斎川眞のレビュー一覧

  • 天皇とは北極星のことである

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    ネタバレ

    「天皇」とは、「天の輝き」という意味で、晴れた日の夜の北の空で、この星(恒星)だけは動くことなく、小さく輝く星である。その周りを他の衆星(恒星たち)すべてが回っている。即ちこれが北極星(The Polar Star:ザ・ポーラー・スター)である。

    古代の日本、皇室の方々のこと、古代中国、朝鮮半島等と日本の関係、668年の日本国の成立・建国以来の日本国の国王様の「天皇」というコトバは、中国史上唯一の女性皇帝である「則天武后(武則天)」が660年に正式に使い始めた、と「旧唐書」に書いてあるのを、移入(採用・借用)して日本国の称号として使った。

    ”中国史で唯一の女性皇帝の則天武后の方は、後世に伝えられているのとは全く逆で、実は大変、民衆や周囲の人たちに救世主、女神のように慕われていた、偉大な女帝だったらしい。
    それは、女性が六十年もの長い支配(統治)を続けたこと、洛陽の龍門石窟に製作された、ひときわ大きく優美な大仏の像の柔和な女性の顔の大仏像「奉先寺大仏」や、武則天の命令によって幽閉されていた息子二人が、母親の死後、それぞれ最大限褒め称えた尊敬の諡号(おくり名)を与えたことなどから、周りや民衆たちからとても崇拝されていたとしか説明がつかない。”
    と本に書かれています。

    いろいろな意味で、”六六三年の白村江の戦い”が、古代日本にとってとても大きな影響があったことは明らかなことです。
    森嶋通夫さんや本書からも、それまでは北九州の「倭国」と近畿の「大和」の2つの大きな勢力が古代日本にあり、「倭国」の貴族・有力者たちが唐と新羅の連合軍に”白村江の戦い”で大敗し、「全滅」もしくは「滅亡」「衰退」していき、そして近畿地方の「大和」が日本を統一し、今に続く日本国が誕生し、日本国王、天皇号、ご皇室の方々として現代までに継続してきている。
    という説がいちばん説得力があります。

    ちなみに森嶋通夫さんの本では、”白村江の戦い”の結果、古代朝鮮半島から日本に、大勢の「百済」出身の王族や貴族などの高貴な一族で家柄と育ちの良い男女の方々が逃れてくることになり、当時の日本の皇室関係の男女の方々たちは優先的にそうした人達と婚姻関係を結んでいったと書かれています。

    また、わたしが”白村江の戦い”にとても興味があるのは、どうしても、いまの日本、台湾、中国、韓国、北朝鮮などの東アジアの状況が、古代の東アジアの状況ととてもよく似ていると思うからでもあります。
    古代と異なるのは「台湾」の存在です。古代には今の「台湾」の地には、大きな勢力は存在がしていませんでした。

    最近はとても台湾と中国との危機が報道されています。
    もしも中国が軍事侵攻をしたとすれば、実際に戦って、中国人と殺し合いをしていくことになるのは、アメリカ人達ではなくて、地理的に中国と近い、「いまの日本人達」になってしまうと思います。
    つまり今の日本人達がたくさん、殺されたり、身障者になってしまう可能性が高いのです。
    そういう方向にならざるを得ないように、アメリカに唆されてしまうことになる可能性が高いと思います。

    邪馬台国が男女の奴隷と貢物をもって中国に朝貢していた。
    古代日本が日本国内に立て籠もり、国内を整備していく話、立派な政治を行われた日本史上初の女性天皇の推古天皇様のことや、古代日本の大秀才たちが遣隋使、遣唐使として命懸けで海を渡っていったことの話を読めたことは、とてもよかったです。

    大和朝廷はもともとは部族の長であった、白村江の戦いの結果、倭部族が衰退していき、大和部族が日本国家の長になった。そして中華帝国みたいな国を作るぞ、と決意し天皇を長とする律令体制の国家体制を作り上げた。

