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Posted by ブクログ
戦争前夜までの記者らのゴタゴタのみならず、サイゴンという街のいとおしさ、妻への思い、記者としての歴史が変わる瞬間をみることへの渇望など…。想いがストレートに、整理されずに述べられていて、惹き込まれる。
静かな政変(?)だったとはいえど、さまざまな混乱があり、血も流れたこともわかる。
著者の心の揺れも、人々も、ピュアに記されている面白さがある。
戦争というものへの複雑な見方も印象的。もちろん多くの命が失われ、不幸も多く作る。しかし戦争がベトナムの国民性を露にしたのも事実。価値判断次第で色んなものがみえるし、ベトナムの強さも窺い知る。
生々しくまるごとを見せつけて考えさせてくれた、極上のジャーナリズムの一冊。この本が世の中に出て良かった。
Posted by ブクログ
ベトナム戦争というと、小学生の頃の記憶しかないが、遠い国の出来事ながらとても不安な気持ちになった事を思い出す。あのころは、とにかく反共産主義というキーワードしかなく、当然ベトナム戦争もその概念でのみ語られていた。そういう意味では、サイゴン陥落というのは衝撃的であり、子供心に世界はこれからどうなってしまうんだろうと不安になった事を思い出す。そういう気持ちで本書を読むと拍子抜けする。ここに描かれているのは、サイゴン陥落という大事件の中でも逞しく、図々しく生きていく庶民の姿であり、ある意味明るい姿である。サイゴン陥落でベトナムは共産主義国家になったと一般的には解釈されているが、実態は必ずしもそうではない事が分かる。北と南に別れていても同一民族であるし、逆に同一民族にもかかわらず、必死に生きた北に対して、アメリカに甘やかされた南、という構図もある。あれから30年以上もたって、やっと自分が抱いてきた漠然とした不安が、少し和らいだような気がする。返す返すも、著者が早くに亡くなられた事が悔やまれる。
Posted by ブクログ
近藤紘一の本を続けて読む。
「サイゴンから来た妻と娘」「目撃者」、それと、この「サイゴンのいちばん長い日」の3冊。
近藤紘一は、サンケイ新聞の記者だった。
ベトナム戦争中のサイゴン(今のホーチミンシティ)に記者として滞在し、そこで知り合った子連れの女性と結婚、サイゴン駐在が終わった後は家族で日本で生活。その時のエピソードなどは、「サイゴンから来た妻と娘」にまとめられている。
「サイゴンのいちばん長い日」はサイゴンが陥落した1975年4月30日前後に特派員としてサイゴンに滞在していた近藤紘一のサイゴン陥落レポート。
近藤紘一ご自身は、残念ながら46歳の時に、ガンで亡くなられている。
以下、近藤紘一の本とは離れる部分が多いけれども、ベトナムに関しての、僕自身の雑感・雑記。
ずいぶん以前、もう20年くらい前の話だけれども、一度だけニューヨークに行ったことがある。
せっかくなので、ということで、ブロードウェイのミュージカルに連れて行ってもらった。その時に上演されていたのが「ミス・サイゴン」だった。
筋はほとんど忘れているのだけれども、主人公のベトナム人女性がベトナムに駐留していたアメリカ人と恋仲になるが、サイゴン陥落を前に、そのアメリカ人は大統領府からヘリコプターで脱出をするというところで、第一部が終わっていたような気がする(全く違うかもしれないけれども)。
更に細部になるけれども、そのヘリコプターで脱出するとき、サイゴンでは市街戦が戦われており、ヘリコプターでの脱出は「命からがら」というものであったような記憶があるのだ。
しかし、それは間違いであることを「サイゴンのいちばん長い日」を読んで知った。
サイゴン陥落前には、サイゴンではほとんど市街戦が戦われていないのだ。
北ベトナム軍のサイゴン入城は、ほとんど無血入城であったというのが、実際のところであったのだ。
1975年というと、今から37年も前のことであるが、ベトナム戦争というのは、当時、(僕の感覚では)イデオロギー的に、ひいては東西陣営の代理衝突地点として世界中の注目を浴びていた出来事であったようだ。
