近藤紘一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「そしてその東南アジアの魅力を生み出すものは、多少重複するが、この地域のそれぞれの国で見られる人間らしさである。新聞記者というむしろ「現象」を追う身でありながら、そこで見る私の興味は、実際にこの地域で生きる人々の生き方やその喜怒哀楽といったようなものに注がれ続けた。」(あとがきより)
27の随筆であり、紀行文であり、ルポルタージュ。近藤さんの遺作です(あとがきは死の3日前、病床で録音されたもの)。バンコク特派員(当時)という仕事柄、ベトナムに限らず、タイ、ミャンマー、カンボジア、フィリピン、ブルネイ、シンガポール、インドと舞台は多岐に渡り、同じくアジアを愛する自分にとっては教科書のような本で -
-
Posted by ブクログ
戦後日本人として初めてカンボジア男性と結婚し、その後1975年から1979年までのポルポト政権時代を生き抜いた内藤泰子さんのルポ。
「奇跡の生還!」というニュース性の高さにより、殺人的なスケジュールを通して執筆・刊行されたため(新聞連載をもとに2週間で書き上げられたらしい…)、近藤さんの他の著作と比べると荒削りな部分もあるけれども、その描写と当時のインドシナ情勢に対する指摘の数々は、出版から30年経った今でも十分に読者を唸らせる力があります。
P.S.
ポル・ポト政権ことクメール・ルージュ支配下のカンボジアに残留した日本人は7名。そのうち5名は死亡または行方不明。内藤泰子さん(夫と2 -
-
Posted by ブクログ
自分にとってベトナム戦争は歴史上の事件を脱するものではなかった。生まれた頃には既に過去のものであったのだから仕方がないのかもしれない。ゆえにベトナム戦争に対する認識というものも知識としてのものを脱しなかった。サイゴン陥落という重要な局面を当地で迎えた近藤氏によるこのルポタージュはどうしても白黒にしか見えないこの戦争に色を付けてくれた気がする。事実を述べるだけでなく、サイゴンの市民に対する視点がさらにその内容を豊かなものにしていることも指摘できる。いずれにせよ、サイゴンの湿気をともなった暑さを読みながら感じさせる一冊であり、一度この本を手にしてサイゴンを訪れてみたい。その際は是非マジスティックホ
-
-
Posted by ブクログ
「近藤紘一」ので1979年の第10回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品『サイゴンのいちばん長い日』を読みました。
『目撃者―「近藤紘一全軌跡1971~1986」より』、『サイゴンから来た妻と娘』に続き「近藤紘一」作品です。
-----story-------------
目前に革命政府軍側の戦車が迫っていた。
南ベトナム政権が消滅する瞬間を目撃した数少ない記者の一人が、混乱の只中で見た戦争の国に生きる人間の悲しみとしたたかさ。
1975年3月23日、サイゴン(現・ホーチミン)の空港に降り立った新聞記者が同5月24日、サイゴンを去るまでの2ヶ月間に体験したのは……
窓を揺るがす爆発音、着弾 -
Posted by ブクログ
近藤紘一(1940~1986年)氏は、早大文学部卒業後、サンケイ新聞社に所属し、1971~74年サイゴン支局長、1978~1983年バンコク支局長として東南アジアを中心に活動した、ジャーナリスト、ノンフィクション作家、エッセイスト、小説家。
1975年に出版された本書(1985年文庫化)は、同年の大宅壮一ノンフィクション賞の最終選考まで残り、次作の『サイゴンから来た妻と娘』で1979年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。
本書は、1974年にサイゴンから帰任後、1975年3月25日~5月23日に、臨時特派員として再びサイゴンへ派遣され、南ベトナム無条件降伏、サイゴン陥落を経験した際に、 -
-
Posted by ブクログ
新聞記者の近藤紘一氏による、ベトナム人の妻と娘との日常を描いた作品。
近藤氏は1971年からベトナムへ派遣され、現地の女性とその一族と同棲生活をしていたが、1975年のサイゴン陥落をきっかけに、女性とその娘を連れ出国し東京での暮らしを始めたのであった。
作品の中では、日本人とベトナム人の文化や気質の違いが非常に多く描かれている、互いの主食であるお米の違い、子供の教育方針、性に関する事などなど。もしかしたら近藤氏の奥さんが特別短気な人なのかもしれないが、ベトナム式の子育ては超スパルタである。
メコンデルタのように豊穣な穀倉地帯を抱えるベトナムでは、それほど必死に働かなくても食うには困らなか -
-
-
-
Posted by ブクログ
1975年3月30日のサイゴン陥落前後を、まさにそのサイゴンで過ごした近藤紘一さんのルポ。ベトナム戦争ってあまり知らないし、そんな自分が植え付けられてきた知識というと、枯葉剤とかベトちゃん・ドクちゃんだったり、ボートピープルだったり、あるいは「プラトーン」「7月4日に生まれて」のようなとにかく悲惨としかいいようのない世界なのだけど、現代のベトナムの様子を見たり、そしてこの近藤さんの本を読むと、決してそうではないのだろうと思えてくる。
近藤さんの筆は、いわゆるニュースな話もあるのだけど、緊迫したなかでもしたたかにその日を生きるサイゴンの街の隅の様子を、普通の人の姿までを書いている。それは、記