森浩一のレビュー一覧
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ネタバレ・書名:日本神話の考古学
・著者:森浩一
・出版社:KADOKAWA(角川新書)
・内容:考古学の科学的成果と日本神話の重要なテーマを突き合わせながら、国生み神話から三種の神器の行方、神武天皇による大和平定(神武東征)にいたるまでの古代史の謎を実地を巡りながらひもとく一冊。
「日本神話」と聞くと、どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。遠い神々の時代のファンタジー、あるいは教科書に載っている古いお話、、、。そんな風に一歩引いて見てしまうかもしれません。
『日本神話の考古学』は、そんな神話のベールを「考古学」という極めて科学的な虫眼鏡で覗き込んでみようという、実にお腹の膨れる一冊です。
本書は、淡路島などを舞台にした「国生み神話」から始まり、黄泉の国、そしてイワレヒコ(神武天皇)の東征にいたるまで、お馴染みのエピソードを丁寧に追いかけていきます。
帯に躍る「黄泉の国は実在した」という文字には、思わず「またまた、そんな大げさな」と本を閉じる手が止まってしまいましたが、読んでみるとこれが実に面白い。イザナミの死後の姿や追葬のあり方を、当時の古代人が実際に目にしたリアルな光景(たとえば古墳の埋葬施設の様子や、死者をめぐるリアルな感覚)と重ね合わせていく手際は、まるで良質なミステリー小説を読んでいるかのようです。
また、個人的に「平和で穏やか」だと思い込んでいた弥生時代が、実は高地性集落の存在などから「戦乱の世」であったという指摘には、歴史のシビアさを思い知らされます。南九州の勢力や文化が近畿へと東伝した動きが、のちの「神武東征」という壮大な物語の原形になったのではないか、という仮説には思わず膝を打ちました。
さて、本書のなかで私が最も心を惹かれたのは、実は本編を読み終えたあとの「おわりに」にありました。
そこには、のちの時代のオホド(継体天皇)に関する極めて興味深い記述が登場します。オホドが越前(現在の福井県など)から大和へと至るルートを、かつてイワレヒコがたどった東征の旅と重ね合わせ、移動の方向こそ違えど、両者には地政学的、あるいは伝承において非常に多くの共通点が存在するというのです。
「なるほど、言われてみれば確かに」と、思わず夜中に一人で呟いてしまいました。まったく異なる時代、異なる場所の出来事に見えて、通底する「大和を目指すダイナミズム」のようなものが歴史の伏流として流れている。この視点を得られただけでも、本書を読んだ価値があったというものです。
神話をただの絵空事として片付けるのでもなく、さりとてすべてを事実として鵜呑みにするのでもない。考古学という確かな足場から神話の「リアルな背景」をあぶり出す本書は、知的な興奮と、心地よいユーモアを与えてくれる大人のためのガイドブックと言えるでしょう。 -
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記紀には神話的な"物語"が多くあり、また古代であるにも関わらず、100歳を超える寿命を持つ天皇がいたりして、編者たちの創造とみられるケースがあるが、現在の地名や社寺名にまつわる記述があり、それには隠された史実があるのだろう。何しろ世界唯一の万世一系の天皇家の生まれや歴史が載っている歴史書。時には面白く、時には壮絶で悲惨さを感じることが出来るのだ。
本書で興味が惹けたのは、神武天皇(イワレ彦)とその妻たち、神功皇后と後継争い、そして越のクニからヤマトに入った継体天皇だ。
この時期パワーバランスが北九州から大和に移る時代であり、歴史の大きな転換点だったように感じる。
