近藤史人のレビュー一覧
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ネタバレ美術館で絵を見た。年譜に沿って進む展示された絵は、年を追うごとに表情が変わっていた。添えられた彼の紹介文には、いつも別の名の女性が居た。移り気な画家なのだろうか。フランスで若かりし時を過ごしたかと思えば、メキシコやアメリカや中国を見る。面白そうな人生だ。そう感じて知りたくなり、手に取った本だった。
読み終えて感じたのは、彼は人生を通して芸術に真摯だったということ。それ故の変化であり、大胆に見える行動であり、いで立ちであった。彼を知ることができてよかった。それだけで嬉しいと思ってしまった。わたしがまだ、彼のエコール・ド・パリを過ごした年齢ほどであるからだろうか。
彼が見た日本と、フランス、そ -
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素晴らしき乳白色の画家と称えられ、エコール・ド・パリで最も有名な日本人・藤田嗣治。彼の生涯を追った傑作ノンフィクション。東京都美術館の藤田嗣治展を観る前の予習で読んだ。
陸軍軍医総監の父を持ち、裕福で厳格な家庭で育った少年の夢は画家になることだった。しかし面と向かって父にその夢を語るのをためらった少年は、同居しているにも関わらず父に手紙を書いた。きっと反対されると恐々としていたが、父は反対もせず、大金を与え、画材一式を取り揃えるようにと伝え背中を押した。
長じてからは、すぐにでもパリに修行に行きたかったが、陸軍軍医総監の前任者でもあった森鴎外の勧めもあって、東京藝大の前身である -
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きっかけは上野で開催されていた、没後50年藤田嗣治展。
時の流れとともに、描く対象がかわり、タッチがかわる様子を見て、藤田嗣治さんの人生や人となりに興味をもった。
日本に捨てられたとかんじながらも、日本を愛していた藤田嗣治さん。遠い人のように感じるが、奥様が最近までご存命だったと知ると、さほど昔の人ではないように感じるから不思議。もっと彼のことを知りたいと思った。また違う角度から彼を語る作品も読んでみたい。フランスには興味がなかったけど、彼の愛し迎えてくれたフランスにも少し興味がわいた。ぜひ彼が作った教会や晩年のアトリエにも訪れてみたい。モアフジタ!もっともっと!と思わせてくれる良書。 -
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日本人に生まれながら、晩年フランス人に帰化した藤田。
渡仏して名が売れ出せば、批判され、日本のためにと思って戦争画を書けば、批判され、日本では不遇の扱いを受けた。そんな日本に対して、当てつけのために帰化したと思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。
それにしても、当時の日本美術界の人々などの彼に対する扱いは、腹が立つほどである。
嫉妬からなのか、醜いばかりである。
藤田といえば、「乳白色の肌」で有名であるが、あれはキャンバスに細工をしているようだ。
非常に研究熱心であることに驚いた。
以前、藤田の戦争画を見たことがあるが、戦意高揚のために書かされたのだと思っていたが、本書を読み、絵を見返 -
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実にオモシロかったです。そして、帰国子女体験がある人には、ちょこっと身につまされる、人生の物語。
藤田嗣治さんというと、パリでフランス人化してしまった、「猫」の画で有名なヒト。…という以上の知識は無かったのですが、衝動買い。
買ってから、作者がNHKのドキュメンタリーのディレクターさんである、ということを知りました。
藤田嗣治さんの「一般的に知られている像」を検証して覆す訳です。
ただ、僕もそうですが「一般的に知られている像」を知らない人が読んでも面白いように書かれています。
戦前の人です。それなりに裕福な家に育ち、画家を志す。若くして渡仏。
1920年代、「ベル・エポック」と呼ばれた、 -
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1920年代のエコール・ド・パリの代表格、藤田嗣治。その実像に迫ったノンフィクション。著者はNHKのディレクターで、「NHKスペシャル」として取材した中身を書籍化した。
藤田は東京生まれ。「嗣治」という名前は「平和という意味だよ」と言っていたそうだが、同時期の日本人と同様、戦争に翻弄され続けた人生だった。
1913年に仏渡し、世界大戦下のパリでモディリアーニ、スーチンらと交流。当初は貧乏暮らしで苦労するが、1921年に「私の部屋、目覚まし時計のある静物」や「寝室の裸婦キキ」が高い評価を受け、「巴里の寵児」に躍り出る。
第二次大戦中は、「アッツ島玉砕」など戦争画を発表。敗戦後は、これがもと -
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第34回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
巨匠藤田嗣治の華麗なる人生、流転の人生を、未亡人その他大勢の藤田に関わった人々らの証言を元に丁寧に綴っている。
この本を読むと、1920年代のパリ、社交界の寵児であった藤田を取り巻く面子の豪華さには驚く。
例えば、ピカソ、ルノワール、モディリアニなどなど。
しかし、フランスで成功をおさめた藤田ではあったが、日本画壇は彼に冷たかった。
2度の世界大戦を経験し、特に第二次世界大戦では国策に協力して戦争画を多数描いたということが問題となり、戦後はまたパリに戻り、そこで一生を終える。
時代の波に翻弄され続けながらも、常に自分の信ずる道を歩み続けた彼。
女性遍 -
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ネタバレ芸術や音楽分野とは「良い」と評価されれば良い物となり、「否」と評価されれば悪い物となるのはいつの時代になっても変わらず、時代と共に日常がひんやりとしている時期には人々の心が真っ黒に焼けこげていくのが、かの有名な画家たちからも伺え、誰もが時代の荒波に強制的に巻き込まれていったのだろうと思うと、良くも悪くも環境は心の内に変化をもたらす材料になり得るのであろう。
彼の生涯の断片を読み終わると、非常に孤独が嫌いでありプライドが人一倍あるが、それをひた隠しにしたくて仕方がなく人に優しくし、静かに自身の思う心の安寧を求めて、戦争に翻弄された人間の生き様のように見え、時折鬱蒼とさせるような面白い本であった。 -
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絵そのものの評価よりもむしろ表題どおりまさにその生涯を検討した本作。時流および権威に阿ることなく信念を貫き通す若き頃など色々読みどころ満載ですが、やはり戦時・後の描写がメインテーマかな。
確かに酷い仕打ちを受けているとは思うのだが、その一方で、やはり戦時協力ということに対してご本人もあまり拘泥していないように見受けられるのは看過できぬ事実だろうか?芸術家であればあるほど戦争という「悪」に敏感であって良いはずなのに、、、
全てを藤田に擦り付けたような日本(美術界)の振る舞いは当然に醜いものではあるし、国立近代美術館に展示中の戦争画は単に戦意高揚を狙ったものでは決してないとは思う。けれども、例えば