倉骨彰のレビュー一覧
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ネタバレ本書(下巻)では「危険に対する対応」「宗教、言語、健康」についての考察。中でも「危険」という概念に関する考え方が面白い。それは我々にも重要な教訓を与えてくれます。
言うまでもなく「伝統的社会」における危険とは、我々の世界とはかなり異なります。例えば「倒れてきた木の下敷きになる危険」というのは我々にはほぼ考えられないリスクですが、ニューギニアの密林の伝統的社会ではそれはリアルなものです。毎日のように密林のどこかで木が倒れる音が聞こえ、年間に100日くらいは村を離れて野営しているとしたら、その頻度は充分にリスクを計算すべき数字になります。我々が交通事故に注意するくらいのリスク回避はするべきなのです。それで彼らは「大きな枯木の下で眠らない」というルールを守っているのです。それを著者は「建設的なパラノイア」と名付けます。他にも病気にや怪我、あるいは見慣れぬ他者に対する病的なまでの警戒心は、一見過敏にすぎる反応に見えるかもしれませんが、それは生存するために必要な知恵を継承してきた結果といえるのです。
その考え方を現代に置き換えるとどうでしょう。原発の重大事故がが起きる確率が、仮に1000年に一度だとしましょう。しかし世界中に100基の原発が稼働したら、10年に一度は重大事故が起きることになってしまいます。現実的に我々はそんな世界に生きていて、残念ながら重大事故も一定のペースで起きているのです。「建設的なパラノイア」は現代社会においてもなお、失うべきではない生存の為のセンスなのではないでしょうか。
最後に言語の多様性について、著者はそれが失われつつあることを嘆いています。現在、地球上にはおよそ7000もの言語が存在しているそうですが、今世紀中に数百の言語を残して消滅するだろうと言われています。それが良いことなのかどうか。バベルの塔をはじめ、世界中の様々な神話において、人類は別々の言語を話すようになったことで意志を統一できず、争いが生まれたとも言われています。しかし著者は共通言語を学ぶ必要は認めながらも少数派の言語をなくすことはないと言います。多様性をなくすことの危険性を上回るメリットはないということでしょう。言語のみならず、部族や国家、文明の多様性を失うことは、一定の条件下において全滅する危険が大きくなる。その事実に逆行しているのが現在の文明であり、グローバリゼーションという言葉に表される単純化された構造の社会なのではないでしょうか。 -
Posted by ブクログ
上巻では、伝統的社会の紛争解決、戦争、子供と高齢者、について書かれていた。下巻では、伝統的社会におけるリスク、宗教、言語、健康・病気について書かれている。
伝統的社会における危険・リスクは現代社会との大きな違いのひとつに違いない。「建設的なパラノイア」と著者が名づける伝統的社会の人びとの行動が描かれているが、その行動は奇異に映っても昨日までの世界においては正しい行動であることがわかる。
宗教の話についてはその起源について考察し、人類が因果関係の把握という能力を獲得する中で、不安の軽減、事象に説明を付ける、癒しの提供、忠誠の証し、などの役割を持つようになったのではと推察している。ほとんどすべての伝統的社会に宗教的な習慣が存在するが、ここでも伝統的社会においては多様性が存在し、その定義を行うことも難しい。ここで行われた考察は、様々な形で行われている宗教に対する考察の中でも、もっとも納得できる考察のひとつでもある。
ちなみに、宗教について分析をしなければならない、と書いた後に宗教を分析するということに対してある種の人は不快に思うかもしれないという言葉を後につなげている。600万年前からの人類の進化を前提に話をしているこの時点でキリスト教の教義とは外れているので、いまさらなのだが、こう書かせる心理的圧力があるのだろう。こんなところからもアメリカが思ったよりも宗教大国であることが分かる。
言語については、その驚くべき多様性とその喪失について書かれている。
著者が書くように、伝統的社会へのまなざしが現代社会を改善することになるかどうかは分からない。しかしながら、自分たちの遺伝的形質が伝統的社会の習慣によって選択されてきたものであることは認識しておくことが必要だ。糖尿病や高血圧は分かり易い例だ。
明らかに現代社会は効率的かつ安全になっている。しかしながら多様性はどんどん失われている。それが本書の初めと最後に置かれた空港の描写が象徴的に示すところだろう。
『銃・病原菌・鉄』や『文明崩壊』のような書籍を期待していたのであれば、期待外れになるだろう。それでも、書かれなくてはならなかった書物なのだろうと思う。 -
Posted by ブクログ
『銃・病原菌・鉄』、『文明崩壊』のジャレット・ダイヤモンドの新作。
