小川剛生のレビュー一覧
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実は今興味があって『徒然草』を細々と読んでいるのだが、その作者である兼好法師について知っておこうと思い買った本。
しかし読んでみて仰天した。いつかのニュースか何かで、今の教科書では「吉田兼好」は使わずに「兼好法師」になっている、と見聞きしたのはうっすらと覚えていたんだけど、その理由はこれだったのか。詳細は読んで確認して欲しいけど、もし著者の説が正しいのだとしたら、よくもまあこんなデタラメをやったものだと逆に感心したくなったよ。たぶん500年以上にわたって日本人を騙して続けてきたのだろうから。
正直この件のインパクトが強すぎて、初読直後は中盤の兼好の人となりの記述が霞んでしまった感はあったんだけ -
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ネタバレ『徒然草』の作者・兼好法師の生涯を、同時代史料から多くの情報を抽き出すことで明らかにしていくという内容の本である。
自分の知識では『徒然草』の作者は「吉田兼好」なのだが、読み始めるや否や(6ページめ!)、自分が知るその出自、経歴が捏造でデタラメであると断ぜられたことに度肝を抜かれた!
捏造した張本人、吉田兼倶(1435〜1511)が五百年にわたって徒然草の読者を欺き続けたことは本当にすごいなと思ったが(悪い意味で)、わずかな史料からそのペテンを暴いていく著者のロジックの詰め方には感心させられた。
個人的に瞠目したのは、「金沢文庫古文書」発見のエピソード。「紙背文書」という史料の形式は知らなかっ -
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中世和歌史が専門の国文学者による足利義満の評伝。当時の公家たちの日記をふんだんに引用して、足利義満と公家社会の関わりから義満の人物像を描き出している。義満といえば、「皇位簒奪」を企てようとした人物として、一般では思われているが(古くは、田中義成の研究やそのリバイバルとしての今谷明の研究など)、後半の3章では「皇位簒奪者」としての足利義満像が徹底的に否定されており、とてもスリリングな読み物となっている。
① 足利義満と公家社会
足利義満は、16歳で参議・左近衛中将、21歳で権大納言・右近衛大将、25歳で左大臣、37歳で太上大臣、それに加えて准三后の待遇を与えられている。祖父の尊氏、父の義詮が共 -
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「〇〇は捏造だった」とか「通説は間違いだらけ」という類の言説は、たいてい学問的な論証の手続きを踏まえていない場合が多く要注意だが、兼好(吉田兼好、卜部兼好)の出自・経歴に関する通説を全否定し、後世の吉田家による捏造を明らかにする本書に関しては、史料批判の方法に瑕疵はなく、研究史を完全に刷新する画期的な成果である。兼好について、現行の辞書・事典類(日本語・日本文学、歴史学問わず)は必ず六位蔵人・左衛門佐の任官歴を記すが、少なくともこれは今後書き換えなければならないだろう。兼好像の変化に伴い『徒然草』や家集の位置づけも当然変わり、本書ではこれまで誤解されたり、等閑に付されていた問題に新たな解釈を
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タイトルの問いへの答えは、一門や家臣との結束をはかるため、あるいは他国との交渉の場面で、また神仏との交流をはかる意味でも、自らの支配を確かにするために和歌を使ったのだったということらしい。
事例として研究対象としたのが鎌倉将軍宗尊親王、足利尊氏、太田道灌、今川武田北条の戦国大名といった東国の武士。
鎌倉時代から歌壇が一つのコミュニティとして機能しており、それが政治的なものになり得ていたんだな。
太田道灌が武将としてだけでなく歌人として優れていたらしいことは知らなかった。
冷泉為和が今川家に世話になり、信虎と義元が和睦してからは駿甲を頻繁に行き来して和歌の指導とともにメッセージ伝達のようなことも -
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たまたま書店で見かけた。徒然草全体の解説というより、いくつかのエピソードを取り上げて、全く未知の話を教えてくれる面白本。
こんな話が面白かった。堀川太政大臣基具は息子が検非違使に着任したとき庁舎の唐櫃が古いので新しいものにしろと命じたら、職員に数百年も使用している価値あるものなので替えられないと言われた。
