山竹伸二のレビュー一覧
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承認不安からの脱却
集団的承認も親和的承認も得られない時は自己承認をする(社会一般の常識理解があれば可能、吟味は必要)
→普遍的自己承認
不安は危険な状況に対する無力への抵抗であり、危険を避けるように知らせている
不安が生じる→不安な自分を自覚→自己価値の低下を予感→ますます不安になる
不安の悪循環
高齢化社会でますます、障がい者や立場が弱い人が増えていく中、それを下に見て優越感に浸っていることことそが承認不安による言動
その存在を否定することは民主主義を否定することになる
存在の承認が今後の課題
学校や職場は競争意識から優劣をつけて、行為の承認ばかりを育ませてしまっている
相互ケア社会 -
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ネタバレ休職期間の今読めて良かったと思う本だった。
メンタルに関する今まで読んできた本は「ストレスを発散しましょう」「べき思考は改善しましょう」みたいに「言われなくても分かってるし、できたらやっているよ!」と言ってしまいたくなるアドバイスが載っているものが多かった。
この本は「(承認)不安」にスポットライトを当てて、メカニズムや対処法を説明していて腑に落ちる記述が多かった。
中でも個人的に印象的だったのは以下の三つ。
■不安による不安
「不安による不安」によって悪循環が加速していくというのは、何となく自分でも自覚していたけれど、不安の現象学として整理されていて、そのように感じるのは自分だけでは無いと -
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特に木村敏さんの「精神病理の時間論」という章が刺激的な内容だった。
木村敏はこうした医学的人間学を評価し、精神病とは「生命それ自身」の関係が失われた状態なのではないか、と考えるようになった。そして、個人や個体の世代ごとに区切られた不連続な生命、個体の有限な生命を「ビオス」、生きとし生けるものすべてに受け継がれてきた根源的な生命、個体の分離を超えて連続する生命を「ゾーエー」と呼んで区別するようになる。
「私」は個別の生命であるビオスだが、同時に根源的な生命であるゾーエーにも属している。たとえば、自分の存在を内部から見た場合、私は一回きりの人生を生きている交換不可能な独自の存在である。しかし外部 -
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「子育ての哲学」山竹伸二
教育論。ベビーピンク。
一言で言うとよい子育てとは、「子供が自由に生きられるようにする」ということ。
この要旨を導くためにわれわれ自身が子育てに対して感じている不安、願望、現実を考察しながら、かつわれわれ自身が通って来た道である子供の心を洞察し、社会における子育てへの期待を検討して論を進める。
子育てというと多分に感情を挟んでしまうことが多く(理性で検討することそのものを感情で一律に排除してしまうきらいすらある)、「子供のため」という盲目的な没論理で自分も子供も追い詰めてしまうイメージがある。
本書ではそのような感情の存在自体を認めつつ、冷静に、現象として見たとき -
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【「空虚な承認ゲーム」からの脱出】
承認欲求の話です。
心理学的なことばかり書かれているかと思っていたので、こんなにわかりやすいとは驚きました。
社会学の知識が少しある方はさらにわかりやすく感じるかも知れません。
昔は特定の価値観が共有されていたので、承認欲求は割りと低めだったらしいのですが、近代社会は宗教的な価値観の絶対性はゆらぐし、交通が便利になってしまって海外からの考え方もたくさん手に入るようになってしまって、何を信じればいいのか分からないと言った状況らしいんです。
だから、新型うつ病などと呼ばれる新しい症状が出たりすることから顕著なように承認不安の時代となってしまって、他人の承認を -
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承認への欲求がかつてないほどに高まっている。そんな時代である。しかも人々が欲する承認は「見知らぬ他者」からのものではなく「身近な他者」によるものであると著者は説く。自らの生きる意味・存在価値を常に希求する人間の根底には、無意識にせよ常に誰かに認められたいという潜在的な欲望が横たわっている。身近な他者からの「親和的承認」を得ることに奔走する人々の背後には、近代社会の到来における価値観の多様化によって「自由への欲望」と「承認への欲望」の両立に苦しんできた近代人の姿がある。最終的には親和的承認へと傾斜していく欲求を自覚し、「自己了解」と「一般的他者の視点」の獲得に能動的に取り組むことでこの「自由と承
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ネタバレ現代は承認の不安に満ちた時代である。自分の考えに自信がなく、絶えず誰かに認められていなければ不安で仕方がない。ほんの少し批判されただけでも、自分の全存在が否定された絶望してしまう。そんな人間があふれている(P8)。仲間の承認を得るために自分の本音を抑え、仲間の言動に同調した態度をとり続ける若者は少なくない(P10)。
他の考え方を持った人々の意見にも耳を傾け、書籍やテレビ、インターネットを介してさまざまな価値観を理解し、なぜそのような考え方をするのか、その理由を考えるようにすること。そして、そこに共通了解を見出そうとすること。その繰り返しが、「一般他者の視点」による判断力を培ってくれるだろ -
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ネタバレ承認不安の根底にあるものとして、存在の承認と行為の承認の不足、と捉えるのは簡単なようで中々出てこない考え方かと思う。その克服として、まず親和的な間柄の人から存在の承認を得られると良い、ということも妥当と思う。個人的には、現代の社会は子供の頃から子供を値付けし過ぎている(南直哉さんの言う子供の商品化)と感じていたので、「条件付きの」行為の承認にどっぷり浸からせてしまっている考えは納得がいく。
とは言え、著者の意見の通り、これを解消するのは簡単ではない。まず無条件で存在を承認してくれる存在が必要、というのは確かにその通りなのだが、その当たり前のことが難しいのだ。特に、スキルや才能を磨いて自分に投資