著者が文化人類学者として実地でのフィールドワークをしていたことを初めて知った。特に鳥類学者でもあったとは。本書は、クロード・レヴィ・ストロースにとっての『悲しき南回帰線』と同じような位置付けなのだろうか。前二著とは趣がやや違い、特徴であった壮大な論理的な推定はやや影をひそめ、その代わりに著者の実体験のエピソードが出てくる。もちろん「昨日までの世界」についての文献を広く確認し、単なるエッセイではない。『銃・病原菌・鉄』の重要な結論 ― 文明の発展は地理的な条件がたまたまそのように恵まれていたから ― の元になる経験はここにあったのかと知ることができた。
タイトルにもなっている「昨日までの世界」とは、いわゆる伝統的社会 ― 人口が疎密で、数十人から数千人の小集団で構成される ー のことである。紀元前9000年ごろになって始まった食料生産以前には国家は成立しえなかった。初めて国家らしきものが成立したのは紀元前3400年前後で、それまで少なくとも人類は「昨日までの世界」を生きていた。どちらかといえばそちらの方が本来的なものである。WEIRD = Western, Educated, Industrial, Rich, Democraticな社会は人類の歴史の中では奇妙(weird)なものなのである。「昨日までの世界」のことを知ることで、現代の世界でも役に立つことが出てくるのではないのか、というのが著者も目的のひとつでもある。
社会は、その規模により、「小規模血縁集団(Band)」、「部族社会(Tribe)」、「首長制社会(Chiefdom)」、「国家(State)」に分けられる。この分類は学術的にも一般的らしい。この社会構造の中で、他人は、「友人」、「敵」、「見知らぬ他人」に分類されるが、この中で見知らぬ他人に対する態度が伝統的社会と現代社会の大きな違いだという。また、もちろん食料調達と分業にも違いが生じる。"Size does matter"なのだ。これにより、紛争解決の方法、戦争、子供、高齢者、危険(リスク)、宗教、言語、健康、などが異なってくる。現代の司法制度と刑罰というものが特殊なものであることもわかる。本書では、それらの違い、「優劣」ではない、を丁寧に解説している。
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昨日までの世界が一世代も経たないうちに現代化され、ほぼ世界中からなくなっていこうとしている。このことは、近代化の時期が早かった地域は、その土地形状と生息生物にたまたま恵まれていただけである、という著者の『銃・病原菌・鉄』での主張につながっているように思う。また、現代化が非可逆的な過程であることも結果的に示されてもいる。
上巻は、紛争解決、戦争、子供、高齢者、まで。どれも現代社会でも重要な問題である。もちろん、昔はよかったなんてことにはならないので、安心を。 -
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著者のニューギニアでのフィールドワーク経験を生かし、西欧世界に「発見」された新世界の状況と西欧的現代社会を比べよりよき社会のためにできることを言語学、医学、生物学、社会学を横断し考察する。現代社会の良い点は多いが、進化的に無理をしている部分もあり、その補強のためには昔の社会に学べることもあると説く。
司法では、西欧の法律では関係者が事後関係を持たない可能性も高く、罪と罰を重んじているため被害者の心の救済は考慮されていない。一方、「昨日までの世界」では加害者と被害者は関係が途切れない可能性が高く、親族や村の関係者を巻き込んで関係を修復することに重点を置く。
リスクへの態度では、「昨日までの世界」では頻度の多い事柄に対しては、細心の注意を払う。現代社会では車の運転などリスキーな事柄に対して意外と注意を払ってはいないのではないかとする。
病気については、「昨日までの世界」では、感染症がほとんどだが、現代は糖尿病、ガン,高血圧など非感染症が死因のほとんどを占めるようになり、これは食物がふんだんな状況が遺伝的にまだこなれていないためとして、食生活を以前の様式を取り入れることで改善できるとする。 -
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ネタバレスーパーインテリジェンス
超絶AIと人類の命運
「AIによって人類は滅ぼされる」というターミネーターのような衝撃的な未来感に関して、学術的に丁寧に様々なシナリオを検討しています。
人類がAIをうまく使いこなすために必要なコントロール問題に関してまず論考していますが、その先にある哲学的な価値観に基づいた目標設定に関しても様々なリスクが存在することも論じられています。(マッチ棒を大量に作るという目標を設定すると、宇宙の全ての資源を使ってマッチ棒を作り続けるというリスクがあるなど)
そして、1つでもスーパーインテリジェンスが戦略的な優位を確立したとたんに、指数関数的な進歩を起こし、競合するものを全て無力化するため、複数のスーパーインテリジェンスや人類がバランスするという状況はあり得ないだろうという結論となり、またコントロール問題に戻ります。
