倉骨彰のレビュー一覧
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ネタバレ下巻読み終わりました。
個人的には、下巻の方が上巻より面白かった。
危険な事への対応と宗教や健康について、小規模社会と現代の西洋社会の違いについて説明しています。
面白かったのは危険に対する建設的パラノイアと健康について。
建設的パラノイアとは、ニューギニア人が、さほど危険では無い事について、被害妄想なくらいに心配するという行動から付けた作者の造語です。
作者がニューギニア人と森に出かけ、野宿をするとき、大木の下で寝ようかと持ちかけたところ、木が倒れて死ぬかもしれないので、絶対に嫌だ、と断られたという。ニューギニア人は一年に100日、40年で4000日くらい野営をする。たとえ、1000回 -
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Posted by ブクログ
なかなか壮絶な内容。
まず、人類の知能を圧倒的に上回る汎用知能である「スーパーインテリジェンス」は、様々なハードルはあるもののいずれ達成されることがほぼ確実であることについての詳細説明があり、これがものすごく面白かった。
達成の手段として、著者は、人工知能の自己学習プログラム及びハードウェアの発展による(いくつかの技術的ブレークスルーが必要)マシンインテリジェンスの実現(どのように汎用知性を手に入れるかに関して現時点で保証できる確実なボーダーラインである「生物進化のシステム上での再現」は計算能力の観点で完全な実現は不可能であるが、例えば脳神経科学の発展に伴う技術的革命や発見によってこれよりショ -
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今まで読んだダイアモンドの作品とは一線を画している様な気がする。
この作者がずっと研究してきた伝統的社会との比較を通じて、現代社会への問題提起をしている。
どれが正しいとか間違っているとかの判断を下そうというものではなく、哲学的な色が強いかな。
恐らく晩年に達している作者は、自分の研究から得た考えを集大成的する意味合いで作ったと思う。それだけに作者の強い思いが伝わってくる。
自分と他者とを区別する境界線から始まって、「平和と戦争」・「子育てと高齢者」についての考察が上巻の内容。
作者のいうところの工業化社会に属している自分にとって、全く別の価値観(伝統的社会の価値観)を提示する -
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Posted by ブクログ
著者はシンギュラリティがいつかは到来するという考えを持っている。マシン・インテリジェンスが人間の知能を越えるのを前提に、人類は何を用意しないといけないのか、AIのコントロール方法などを考察する。ページ数が多く、とても読みやすいとは言えないが、最低限AI技術者は本書を読むべきだろう。AIは人類を滅ぼしかねない危険な存在にもなりえる。そうならないようにする方法を考察するのだが、そこは人類とAIの知恵比べにもなりかねず、悲観的な未来しか私には見えなかった。核兵器と同程度の危険性をAIが持ってしまうのではないかと、本書を読むとそんな心配までしてしまう。論文のような書籍であるが、AIに興味を持っている人
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下巻は 宗教・言語・健康
全部の卵を1つのカゴには入れてはならないというリスク回避の教訓
宗教学における機能主義的アプローチ
宗教はある種の役割を担い、社会秩序を維持し、人々の不安を慰め、政治的服従を教える
旧約聖書4分着
善なる全知全能の神が存在するのであれば、なぜこの世に悪が起きるのか?
超自然的な信念は、事実上すべての宗教に存在する
他人にとっては信じがたい宗教的迷信を、時間や資源を投じて信じることが、どの宗教にも見られる特徴である
人に癒しや希望を与えて、人生の意味について語る
人は不幸な目に合えば会うほど、より信心深くなる。止める人々よりも貧しい人々が、止める地域より -
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食料とセックスでは、どちらのほうがより重要であるか。この問いについての答えは、シリオノ族とわれわれ西洋人とではまったく逆である。シリオノ族は、とにかく食料が一番であり、セックスはしたいときにできることであり、空腹の埋め合わせにすぎない。われわれ西洋人にとって最大の関心事はセックスであり、食料は食べたいときに食べられるものであり、食べることは性的欲求不満の埋め合わせにすぎない。(下巻p.104)
宗教に消滅する兆しがみられないのはなぜなのだろうか。それは、人間というものが、いまも昔も、事象の意味について模索しつづけているからかもしれない。われわれは、いまも昔も、人生の意味について模索しつづけて -
Posted by ブクログ
かなり内容の濃い本だった。筆者の基本的なスタンスとして、とことんまで事実を調べて、それと比較が出来る別の事象までも集めてきて、細かすぎるまでに徹底的に論理的に検証を進めている、ということが伝わってきて、どの話も、とても説得力が有る。
扱っているトピックも、戦争や、子殺し、賠償、などどんな小さな村や社会にもあるような普遍的で、かつ生々しい、根源的な事柄を取り扱っていて、どれも人間の本性について考えさせられる興味深い内容ばかりだった。
いかに自分が、自分の育ってきた世界の価値観に染まりきっているかということがよくわかる。
世界には様々な価値観があって、その間に優劣はないし、どれが絶対的に正しい常 -
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Posted by ブクログ
興味深かったのは、ニューギニアで交通事故を起こした場合の調停の部分。
使用人として事故を起こした場合は会社が責を負い、すべて対応するのは当たり前ですが、報復殺人を避けるために代理人を置いてわずか5日程度で調停が終了する。代理人は被害者・加害者とは別の部族のものが行い、ほぼ1回の調停で賠償額(Sorry Money)を決め、報復殺人が行われないと確信した時点で被害者・加害者ともに葬式が行われた。もし個人で起こしてしまった場合には、加害者の村・親類縁者が賠償することになる。
このような状態になっているのは、現代社会において事故など発生しても当事者同士がかかわることはまずないが、ニューギニア -
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ジャレド・ダイアモンド「昨日までの世界(原題:The World until Yesterday~What can we learn from Traditional Societies?)」の上巻を、やっと、本当にやっと読み終わる。
この人の本は、「銃・病原菌・鉄」、「文明崩壊-滅亡と存続の命運を分けるもの」に続く三回目、それぞれ上下巻二冊で、どれも、もぉぉ~本当に分厚くて長い。小さい活字で頁にびっしりというのが定番だ。なぜこんなに長いのか? それは彼が実際に見聞きした事実を隠さずに克明に書こうとしているからだ、ということになるだろう。今回はインドネシアのニューギニア島でのフィールド -