本書は、日本思想史を専門とし
現在は一橋大学大学院講師である著者が
『鞍馬天狗』で知られる昭和の作家・大佛次郎について論じる著作です。
吉野作造やクロポトキンらの洗礼を受けた学生時代
アメリカニズムにも、プロレタリアにも組しなかった戦前、
作家としてのあり方について葛藤しつつも、日本の勝利を願い信じ続けた戦時中
そして、「戦後」に絶望し保守主義へと転じた晩年
筆者は、大佛の生涯を追いつつ
鞍馬天狗以外の作品や日記等も参照することで、
一見相反するような思想・信念が、
一人の作家の中で、複雑に混在していたことを明らかにします。
鞍馬天狗と坂本竜馬の関係や
戦時中の小林秀雄、川端康成、里見クらへの想いなどはもちろん
戦前・戦時中の楠木正成の美化については、大佛が疑問を呈していた
―などの記述はいずれも興味深いのですが
なかでも、最も印象的だったのは
生麦事件を扱った『鞍馬天狗敗れず』についての記述です。
軍国主義の時代においても、時代小説のスタイルをとることで
自由主義を体現することに成功したと評される『鞍馬天狗』シリーズ。
しかし、敗戦色が濃厚になる中で描かれた『鞍馬天狗敗れず』の背後には、
無駄死にへの戒めと日本の勝利、愛国心と体制への怒り―
それらの狭間でのすさまじい葛藤があったという指摘は、
一人の作家論としてだけではなく
抑圧の時代において、一個人としていかに身を処するか
という観点からも、とても示唆に富んでいるように感じました。
これまで、自由主義者の側面が強調された大佛について
新たな視座を提供するとともに、より深遠な洞察を加えた本書。
大佛の小説や鞍馬天狗に興味がある方に限らず
多くの方に読んでいただきたい著作です。
補~勘違いでなければ、280ページの「1948年」は「1848年」だと思うのですが・・・