    天皇様が今も続いている理由のうちには、日本には天皇を打ち倒して、自分自身の権力を唯一無二のものにするという政治思想を持っていなかったことや、結果として天皇様は直属の軍をずっと持っていなかったので、自分の軍隊を率いて、みずから合戦に行くということもなく、軍事抗争からも超然としているような存在が続いてきた。

    斎川眞さんが、”日本は、本質的に、千年間何にも変わっていないのである。日本が、今日、ぶつかっているような問題はすべて、八世紀の律令の時代に現れている。”と書かれています。

    「大和」というのは「大きな平和」という意味、「大きな平和、秩序即ち大和を喜ぶ」という東アジアの歴代の支配者(皇帝)たちの支配感を、日本に持ってきて、奈良の「やまと」という地名にかぶせた「大和」を無理矢理「大和」と読むことにした。

    わたしは古代日本の皇室の方々たちはとても立派な方々たちが多かったと思います。

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    2022年09月04日
  • 天皇がわかれば日本がわかる

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    [ 内容 ]
    天皇の称号はいつ成立したのか。
    天皇はなぜ続いてきたのか。
    この疑問にただちに答えられる人は多くはないだろう。
    天皇を長とする古代律令国家は、経済変動のために崩壊し、公家政治から武家政治へと時代は移ったが、それにもかかわらず、天皇と律令システムの正統性は失われなかった。
    明治の日本は律令国家の直系の子孫であり、じつは今の日本もれっきとしたその跡継ぎなのだ。
    ウルトラ混合政体にいたる日本国家の本質とその由来の謎をはじめてわかりやすく解き明かす新・日本学入門。

    [ 目次 ]
    第1部 天皇という称号(「天皇」とは、そもそも法律用語である。;「天皇」とは、「北極星」のことである;君主の称号とは、臣下が献上するものである;日本の天皇号は、臣下が献上した;天皇は、「倭の五王」の子孫である;天皇の統治は、高天原の神の委任である;天皇の「姓」は、宮号である)
    第2部 中国と日本(「冊封体制」とは何か;冊封体制とは、中華帝国の世界秩序のことである;天命思想とは、王朝交替の思想である;日本は、中華帝国に朝貢して、世界史に登場した;遣隋使・遣唐使は、中華帝国の官職・爵号はいらないと伝えた;日本という国名は、律令体制に伴ってあらわれる)
    第3部 日本律令国家(日本は、中華帝国のような国家になりたかった;日本は、律令を作るために、中国から律令の写本を運んできた;日本の血統原理の正当性は王朝交替思想を排除して成立した;律令国家は、行政指導・官僚統制型の国家である;結論 そして、国家の枠だけが残った)

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

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    2014年10月30日
  • 天皇がわかれば日本がわかる

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    たまたま読みました。
    律令制があんまりわかってないからすんなりは読めませんでしたが、中国の真似をして小中華を作ろうとした結果+易姓革命の考えは除外した結果であるということはわかりました

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    2024年06月23日
  • 天皇がわかれば日本がわかる

    Posted by ブクログ

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    倭国は、国内体制の整備をしなければならなかった。それは、前述したように、朝鮮半島から追い落とされてしまったためである。

    その結果、日本国内に立て篭もらざるをえなくなり、国内政治システムの整備が、重要な政治課題になった。同時に、「日本とな何か」という国家としての自意識の確認や高まり、つまりアイデンティティをはっきりさせるという動きが出てきた。これが、王権の歴史の確認になる。官僚制度の整備と、新しい君主号の採用が、ここで結びつく。74
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    『日本書紀』推古天皇十六年(六〇八)九月五日条に、隋の皇帝・煬帝に宛てた国書が載っている。十五年の遣隋使が、四月に隋の使節を伴って帰国し、九月に隋使が帰る時に託した、煬帝宛ての国書である。

    国書の書き出しは、「東の天皇、敬んで西の皇帝に白す」となっている。ここでは、もはや「天子」でも「皇帝」でもない。ましてや「倭王」ではない。ここでは、はっきりと「天皇」号が使われている。75
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    倭国には多くの国があったことがわかる。そして、「大倭王」は、「邪馬台国」に都を置いていた。つまり、倭国は連合王国だったのだ。しかも、それらの国はすべて世襲王権であったことが、明らかとなった。