そこでも、スーパーインテリジェンスは人類の裏をかいて、自由を手にする可能性が指摘され、結局スーパーインテリジェンスが誕生すること自体が非常に高いリスクであるという結論に行きつきます。
では、スーパーインテリジェンスの開発を規制するしかないということになりますが、それも、一人のマットサイエンティストや覇権を握りたい国の極秘研究開発などによって規制することが難しいという話。
著者の論考自体に間違いや抜けがあることを信じて、この先も気楽にAIの進歩を追っていきたい竹蔵です。
ですが、700ページに及ぶ猜疑に満ちた論考を読んで、とても疲れ果ててしまいました。
竹蔵 -
Posted by ブクログ
著者のニューギニアでの体験を通じて伝統的社会のあり方を振り返るとともに、現代社会との対比を説明した書籍。切り口は、戦争、子供、高齢者。(生活への余裕が生まれ)文明の成熟とともに司法が発達し、当事者間に委ねない仲裁手段が発達した。高齢者は経験、知識、技術が若年者より優れていたため重宝されていた。子供・高齢者ともに、集団にとって負担になる場合口減らしをすることもあった。
伝統的社会は、生きることが最重要課題であり、食糧に余裕が無い時代のことである。人間も生物として、種の存続に必至であった時代のことだ。意図的な口減らし、当事者による報復合戦など、現代社会と比較して、酷な一面もある。一方で、現代社会は、食糧供給安定、文明の発達、平均寿命向上・技術革新を経て、資産を持たない高齢者への社会の関与の仕方、環境汚染などの別の面で問題が発生している。総じて、社会は改善してきているが、何をするにも副次的な影響があり、そこから発生する課題を予見しながら対処することが望まれるのは、これまでも、これからも変わらないのであろう。この普遍的な考え方を理解出来た点はよかった。
現代の高齢者の価値が、保有資産に比例するのは些か寂しい面があり、著者提示の、孫世代の育児への参加、知識経験の若年層への提供、管理者監督者としての指導は高齢者とともにある有用な選択肢であろう。 -
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著者はオックスフォード大学哲学科教授。本書は分析哲学の見地からAIコントロール問題の解決策を探る大著。原著の初出は’14年9月と意外に年数が経っている。本文のみで約560ページと長いうえ直訳調の文章がとっつきにくく、読み進めるのにはかなりの負荷を感じた。
ここでの「AI」や「スーパーインテリジェンス(以下SI)」とは、人類の叡智を遥かに超越する水準の人工知能を指す概念であり、我々が日常これらの言葉から連想する、例えば「アルファ碁」や「フィンテック」などの水準からは大きくかけ離れたもの。したがって著者の提起する「人類が存在論的リスク(=絶滅)を回避するため、SIをどのようにコントロールすべきか」といった問題の前提条件を共有することが、我々レイパーソンには少々困難である。しかもその定義上、SIの具体的な在り様を一般的な言語で表現することも極めて難しい。したがって、勢いその論述は抽象的で(我々一般人には)捉えどころのないものを土台とせざるを得ず、本書が思考実験的な色彩を纏う大きな理由になっている。
巻頭から繰り返し述べられるように、SIの実現可能性は高い。そしてそれはこれまで人類が作り上げてきたものとは大きく性質を異にし、人類のコントロール下から脱して自律的な意思決定を行い、人類の存在を脅かすような行動に出る可能性がある。そうならないためのSIコントロールとは一体いかなるものかを論ずるにあたり、著者は周到に要件定義を進めていく―SI出現の経路、スピード、多極か単極か、そしてそのコントロール手法や動機付けの可能性、etc....。それぞれが詳細に過ぎるためスムーズな読み進めを阻むが、著者の主張をあえて要約すれば「AIの有効性の研究と安全性の研究は歩調を合わせて進めなければならない」というもの。
本書のスケールは相当に大きいうえ、細部に目をやればさらなる深淵が待つというフラクタル構造を内含するため、正直なところどこまで理解できたかは自信がない。しかしいくつかの点につき共感することができた。例えばSI出現後、効率性が極限まで追求された社会では既存の社会基盤の一つであった倫理性が重要視されず、したがってそこで暮らす人々は極めて経済的に恵まれながらも精神的な充足は得られないのではないか、とする点。また、SI出現までの時間が長ければ長いほどコントロール問題にかかわる技術が進展する、という逆説も面白いと思った。 -
Posted by ブクログ
「銃・病原菌・鉄」で著名な生物学者が、研究のために定期的に訪れるニューギニアでの生活をもとに、伝統的社会と工業化社会との広範囲かつ詳細な比較を通して、現代社会が抱える課題と解決策を提示した大作。