近藤紘一の本を読んでいると、北ベトナム軍がサイゴンを「解放」した、すなわち、サイゴン陥落はベトナムにとって良いことであったというのが日本のマスコミの主要な論調であったようだ(近藤紘一自身はそれに対して全く賛成していないが)ということを読み取れる。
サイゴンには2回行ったことがある(もちろん、最初に行った時には既にホーチミン・シティと名前は変わっていたが、ここでは話の流れ上、サイゴンで通してみる)。
1回目は、上記のニューヨークで「ミス・サイゴン」を観た足で、日本に戻らずに訪れた。従って、同じく20年くらい前の話だ。「解放」により、共産主義国家となったベトナムは、カンボジアでの内戦への介入なども足かせとなり、長く経済的には停滞していた。「ドイモイ」政策と呼ばれる「開放」政策が導入されたのは、ちょうど、僕が最初にベトナムに行った頃ではなかったか、と思う。
初めて訪れたサイゴンは貧しいが活気に満ち溢れた街だった。中国の「開放」政策が全体的にはともかく、少なくとも部分的には急速な経済成長を促したように、ドイモイ政策がサイゴンを、ひいてはベトナムを豊かにしていくのだろうな、と思っていた。
しかし、ベトナムは中国ほどには経済政策を上手に運営出来なかったのだろう。
2回目、2009年に訪れたサイゴンは、20年前に訪れたサイゴンと印象はあまり変わらなかった。活気のある街であることは確かであったが、豊かさは(というか貧しさは)20年前とあまり変わらないように僕の眼には映った。それは上海等の中国の大都市が訪れるたびに都会になっていくことに驚くのと、対照的に思えた。
中国もそうであるし、タイもそうであるし、東南アジアの国一般がそうであるのだが、これらの国の経済のテイクオフは基本的に外国資本を呼び込むことから始まっている。タイには、そのためだけの役所があるくらいだ。
2009年にベトナムを訪れた時には、いくつかの工業団地を訪問した。ほとんどが外国資本の会社であった。それなりに外国企業の誘致には成功しているようではあるが、まだまだ絶対数が少ないだろう、と感じた。自分自身がベトナムに投資をするか、という目で見ると、インフラを考えると二の足を踏まざるを得ない。それは道路であり、港湾であり、電気をはじめとする用役といったハードばかりではなく、法律や制度といったソフトも含む。それらが、大きな投資をするには、とても危ういものに思えたのだ。
サイゴンには無血入城が出来たが、ベトナム戦争自体は悲惨な戦いであった。戦争終結後も、ボートピープル等の悲惨な人たちを生んでいる。
別に経済が絶対であるとは思っているわけではないけれども、これだけの悲惨な体験をしている国は、少なくとも経済で成功するくらいであって欲しいと思うが、そういう国家運営をまだ出来ていないように感じ、戦い等で悲惨な目に会った人が浮かばれないのではないか、という感想を持つ。
Posted by ブクログ
『キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち
上・下』もベトナム戦争の際の人間ドラマを描いたものだった。
こちらはベトナム戦争の報道に関わった人たちを題材にした作品
だったが、本書は著者の伴侶がベトナム人女性ということもあり、
ベトナムで生きる人々のサイゴン陥落前後の生活を描き出した名著だ。
取材で顔見知りになった南ベトナムの政府高官、パリ協定後に南に
駐留した北ベトナム軍の関係者、ベトナムに残る伴侶の家族、屋台や
露店で商いをする人々。
戦争という異常な状態にあっても、人間はたくましく生きている。
海外メディアという高みの視点ではなく、ベトナム人の視点で書かれて
いるような生活臭がある。再読でもやはり温かい気持ちにさせてくれる。
ルポルタージュやノンフィクションは、どんな良書であっても絶版に
なっていることが多いが、1985年に文庫版になった本書は未だ版を重
ねている。嬉しい限りだ。
さて、ヴェトナム戦争につきもののアメリカの悪口を。
「現実に、米軍は、自分がかき立てた戦火も鎮めず、しかも大量の
北ベトナム軍の南駐留を放置したままこの「協定」によって、
南ベトナムから雲をかすみと逃げた。少なくとも多くの南ベトナム人が
そう思い、この”裏切り”に激怒した。」
好き勝手に他人の国を荒らすな、アメリカ帝国。
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