由井りょう子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
1945年8月6日の朝、爆心地近くで被爆した11歳の少年が見たあの日のヒロシマの話。
作者は語り部として活動を続けてこられた米澤さん。
爆心地から700メートルほどしか離れていない、満員電車の中でその時を迎えた少年が見た、この世のものとも思えない光景。
この本を選んだのは、その前に原爆の詩集を読んでいたからでした。詩ではない、体験談の文章として読んでみたいと思ったためです。
出身県が広島でも、長崎でもなく、語り部の方の話を聴く機会は今までありませんでしたが、この本の文章は易しい言葉で、目の前にいる自分に対して語りかけてくださっているようでした。現地で体験した人にしか語ることのでき -
Posted by ブクログ
米澤鐡志さんは1945年8月6日、11歳のときに広島で被爆しました。
当時、米澤さんはお母さんと妹、弟たちと疎開先で暮らしていました。この日は、広島の家へ生活に必要な荷物を取りに行くため、朝早くお母さんとふたりで出かけたのです。原爆が投下された時、米澤さんとお母さんは電車の中にいました。
米澤さんは長い間、語り部としての活動を続けてきました。これまで、書籍化の誘いを断ってきた米澤さんだでしたが、東日本大震災での福島第一原発の事故をきっかけに、自身の体験を本に残すことを決めたそうです。この本には、少しでも大きの人に「核」と「戦争」について考えるきっかけにしてほしいという願いをこめられています。 -
Posted by ブクログ
東日本大震災から13年…このタイミングでこの作品を手にしました。発災から100日間、石巻赤十字病院の災害医療活動を追ったノンフィクションです。
地域に根差した医療活動と、災害に備えた活動を発災前から行っていた石巻赤十字病院…。備えがあったからこそ発災後も対処できたこともあれば、津波肺や低体温の症状を呈した患者さんの対応や、ライフラインや物資が十分でない中の活動は想定を越えものだった…。職員も家族の安否が不明であったり、家族が犠牲になったり、住まいの損壊に見舞われたりと、職員も被災者でもあり役所も機能不全の中、それでも命を救うために尽力する…。
備えはしすぎることはないもの…そう強く感