特に難波(大阪)、大和(奈良)、そして宇治・山城・樟葉・枚方など、まさに地元の名前が歴史の舞台として説明され、この地域が歴史的に重要な地域だったのがうかがえた。また地域の名前の由来も非常に勉強になった。 -
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森先生の邪馬台国論。
帯方郡が魏の出先機関であったことから説き起こし、倭と界を接した弁辰の国を巨済島、巨文島とし、そこから、対馬、壱岐(一支国)、松浦(末盧国)、糸島(伊都国、斯馬国)と順を追ってクニの規模や土地や風俗の倭人伝の記述を考古学からの裏づけがられる。これは臨場感があり、帯方郡からの道程が納得させられる。
伊都国が邪馬台国の都と想定しているが、奴国も大きなクニであった様子。不弥国(福岡平野の宇美川流域)までリレー式に臨場感を持っていた記述が、投馬国、邪馬台国で記述が変わる。台与の時代に晋への遣使の新しい情報(但し、不正確)が書き加えられた所為とする。この辺の説明も無理がないと思う。
邪馬台国は南の狗奴国と戦争状態であったが、魏は邪馬台国の味方という訳でもないという。狗奴国にも王があり、官に狗古智卑狗ありとされる。この後の記述は狗奴国についての記述ではないかとのこと。
魏は卑弥呼を見限り難升米(奴国の有力者?)を王と見なし黄幢を授けている。卑弥呼の「以死」はこの戦争の責任を取っての自死とする。
魏の張政の役割は邪馬台国と狗奴国を纏めることにあり、そして台与の時代に邪馬台国は東征したという仮説。
では、狗奴国(後の熊襲)も東征したのだろうか。その東征は物部の祖、饒速日のことなのか、応神・仁徳の河内王朝のことなのか。北部九州と近畿を繋ぐ道筋はまだよく見えない。更に、単なる一氏族の移動に留まらず、各地から多くの氏族が纏向に集結したのは何故なのか。
森先生の衣鉢を継ぐ志のある学者が古代日本の誕生の秘密を明らかにすることを期待しているのだが、纏向で考古学の成果があると卑弥呼だと騒ぐ輩が多く、正直暗澹とすることが多いのである。 -
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高名な日本史の著者が、一生の研究成果としてまとめあげた
倭人伝や邪馬台国に関する内容が
わかりやすく書かれていた。
ただ、直前にかなり強烈な三国志研究家からの指摘の本「魏志倭人伝の謎を解く」を読んでしまったので、
ミーハーな読み手としてはインパクトは薄かった。
とはいえ、邪馬台国東遷説には興味がひかれるところだ。
本筋とは関係ないが、
邪馬台国にとどまり政に関与した中国の武官が、
その後、韓や濊を鎮撫させられたのではないかという記述や、
弁辰の鉄の産地を韓・濊・倭とが協力していた維持していた節があるという記述が、
第二次世界大戦後のマッカーサーの動向や、
レアメタルをめぐる昨今の東アジア情勢を髣髴とさせて面白かった。 -
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ネタバレやはり碩学である。学会や専門家で一般に通じている倭人伝の解釈に疑問を呈して、なおかつ自分なりの意見を文献学的見地ではなく、考古学的見地から述べている。しかも古代音韻学・郷土史家・作家などの専門家でなくとも、直観力(「直感」に非ず)に優れた意見は予断なく受け入れて古代史の考察する角度を絶えず固定しない。この学問姿勢は古代史だけではなく、歴史全般を俯瞰するにあたってとても大切な態度だ。倭人伝に描かれている地理風俗を遺跡の科学的分析から読み直すことで、新たな解釈が産まれる。
魏志倭人伝はもう読みつくされて新たな解釈の余地のない古典ではない。常に考古学成果と合わせて読み直し続けていくことで、まだまだ古代史の疑問のいくつかは解けるかもしれないという大きな可能性を、この本は示してくれている。
