安田登のレビュー一覧
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ネタバレ著者自身がワキ方の能楽師でいらっしゃるため、「能というのはこういうものだよ」とレクチャーしてもらえる内容ですが、観劇を始めたばかりの現時点では「そうか、そういうものか」と知識として受け入れる状態です。
しかし、観劇の回数が増え、能の謡を習ってある程度年数が経った後にこの本をもう一度読めばより腹落ちするのではないかと思える、自分の能楽の経験値を測れる本のような気がしました。
内容として特に興味をそそられたのが、主人公の武士が修羅道や地獄に堕ちるストーリーの多い能を江戸幕府が庇護した主目的は「敗者の鎮魂」であった、そして幕府から与えられた鎮魂、それも「源義経の魂を鎮める」というミッションが芭蕉の -
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能や論語などの古典をベースに、教養や知性についての対談を書籍化したもの。タイトルに変調とあるように、一般常識では見られない解釈や解説が非常に面白い。「不惑の惑は、本来は域であり、枠にとらわれるなという意味」「教養とは、外部に開かれた小さな窓枠。内部の言語のみで説明できるわけがない」「笑いは割らい。その場の雰囲気を割って変化させるもの」「自由とは不安定。四つ足から二足歩行となり、さらに飛ぼうとしている」「雨粒を感じようとする動作を制御して行うことはできない」「矛盾はあって当然。最強の矛があったら世界は終わる」「事象の背後に見えないパターンを見いだすことが戦略」
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えーーーっ大げさな!と感じるところもあったし全てそのまま信じることはできないけど、これはこれでめっちゃ面白い視点だと思った!!
RPG風に見ると、詩魂を集める旅で、ミッションをコンプリートした芭蕉は平泉以降はお気楽な旅に転ずるっていうのも納得できた。
うまく言うなぁ~!
確かに、パワースポットで泣いて鎮魂の力を蓄えたのかも。。。
そして能は詳しくないんだけど、影響しているんだとしたら、、、古典とのつながり=パラレルワールドのスイッチ押して、心が昔に飛んでいってさめざめと切なくなってしまう、、、という気持ちは日本人ぽくて頷けるなぁ。
古典の登場人物って、デジャブ的場面ですぐに「あぁこんなんだっ -
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「古典」として著名な「論語」「中庸」取り上げ、人それぞれの環境において「解釈」することだ、と言う。「切磋琢磨」では教祖うる事ではなく、自分の在り方に合ったやり方で自分を磨くこと、であり、「温故知新」では古いものを大切にする事だけではなく、古いものを知ることで新たな視点・考え方を生むだすことだ、と言う新たな「解釈」をすることが「古典的魅力を引き出す」手法だと教えている。中でも「中庸の5つの理解」(博学:知の空白を一つ埋めていく、審問:詳細な問いを立てる、慎思:じっくり思考する、明弁:答えを分けていく、篤行:丁寧に行う)である現代的な解釈をしてみると、疑問を持ち、詳細を調べ、思考し、仮説を立て、実
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「100分de名著」で安田登氏が講師でらせん訳の源氏物語を9月現在やっているが、第一回目からとても面白かった。元は高校教師、代理で能を見に行って開眼し能役者になった、という経歴を知り読んでみた。安田氏が体得した能をかみ砕き説明してくれる。最近は能、謡、鼓にとても興味が湧いてきているのだ。
メモ
能の効能
1.「老舗企業」のような長続きする組織づくりのヒントになる ~「初心」と「伝統」である。世阿弥・観阿弥の言葉「初心忘るべからず」は、「初」=まっさらな生地に、はじめて刀(鋏)を入れることを示し、「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな -
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能楽師である著者が、日本の伝統的な身体観についての考察をおこなっている本です。
われわれが、西洋の科学的で分析的な身体のとらえかたになじんだ結果、自分自身の身体についてのもっとも直接的な知をうしなってしまっているのではないかという問題提起から、議論がはじめられています。そのうえで、著者自身がその伝統の一翼を担っている能についての例などを引きながら、分析的な身体についての知識によっては見えてこない、生きられた身体知のありかたが論じられています。
「生きられた身体」というテーマについては、市川浩や中村雄二郎、竹内敏晴といった論者たちが考察をおこない、近年では鷲田清一や内田樹などの思想家たちも関 -
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ネタバレ中高で古典を勉強していたときは習いたての文法を使いながら問題の正答を出すことに必死だったし、生き方についてそんなに悩んだりしてなかったから物語の主題について深く考えることが出来なかったけど、
今になってライトな入門書的な本書を読むと趣味の読書として、古典を読みたくなった。
人生に大切なことがたくさん書いてあるんだろうなぁ 大学受験時でさえ正確に文を読めた試しはあまりないので原文ままをいきなりは難しいので最初は現代語訳かな、、
・切磋琢磨についてp43
『切磋琢磨とは、あるものに手を加えて付加価値をつくることなのです。しかし、たとえばダイヤモンドを磨く研磨機で真珠を磨いたら、真珠は台無し -
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下掛宝生流の能楽師、異才、安田登さんの雑誌連載を基にしたエッセイ集。能のワキとは「分く」から来た言葉で、あの世とこの世を分かつ存在、境界線に立つ存在だという。そのワキ方の安田さんが、能と旅と古典について記したエッセイは、まるで夢幻能のように、過去と現在、現実と幻の境界が曖昧になっていく。
一ノ谷で肩に止まった赤トンボから平家を視る。旅先で会った古老から疱丁の包丁さばきを幻視する。ほうきや麻雀牌から隠れた意味を見出し、松尾芭蕉の歌を脳内ARに再生させる。
こうしたことは誰にでも起きていると安田さんは言う。ただ、それに気づくか気づかないかだけだ、と。古典芸能や古典文学に触れることは、早回しのよ -
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観賞する機会があったので、お能について詳しく知りたくて、ストレートなタイトルのこの本を手にした。著者は言わずと知れた安田登先生。お能がなぜ650年もの間、途切れることなく続くことができたのか、その理由に迫っていく。お能の演目や観賞法、歴史など、いわゆる王道の入門書を期待した人にはおススメではないかも。
他の方も書いておられるが、私も印象に残ったのは「初心忘るべからず」の本当の意味。古い自分を裁ち切り、新たな自己に生まれ変わる。それを時々、老後と絶えず繰り返すということ。能楽師はもちろん、お能という芸能も、自分を顧みて、変化して、伝統になった。深い。