキスト構想的な思考を持っていた(ワォ、なるほど!)
さらに二人の比較は続き、劉邦が勝ち残った理由はいかに…と締めくくる
項羽→敵を容赦なく皆殺しに
劉邦→出来るだけ戦いを避け、秦の圧政に苦しめられてきた人を味方につける作戦
さらには優秀な部下に恵まれ、彼らが劉邦を助けた
劉邦は良いプレイヤーではなく良いプロデューサー
(劉邦の情け深さに多くの人がついていった 劉邦のためなら…と命をかけた熱い男たちの物語がたまらないのだ)
司馬遷について
中島敦の「李陵」からも読み解かれる
李陵を弁護したことにより武帝の怒りに触れ、宮刑を受け入れ、屈辱的に生きる
人から蔑まれ、理不尽な体制に対する怒り、天に対する疑問…
そんなものを腹に抱え、「史記」を完成させた
凄まじいエネルギーである
まさに血肉を投入した偉業である
最後に安田氏からのメッセージ(かな?)
「温故知新」…故(ふる)きを温め、新しきを知る
実は孔子の意見はちょっと違うという
正しくは「温故而知新」
而…時間の経過を示すもの
ここから、既存の知識を鍋でぐつぐつ煮込んでいると、今まで誰も考えつかなかったような新たな切断面、すなわち新たな知見、新たな方法が突如として現れる
そのプロセスそのものが「知」と言う精神活動
勉強していて、最初はぜんぜんわからないけれど、しばらく続けているとある瞬間に突然わかるようになる
スポーツや楽器の練習も然り
古典を読んで発酵させてみよう
誰も考えつかなかったようや新しい何かが突如現れるかも…
(これはやったことある人間にしかわからない
日々これでいいのか、モヤモヤしながらもとにかく切磋琢磨する…
同じことの繰り返しが間違っているのでは?
そう思いながらももがき苦しみ考え抜くと…
あるとき突然光が差し込む、体が雷に打たれたようになる…
こんな体験をしてしまうともうやめられないのだ!)
能楽師である安田氏だが、ただの能楽師ではないのである
コンピューターグラフィックスの本を書いた実績、プレステゲームのプロデュース
理化学研究所の「AI文化研究会」…
今回史記を知るつもりが、安田哲学までオマケで付いてきた!
なんという贅沢でしょう!
うーん
歴史なのに心に沁みたわ〜
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Posted by ブクログ
古事記、論語、奥の細道、中庸
4つの古典のメッセージをわかりやすくまとめている
古事記
描かれる死生観がとても興味深い。昔は因果の関係が世になく、死は魂が一時的に離れたものと捉えていたため、死に対する恐怖がなかったそう。
因果や時間については、映画『メッセージ』をみてから関心を持っているのでもっと深掘りしたい。
論語
齋藤孝さんの『声に出して読みたい論語』に載っていたものも紹介されていたが、解釈の違いがおもしろかった。こっちの解釈の方が腑に落ちたので安田さんの『論語』を読んでみようと思う。
奥の細道
芭蕉は『俳諧的生活』を重んじたそう。俳諧=和気あいあいとする笑いであり、俳諧的生活=和とユーモアある生き方。笑いにはきっと奥深さがあるのだろうなあと、その後『落語は心の処方箋』を読むきっかけになった。
中庸
全ての人には自分の成す『性』というものがある。その周りには『過剰』という誇りが積もっているので本来の自分の性をみつける必要がある。そうして、自力(その時々でぴったりな選択ができる、それを感じる力)と誠(成るべきものを成るべきように成せる力)によって道(性に従うこと)を実践したい。
やはり、古典は人生で大事なことを簡潔に伝えてくれる。ここで紹介されている本はじっくり時間をかけて何度も読みたい。
古典は色眼鏡。古典を知ると世界の見方が変わる
たしかに、その通りだ。古典に限らず本というのはそういうものである。 -
Posted by ブクログ
面白い。母語である日本語で伝わらない、誤って伝わってしまうのは何故か、を非常に短く例を挙げてくれている。
本書で最も感銘を受けたのは正しい日本語がないというのを専門家から聞けた事だった。的を得た、的を射たや了解は失礼なのか、などネットミームでは様々な話が挙がっているが筆者の見解としてはどちらでも良いし、好きな方を使えば良い。言葉というのは日々変化しており、誤読されたものが広まったりする事も言葉の揺らぎとしてあるものだという認識だ。
しかし、読書好きとしてはやはり好きな言葉遣いがあり、それこそ正しいとして広まってほしいものだが、、、。
筆者は前作は難しいために売り上げが芳しくなかった事から本書ではかなり簡潔に分かりやすく書いたようだが、もう少し細かく知りたいと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ世阿弥の風姿花伝で能に触れた後、能のことをより勉強したいと思い購入。
面白いなと思ったのは世阿弥の「初心忘るべからず」という言葉の解釈である。本来は物事を始めたときの気持ちをずっと忘れるなととらえられがちだが、本来世阿弥が意味した意味というのは「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」ということである。これは知らなかったため、「はぁ~」と勉強になった。実際、室町時代の能と幕府に保護され式楽となった江戸時代、明治時代以降、戦後と4つのフェーズで能は大きく変化しており、形を変えながら生き残ってきたのはまさにその「初心忘るべからず」を体現してるなと感じた。
また、江戸の武士の中で能は教養として身につけなければならないものであり、「候文」が武士間で使われていたのは、それが標準語となっていたからというのも面白かった。能を知っていることが前提で、方言同士では話し合えないため、候文が使われていたとか。
さらに、現代で通ずる話では、現在の2.5次元との相関性(能は妄想を映し出すスクリーンとなるとか)がある。
人気になる芸能は妄想を喚起させる力が強く、そこでは歌の力が強い。現代に通ずるなと納得。
また、聖地巡り(能で演じられた舞台を実際に旅するとか)も当時からあったと書いてあり、昔も今も人間の本質って変わっていないんだなと実感した。
温故知新ではないけど、過去の歴史のことも勉強して抽象化して、現代で起こりうることを予想することにもっと役立てたい、そう実感させてくれた。