    そうか、わかった。倭国(日本)は、もとから世襲の国だったのだ。146
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    大和王権がめざしたのは、天皇を国家の長とする律令体制である。律令体制は、中華帝国が行っているような政治に基づいたシステムである。

    中華帝国風の律令体制を採用すると、制度上、国家の形は、自分の国が、宗主国・覇権国になる。つまり、中華帝国と同じような体制になる。これが小中華帝国である。とにかく、小といっても、中華は中華である。152
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    当時の倭国が決心したことは、「私たちは、日本列島に立て籠もって、日本という中華帝国によく似た国家を形成するぞ」なのである。だから、日本は、中華帝国の冊封体制に入らないだけでなく、中華帝国の勅諭も聞かなかったのである。162
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    「日本」という国号をいつ決めたのかという史料はないけれども、大宝律令と養老令から、「日本」が律令体制とともに現れることだけは確実にわかる。

    「日本」という国名は、大宝律令以来、ずっと使われてきている。165
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    日本は、中華帝国のような国家になりたかった。これが、日本の強い望みであった。

    この中華帝国によく似た国家が、天皇を国家の長とする日本律令国家である。170
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    王朝から王朝に替わる時期というのは、戦争です。その覇権争奪戦に勝たないといけないわけですが、このときに、「徳」によって「天命」を受けたという主張が必要なのです。

    政治的人間たちは、統治される人々を説得しないといけないのですが、それに先立って、まず自分を説得、つまり自分で思いこまなければならないのです。

    政治思想というのは、最終的には、支配の事実をどう合理化するか(もっともらしい理屈をつけること)ということなのです。191
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    中華帝国の「徳・天命・王朝交替」が、セットになった政治思想が、日本に入って来ると、まずいことがわかる。

    日本には、思想が希薄だから、あまり心配ないと思っても、万が一ということがある。だから、本家本元の中国の律令にある、王朝交替の思想に基づく条文を、日本律令は自覚的に削除している。192

    いまここで大事なのは、「議賓」である。193
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    律令国家は、行政指導・官僚統制型の国家であった。律令国家は、国民に行政指導をおこない、国民と経済を国家の統制のもとに置こうとした国家である。198

    律令政府とその後の政府が、なぜ国民に行政指導をしたのか。それは、一言でいえば、現在の企業のようなものがなかったからである。199

    行政指導は、せいぜい明治政府の行政、あるいは戦時統制経済くらいのところにあると考えているであろう。しかし、この行政指導は、律令国家以来の一千年の伝統があって、現在につながっているのである。200

    行政指導・官僚統制型の国家にならざるをえなかったのは、中国の律令を導入したためである。ということは、行政指導と官僚統制が、東アジアの伝統だということである。202
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    なぜ、政治家よりも官僚のほうが、エライとおもえるのだろうか。それは、日本では、政治家というのは、部族制の昔からずっと、王の臣下である官僚たちのことだったからだ。長らく日本では、国会議員などではなくて、官僚そのものが、政治家だったのである。226

    簡単に言うと、官僚と政党政治家は、それぞれ所属する部族が違うのだ。227
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    明治から昭和の敗戦までを見ても、文官官僚であれ軍事官僚であれ、官僚上がりで、政治家になった者たちが、出身母体であった官僚たちから疎まれて、協力して貰えないことがよくあった。

    その原因は、もとの部族をはなれると、部族外の人間になってしまうからである。

    「陸軍あって、国家なし」「省益あって、国益なし」「局あって、省なし」、あるいは「課あって、局なし」などと言われたことはすべて、サブ・システムに実権が移っているということを言い表しているのである。227
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    拡大部族制+律令制+イギリス+プロシャ型政体+アメリカ型政体225

    日本が、拡大部族制をベースにした混合政体であることを理解すれば、日本のことは、わかるのである。228
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    2015年11月02日