邪馬台国畿内説などという、文献学的にも考古学的にも不自然で捻じ曲げた主張は、もうそろそろ下火になって欲しい。畿内説が劣勢になるにつれて、メディアは畿内説の遺跡が出たと騒ぐ。畿内説側に立つ人たちが、専門知識の薄いメディアを煽りたてるからだ。冷静に遺跡を観察し、過去に発掘された成果と比較検討して、理性的に分析してほしいと切に思う。この本の著者のように。 -
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[ 内容 ]
古代史の一級資料「倭人伝」。
邪馬台国や卑弥呼への興味から言及されることの多い文章だが、それだけの関心で読むのは、あまりにもったいない。
正確な読みと想像力で見えてくるのは、対馬、奴国、狗奴国、投馬国…などの活気ある国々。
開けた都市、文字の使用、機敏な外交。
さらには、魏や帯方郡などの思惑と情勢。
在りし日の倭の姿を生き生きとよみがえらせて、読者を古代のロマンと学問の楽しみに誘う。
[ 目次 ]
第1章 倭人伝を読むにさいして
第2章 東アジアの中での倭人伝
第3章 対馬国と一支国
第4章 玄界灘に臨んだ国々
第5章 狗奴国・投馬国・邪馬台国
第6章 張政の役割と卑弥呼の死
第7章 北部九州からヤマトへ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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森浩一「考古学は地方に勇気を与える」
第一部 国生みとイゼナミの死
矛で塩水を混ぜる。古代においては槍=矛。巨大な銅矛は見せるもの、祭器。製塩技術。
誕生する大八洲、海上交通の要所、瀬戸内、日本海。
黄泉のイザナミ、横穴式石室あるいは海岸洞窟墓の体験。
第二部 三種の神器
675、土佐大神が神刀一口を奉る。草薙剣は尾張国に、残蛇の剣は吉備に。石上布都魂神社。草薙剣は2尺7-8寸(81-84cm)の銅剣?赤土で二重に包まれる。銅鐸や出雲の荒神谷の銅剣の埋納方法と似ている。
丹生の水銀で神宝を磨く。八咫鏡、直径1尺6寸3分(49cm)、八頭花崎八葉。内行花文鏡?越人と倭人が銅鏡の多数埋納の習慣。長宜子孫、大宜子孫の銘。
八尺瓊勾玉。勾玉と碧玉の管玉の首飾りの例。八坂勾玉の五百津御統?1m83cnの三連の管玉?
第三部 出雲と日向
古代の出雲、島根島と出雲の砂州、素尊水道。荒神谷遺跡とタケミナカタ。
第四部 神武東征 -
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1. 神武東遷。饒速日命が先んじて九州から河内平野、北河内へ。ニギハヤヒを祀る古社が多い。石切劔箭神社など。矢作神社、弓削神社、跡部神社も。物部氏の根拠地。天の磐船、河内国河上イカルガミネ、大倭の鳥見白庭山に。先代旧事本紀の東遷の記述に具体性がある。鳥見山の近くに茶臼山古墳、宗像神社は筑前国の宗像大神と同じ。ニギハヤヒの東遷前の勢力圏は北部九州の東半分。東遷に従った32人。大集団の計画的移住。対馬や壱岐の豪族の名もある。
ニギハヤヒはナガスネ彦の入婿。
2. タケハニヤス王とミマキイリ彦の戦争。
南山背に拠点を持つタケハニヤス王(孝元天皇の子)。
吾田媛、南九州の隼人(薩摩隼人、阿多隼人)の移住先の南山背。
孝元天皇と河内青玉繁の娘、埴安姫の子がタケハニヤス王。
ミマキイリ彦(孝元天皇の子の開化天皇の子)、19歳で皇太子、開化天皇没後即位。
孝元天皇と欝色謎命(ニギハヤヒの5世、オオヘソキの娘)の二人の子(開化天皇の他)、大彦はミマキイリ彦の大夫、倭迹迹日百襲姫命は予知。
