篠田桃紅のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
フォローさせていただい
ているあの方にとっての、
まさに“聖書”のような一
冊。
あの、優しくて、静かに
胸を打つポエム調のレビ
ューは、どこから生まれ
てくるのか。
その秘密に、ほんの少しでも触れられるかもしれない──
そう思いながら、ページをめくった。
本って、すごいですね。
綴られたことばの一つ一つが、
私の中に波紋を広げる。
読み手の数だけ、掬いとるメッセージは違っていて、
それでも、どこか深いところでつながっているような。
この読書体験は、
まるで夜空に浮かぶ月を見上げているような感覚でした。
闇夜を照らす、静かな月明かりのように
そっと心に差し込んでくる言葉たち。
篠田桃紅さんの
『これでおしまい』
でも──
その「おしまい」は、
どこか、はじまりのようでもあって。
そして私は、自由の意味を、初めて知った。
だからきっと、何度でも、繰り返し読みたくなる。
テヘっ -
Posted by ブクログ
ネタバレコルベットさんの感想を読ませていただき、手に取りました。コルベットさん、ありがとうございます。
篠田桃紅さんという方、これまでほとんど知らずに生きてきてしまっていました。
107歳まで生きられて、自分の人生を振り返って発せられた言葉は、相当の重みと現実味を持って胸に届きました。
特に最後の方の芸術論が素晴らしかったです。
◯ルノワールのゴッホの絵、どっちがいいかと言われたらどっちにします?ルノワールとゴッホ、戦争になりませんよ。ルノワールはルノワールでいいんですよ。ゴッホはゴッホで良い。戦いませんよ。226
争うことを止めない人類が心に留めるべき考え方だと感じた。
◯絵というものは、現実を写すのではなく、現実が持っている夢や、怒りや悲しみのようなものを現実の中から引き出して、それを別の形に置き換えたものなのです。230
芸術の真髄を言い得ていると思った。
◯できるはずだと思い上がるから、行き詰まるんです。やってもやってもまだまだ何の表現もできていないから、行き詰まるなんて事は絶対にない行き詰まるはずがない。永遠にやったって、できないに決まっていることをやっているんだから。237
手痛い一言。バッハを弾いていると特にこれを感じる。
◯限られた道具で世の森羅万象を書くなんて事は不可能よ。なまじ色で具体的に表現するより、墨の濃紺だけで想像させる方がよっぽどいい。人々の想像力の方がずっと優れている。238
先日、「国宝」の映画を観てきた。映画自体は素晴らしいと思ったが、小説を先に読んでいたので物足りず、文字のみで表すことの奥深さ、終わりのなさ、人の想像力の壮大さを改めて知った。
◯余白の白は、墨に対立するということがない。ただ無為の深まりを示すばかり244
以前読んだ、白に関する本1冊よりも、この一文が余韻を深く残しながら、感覚に届いた。
◯私が描いたものより、何も描いていない状態が一番いい。長く生きて、あらゆることをした上で悟った。何もしない状態が一番いいと悟るために人間はあらゆることをする。248
音楽においても、何かを表現しようとする時、この言葉を強く意識したい。
◯あらゆることが矛盾に満ちている、。生まれてから人はあらゆることをしないと「無為」が「徳の至れり」だと悟れない。そういうふうにできている。
〜〜〜〜〜〜 備忘録 〜〜〜〜〜〜〜
人生論
一切は受け止めておく。それが人生を渡るのに上等まではいかないけど、まぁまぁ、無難な生き方かもね。106
芥川龍之介の言葉「運命は性格の中にある」
運命が性格を作るんじゃない。あなたの性格の中に運命があるのよ。132
どうでもいいやと自然の成り行きまかせ。いちいち、あー大変だ、あー不安だ、あー憎らしいってやってたら、忙しいすぎて生きていられない。たいていのことは、ああそうですかで済んじゃう。192
あまり数のない不思議な美しさとか面白さを持っているものに出合うと、この世にないものを心が夢見ることができるのよ。そういうところへ誘ってくれるものなのよ205
墨には明るさも暗さも、強さも弱さも,一切がある。(老子)205
欲望が少しでも満たされると、そこに人は生きがいがあると思ってしまう。生きている以上、そうした欲望の虜になって暮らしてもしようがない。欲望というものと、どういう風にしてうまく付き合っていくか。人間の歴史への問いかもしれませんね。211 -
Posted by ブクログ
なんなんだ、この人は!?
