山竹伸二のレビュー一覧
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刺さったとこ3点
・P107
スケプチシズムについて
あれこれと他人の批判ばかりをして、自分だけはわかっている、自分だけは特別だと思い込んでいるあり方。
→心当たりありすぎてドキー!!
・P118
「言葉では否定しながら、実際には抱きしめている」という逆パターンのダブルバインド状態
→うちの母親がこれだったかも
・P160
現代の「自分探し」とは、こうした親や所属集団の抑圧から「本当の自分」を解放しようという試みであり、それは同時に、新たな承認の可能性を求める当て所のない旅なのである。
→私のこと書いてる?てくらい私
他にもあったけど、改めてこの辺りの自認ができた。
幼少期の経験と自己 -
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兵庫県都知事選後のマーケティング会社社長の自社PRのような発信が承認欲求がつよいと言われていることでこのワードが気になった。
自分の強い憤りが発生する発端は、この承認欲求からでは?と思いこの本に行き当たった。
承認欲求は、親和的、集団的、一般的に分けられると言う。
私はこの分類だけでもまずとても自己理解ができた。家の中で認められている感じがしていなかったことから、集団や一般的な承認を求めてしまっているなと思ったから。
自分の思考を客観的に知るためにこういう本は本当に必要。
自分の歪んだ承認不安を認識し、
自己ルールを一般的他者の視点でみてみる。
まだ対策案のところは、イメージがわききれな -
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優れた心理臨床に関する理論は、その理論を生み出した人間の人生、実存問題、人間観が深く関わっている。
何か物事を考える時、結局私たちは、自分の経験に基づいてしか考えること何できない。
動画やテレビ、本などで、色々な事象や概念、気持ちを知ることはできるが、結局のところ、深い洞察ができるのは自らの体験である。
森田正馬
森田療法の原点も、森田自身の経験である。目の前にあることに打ち込めば、他のことは気にならなくなった。勉強に没頭することで、自分の身体に対する気掛かり、病気の心配も忘れ、神経症的な不安や恐怖は消滅したことに起因している。
他の治療者と違う点として、著者は「森田療法は治療者と対患者を含 -
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さまざまな承認の場面を想像してみて即座にわかるのは、「認められたい」という欲望の充足に不可欠なのは、何といっても他者の存在である、ということだ。あたりまえではあるが、承認欲望は他者がいなければ決して満たされない。
だが他者といってもいろいろある。家族や友人のようなごく身近な存在もいれば、学校の同級生や会社の同僚など、一定の目的を共有する仲間もいる。近所の顔見知り、会ったこともないネット上の知り合い、そしてほとんど知らない人々まで、実に多様な他者が承認欲望の対象となる。そこで私は、これらの他者を関係性の違いから三つに分け、それぞれ「親和的他者」「集団的他者」「一般的他者」と名づけようと思う。 -
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P.32に「考察にあたっては、ドイツの哲学者エトムント・フッサールの〈現象学〉という考え方を使います。」とあるから楽しみにして読んだ。しかし、自分の現象学の理解が甘いからなのか、別に現象学を持ち出さなくても良いような気がする。子育てのそれぞれの場面について深い考察をしていき、最終的によい子育ての条件を提示する本書であるが、随所に哲学的ワードは出てくるもののことさらにそれを気にする必要もなく、別の言葉に置き換えてもよいような気がする。少し言葉が難しいだけで、言っていることはそんなに難しくはない。
哲学、というワードに期待しすぎたのかも知れない。 -
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ネタバレ<メモ>
・ 身近な人間だけに認められたい若者
・ 今は社会の価値観が多様化してきているため、何をしたら認められるかわからなくなっている…コミュ力重視の社会
不可欠な「他者」の存在
1.親和的承認・・・ありのままの私、無条件の愛 ex.家族・友人・恋人
存在そのものへの承認、自分ではどうにもならない(片思いなど)
2.集団的承認・・・集団への貢献、知識・技能
集団の人間が評価する行為、求められる役割を果たすなど努力で手 に入れられる ex.学校・会社
3.一般的承認・・・見知らぬ大勢の人
献身的な人も無意識に「一般的他者の視点」から内省している
家族で疎外されている人が仕事