磯城の瑞籬宮(著者の推定では崇神、垂仁、景行の宮)
サホ姫とサホ彦、熊襲の八十梟帥とヤマトタケル、剣御子としての忍熊王、菟道稚郎子と大山守、飛騨の両面宿儺、墨江中王とソバカリ、大日下王と押木タマカズラ。 -
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子供の頃から考古学が好きで、若い時分には森先生が編集された「日本の古代」シリーズを読み漁ったもの。
暦などの時間の記述や文字が日本に定着していった過程など一歩一歩進めていく記述。景初三年とあるだけで、卑弥呼の鏡などと騒ぐ輩と対局にある。
引用。
「倭人伝」に一度だけみえる「邪馬台国」は晋に遣使した女王台与(トヨ)の国であり、ヤマトでの大型前方古墳の出現からみても、その頃にはヤマトの国造りの基礎は終わっていたとみている。
近畿圏の国造りと邪馬台国は別の事象と考えれば良いだけなのである。倭国から魏や晋への航路を考えたら邪馬台国は九州であろうし、狗奴国と交戦状態にあったことを考えれば更に確かだろう。森先生の主題はそんな自明のことに無い。そもそも邪馬台国は幾つかの女王国の一つで、その時点で卑弥呼は既に亡くなった過去の王でしかない。むしろ、クマソについて多くページを割かれている。ガラス製の玉璧から東シナ海横断ルートでの江南との結びつきなど認識を改めさせられた。中国の学者と語り、また中央と違う地方の歴史を明らかにしようとする姿勢。学者や歴史家も大古墳や銅鏡の数でそれを大勢力と誤解しているという。先生は本当のプロの学者だと思う。
河内王朝の土木工事で土地が生る。今でも西成、東成の名が残る。巨大古墳を築くだけじゃなかった。大阪には古代の痕跡はあまり無いと思っていたので、面白かった。(大阪に単身赴任中の身なので。)
高津宮ってどこだろう。
今日もNHKのアナウンサーが「卑弥呼の墓と云われる箸墓古墳と同時代の‥」などと喋ってる。邪馬台国が近畿に無いと沽券に関わると思うのか、強烈なプロパガンダがあって、こういう結果が齎された。
そして今、書店の古代史の棚を見ると、殆どが思い付きと妄想のトンデモ本ばかり。
森先生が逝去されて、一体、誰を頼って本を読めばよいのだろうか。 -
Posted by ブクログ
倭人伝を読みなおす
森浩一 ちくま新書
何気なく手に取ったいわゆる邪馬台国ものである。
この邪馬台国ものは昔よく読んだ。邪馬台国ブームなんてのがあった、その頃である。
松本清張の「古代史疑」、古田武彦の「邪馬台国はなかった」邦光史郎の「邪馬台国を推理する」などが思い浮かぶな。変わった切り口だと思ったのがタイトルは忘れたが安本美典の古代史もの。推理小説を読む感覚で読んでいたが、その推理の展開については忘れてしまっている。邪馬台国ものの内容は、その国がどこにあったかが説かれ、大きくは九州説と畿内説に分かれているのである。
この本の著者、森浩一氏は考古学者である。1928年生まれというからもう82歳。西日本新聞に連載されたものをまとめたという事であるが、年齢を感じない内容だ。歳をとってもこういう頭の働きができるのだろうか俺は、と自問する。
内容はタイトルどおり、魏志倭人伝を逐語的に読み直し、それぞれのキーワードに対して考察を加えるというスタイルである。
また、60年に及ぶ考古学人生のフィールドワークあるいは現地踏査の経験を交えて倭人伝の読み直しに厚みを加えている。
新しい説が展開されるということはないのだが、例えば、松本清張の説などは古代史の学会などからは無視されていたのらしいのだがそういうところも評価できるところは評価する姿勢は好感が持てる。
この人が、歳をとって寛容になったのか、あるいはもともとそういう学問態度だったのか。
多分、むかしこの人の本、多分岩波新書とか中公新書の類だが読んだことがあるに違いない。