103歳!?
嘘でしょー!!!!
と思いながら読みましたー。
いや、篠田桃紅さんだから、こんな考えになるんだろうな。
今回も学ばせていただきました。
「いい加減はすばらしい」
「やっておきたいと思うことは、どんどんやる」
夏目漱石と桃紅さんのお父さんが同い年とか、
芥川龍之介を見かけたことがあるとか、
マジかー!?って思ったよー。
なんか、本当にスゴい世界だね…。
昔は女性の生き方みたいなのが決まってて、
親や先生から紹介された方との見合いとか、
25歳過ぎたら、もぅオールドとか、
「イヤな時代ー(`ε´ )」って思いながら読んだけど、
今の人が自由に生きていられるのも、
桃紅さんとか、自分らしさを忘れてない女性たちの
おかげなんだよね。
きっと、私が明治や大正に生まれていたら、
その時代に流されるようなタイプだったと思うー。
だからこそ、こういう時代にしてくれて
ありがとうございます!!
さて、私はどんな未来を残せるのかなー笑 -
Posted by ブクログ
「読み終わった」で登録するところを「いま読んでる」に登録していたことに気がついたので、あらためてこのレビューを書いている。
その間、2021年3月1日に、著者の篠田桃紅氏は107歳でお亡くなりになった。出勤時の車の中、ラジオのニュースで聞いたのを覚えている。
私は著者の半分も生きてはいないが、東京より変化の遅い田舎で育ったこともあってか、昔の人の生活や考え方には、懐かしいと思うところもあった。一方で、もちろん、知らないこと、よい意味で世代間ギャップを感じるところも多く、日本の文化の変遷や日常生活を考える上での刺激となった。
同じシリーズの「一〇三歳になってわかったこと」「一〇五歳、死ねないのも困るのよ」と同じく、読み終わると父に贈った。私より世代が近い分、共感するところも多いようだった。
その父も、奇しくも篠田氏の亡くなった3日後に他界。もうすぐ一周忌である。
全く個人的な話だが、そうした思い出も含め、忘れられない本である。 -
Posted by ブクログ
著者のものの見方には、はっとさせられる。本書で一番よかったのは「きものは謙虚、洋服は尊大」の中の一文。
”シャツなどを頭からかぶったり、手を突っ込んだりする人の姿は、嫌というよりも、なんでそこまでするのか、情けないとすら感じます。”
言われてみれば本当だ。洋服を着るというのは、なんと不自然で窮屈で、滑稽なことだったんだろう。
こんなことを言うと怒る人もいるかもしれないが、私は、服を着させられたペットの犬猫を見ると、ちょうど、そんな風に思ったものだ。しかし、考えてみれば人間だって同じだったのだ。自らあえて窮屈な恰好をしているのかということに、なぜ疑問を抱かなかったのだろう。
ちょうど渡辺京二著「逝きし世の面影」を読んでいるのだが、江戸末期あるいは明治初期に初めて西洋人を見た日本人が、彼らの来ている服を、よってたかってつついたり引っ張ったりした、という話が何度か出てきた。デザインが違うとはいえ、何をそんなに珍しいと感じたのだろうか、と不思議に思っていた。
しかし、体を「包む」きものと体を「入れる」洋服は、まったく違うものだったのだ。当時の日本人は、好き好んで窮屈な恰好をしている西洋人の姿に、ちょうど私が動物が服を着た姿を見て思うような、不自然さや滑稽さを感じていたのかもしれない。
時の流れは、ものの見方も大きく変えていく。特にここ100年の日本では、文化によるギャップよりも世代間のギャップの方が大きいかもしれない。そして、その変化は良いことばかりではないだろう。そういう意味では、若い人ほど、篠田氏の言葉に学ぶことは多いと思う。