久我太政大臣通光は清涼殿の殿上の間で水を飲むときに、土器じゃなくて、「まかり」を持ってこいと命じた。土器は素焼きで使い捨てだったそう。まかりは柄杓やお椀のようなものだそうで、枕草子には、「すっごくきたないもの。なめくじ。おんぼろの板の床を掃く箒の先端。殿上の合子」 合子=まかり。長年使っ -
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兼好法師という人物が、実際にはどんな人だったのか。徒然草や歌集や手紙などから、その実相を現すように書かれています。また、帯にありますように、「吉田兼好」という名前で呼ばれるように何故なったのか。その真実も知ることができて、面白く読ませていただきました。肉親との手紙のやり取りから見えてくる社会的な立場。朝廷の内実を知ることができた訳。そして歌人として名を上げたこと。
今の世に徒然草の作者として伝わる「吉田兼好」という人間は、実在してはいなかった。兼好法師は実在していて、十分に人間的に魅力ある人物像であったこと。徒然草を読むのでしたら、その作者について良く知って読むのと、そうでないのでは全然違う。 -
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ネタバレ義満といえば足利3代目で、南北朝統一を果たし、あの金閣寺をたて、明から日本国王に任じられた、という教科書的知識と、マンガ一休さんのややお調子者のキャラクターのイメージだったが、大人になって冷静に考えると数々の偉業を成し遂げた大政治家だろうと思いこの本を読んだ。 この本は京都における諸公卿との関わりが中心に書かれており、武将というよりいかに貴族として振る舞いきったか、貴族内”政治力”に長けていたかが、良くわかる。武将面としては各大名の制御にやはり苦労しており、室町期共通の苦悩のようだ。天皇の政治的立場が最も弱まった時期で寺社勢力により諸行事も滞っていた状況において政治(というより諸行事を)を取り
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足利義満に関する最新の研究成果をまとめた、という事で。東アジア史的視点から見る足利義満というのが過大に評価されがちだが、本書は基礎史料を改めて読み直そうというところから出発している。
史料から見えてくる足利義満像とは、朝議復興において「治天の君の代行者」としての役割を果たした忠臣としての側面と、無邪気とさえいえる増上慢によって混乱を招いた権力者、というイメージのようである。
ある意味で、恭献王(明からの諡号)としての姿を知りたかった人にはがっかりの内容とも言えるが、特に強調されている「和漢混合のイメージ」、すなわち、「日本人が考えた漢」と「中国」とのギャップを再検討する視点からしたら当然 -
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新古今集が勅撰和歌集の8番目、その後続く新勅撰、続後撰、続古今、続拾遺、新後撰、玉葉、続千載、続後拾遺、そして風雅和歌集まで、鎌倉時代に治天の君の命により編纂された勅撰和歌集の数々。政治的動向とは無縁に思っていた背景が、朝廷と鎌倉、南北朝の政治的な思惑により産まれてきた歴史が面白かった。後鳥羽上皇のスーパーマンぶりがここでも印象的だが、藤原俊成・定家・為家から始まる御子左家の3分流・二条(為氏、為世)、京極(為教、為兼)・冷泉(為相)の3家の対立。為家の妻・阿仏尼の子は為相だけで、彼女が裁判のため鎌倉に下ったのは、為氏との争いのためだったことが分かり、私自身の永年の不知を知らされた。大覚寺統
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家は夏の暮らしやすさを中心に考える。
二本の矢を準備してはならない。1本目がおろそかになる。
死は突然訪れるもの=生きている間に生を楽しむ、生きていることを感謝する
生きている間の雑事以外の時間は、無益なことをして時間を無駄遣いしないこと。
囲碁や双六を好んで日夜過ごす人は、悪事を犯している。
鯉と雉、マツタケが高級食材。鯉は髭がばたつかない。
カツオは鎌倉の海で獲れるものだった。昔は貴族は食べなかった
未熟なうちから、発表したほうが上達が早い
筆を取れば何か書く、楽器を手にすれば弾く、盃を取れば酒を飲もうとする、仏典を一句でも見れば、前後も読む。とりあえず、少しでも手を付ける。
他人より優