著者は、我々が常識として受け容れている文化や生活様式が、実は人類の長い歴史からすれば「つい最近」作られたものであり、 人類が圧倒的に長い時間を過ごしてきた「昨日までの世界」における人間関係、紛争解決、リスク回避、宗教、子育て、高齢者対策の中に、「今日の世界」が物質的豊かさと引き換えに抱えた新たな社会問題を解決するためのヒントがあると主張する。
ともすれば産業化が遅れた「未開の地」として片付けられがちな伝統的社会に光を当てつつ、それらを手放しで賞賛するような単なる懐古主義に終わらない点は、著者の非常に幅広く学際的な研究領域によるところが大きいと思われる。やや冗長な表現も多いが、時空を超えて視野を広げることができるスケールの大きな作品。 -
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「銃・病原菌・鉄」で著名な生物学者が、研究のために定期的に訪れるニューギニアでの生活をもとに、伝統的社会と工業化社会との広範囲かつ詳細な比較を通して、現代社会が抱える課題と解決策を提示した大作。
著者は、我々が常識として受け容れている文化や生活様式が、実は人類の長い歴史からすれば「つい最近」作られたものであり、 人類が圧倒的に長い時間を過ごしてきた「昨日までの世界」における人間関係、紛争解決、リスク回避、宗教、子育て、高齢者対策の中に、「今日の世界」が物質的豊かさと引き換えに抱えた新たな社会問題を解決するためのヒントがあると主張する。
ともすれば産業化が遅れた「未開の地」として片付けられがちな伝統的社会に光を当てつつ、それらを手放しで賞賛するような単なる懐古主義に終わらない点は、著者の非常に幅広く学際的な研究領域によるところが大きいと思われる。やや冗長な表現も多いが、時空を超えて視野を広げることができるスケールの大きな作品。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ下巻。
「危機とそれに対する反応」として、伝統的社会における「建設的なパラノイア」という態度が説明される。他部族との遭遇や怪我、病気などによる命の危険が多い社会では用心深い態度が求められ、現代社会の観点からするとパラノイア的にも見えるが、確率の低い出来事も数多く繰り返されると危険であることを教示している。たとえば交通事故など。
・狩猟や採集など、食物の獲得が不安定な社会では誰かがとったものは全て集団全体に分配する。これによって収穫の不安定さをならすことができる
・われわれは「危険」をマスメディアを通して知るため、めったにおこらないような事故を過大評価する。上巻の「建設的なパラノイア」の観点から言えば、飛行機事故よりも交通事故の方を重視して生活すべき
・糖尿病や高血圧など、非感染性疾患による死亡が現代社会では多い。カロリーや塩分を容易に摂取できる食生活の影響。
・宗教の役割は
説明することー科学にとってかわられた
不安を軽減することー国家にとってかわられた
死への恐怖(死後の世界を約束する)
規範・道徳を与える
戦争の正当化(異教徒は殺してもよいという理由付け)
に用いられてきたが、死への恐怖以外の点ではかつてほどの重要さはない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ著者のフィールドであるニューギニアの暮らしはいわゆる「未開」の社会(伝統的社会)ではあるが、我々が暮らす現代社会は10万年近い人類史から見るとほんの一瞬に過ぎない。農耕が始まる1万1000年前までは狩猟採取の生活であったし、国家の成立もたかだか5400年前。必ずしも伝統的社会はよいことばかりではないが、と断りつつも全体に伝統的社会に対するノスタルジアを感じさせる内容。
・西洋社会は個人主義であり、他人との競争が中心になっている。伝統的社会は個よりも集団としての振る舞いが重要になる。個人がおこした不祥事の後始末もコミュニティ全体でけりをつけるし、その際はこれまでのコミュニティ同士の貸し借りの精算も行なわれる。
・食料などが十分にはない社会では高齢者の口減らしが行なわれることも多い。口伝に頼らなくとも知識が伝えられるようになった現代社会でも「老人の知恵」はさほど必要とされてはいないが孫を育てる手伝いなどをする。
・子育てなどは親以外の人々(アロペアレント)が介入し、子育ての責任は社会全般で共有される。
体罰はしない社会とする社会とがある。一般的に、狩猟民族は子供に対する体罰を行わないが、牧畜民族などでは行なわれる。これは家畜のように希少な共有在を持つ社会では子供の間違った行動によって大きな損失を招く可能性があるからなのだろう。
授乳期は長く、両親と行動を共にすることも多く、アロペアレントによって多くの社会モデルを目にし、スキンシップも多い。こうしたことがよりよい人間に育つ原因である、とややノスタルジックな見方がされる
復讐心や戦争は人類のDNAに刻み込まれているのだろう