小阪修平のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
その名の通りです。読んで思ったのは「そうだったのか!」の連続で。これほどわかりやすく現代思想についてまとまっている本もそうないと思う。普通にハイデガーとかドゥルーズとか読むとどつぼにはまってしまって、ポカーンの連続になって、全然ページが進まないけれど、この人の語り口で咀嚼されたものを読むと、非常にわかりやすい。わかりきってはいないけれど、わかったつもりにはなれる。そんな簡単に「わかる」わけがない。「わかる」というのは深いんだから、そもそも。でも、面白かった。現代思想が面白いのは、現代に真に立脚して成り立っているから。それは現代思想に限らず。現代アートも。現代音楽も。読んでて考えさせられる本は、読んでて楽しい。(07/12/10)
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Posted by ブクログ
[ 内容 ]
団塊(全共闘)世代と言われる人たちがまもなく定年を迎える。
社会変革を夢見て活動し、その後、高度成長期を走り抜け、戦後の一時代を切り拓いた全共闘世代とは、何者だったのか。
そして全共闘運動とはいったい何だったのか?
個人的経験から語りはじめ、この世代の意味を思想としてとらえなおす、同世代から団塊ジュニアまで必読の論考。
[ 目次 ]
第1章 一九六六年の東京
第2章 戦後民主主義と空想
第3章 六〇年安保と三派全学連
第4章 全共闘運動―一九六八年
第5章 全共闘運動の転回―一九六九年から七〇年代へ
第6章 七〇年代―市民社会の風景
第7章 八〇年代
第8章 九〇年代から現在へ
第9章 二十一世紀あるいは、ささやかな小括
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
小阪 修平さんという在野の思想家の方の、朝日カルチャーセンターの講義録ですが、明快でわかりやすいです。今まで読んだ現代思想の本の中で一番わかりやすいです。特に所々、構造を図示しているのが良いです。
例えば、P.98に出てくる図7。知、自我、という丸があり、その外部に無意識、生、私、歴史、という矢印が伸びています。基本的に現代思想の問題とは、物事の基準とか根拠はこの丸の内部に無い、というところから発している、ということです。生といっているのはニーチェ、無意識といっているのはフロイド、私といっているのがキルケゴール、歴史といっているのがマルクス。イメージが湧きます。 -
Posted by ブクログ
フランス現代思想の主要な思想家たちをとりあげてわかりやすく解説している本です。
ヘーゲルで頂点を極めた近代思想は、主体・言葉・真理が一致するはずだという発想に根ざしていました。こうした主体中心主義、あるいはロゴス中心主義への異議申し立てが、現代思想の主要モティーフとなっています。現代思想の源流となったニーチェとフロイトは、自我の外部にある生や無意識の領域について語り、ソシュールは言語が恣意的な体系であることを明らかにしました。他方、フッサール、ハイデガー、サルトルらは、ヘーゲルの絶対精神に代表されるような普遍的な意味をもつ近代的主体に代えて、「実存」に基づく哲学を構築しました。
現代フランスの思想家たちは、こうした思想家たちの仕事を引き継ぎながら、主体中心主義やロゴス中心主義を全面的に批判し、そこからたえず逃れていくことをめざしました。デリダの「脱構築」、ドゥルーズ=ガタリの「ノマド」にはそうした戦略が認められ、バルトやボードリヤールも現代の消費社会にたえまない記号の差異化の戯れを見いだそうとしていると著者は解説しています。
ただし、こうした現代思想の戦略には、際限のない相対主義に陥ってしまうという問題が避けがたくつきまとうことになります。著者は、単に主体の「外部」が存在することを認めるだけでは、いまだ「他者」との倫理的な関係を築くことではないと指摘し、「内部」と「外部」とのあるべき関係について、自己の内なる不透明なものを認めつつ、それと鷹揚に付き合っていくような「倫理」がめざされなければならないと主張します。
なにを解説しても全共闘体験やサルトル体験を起点に語り出されるのが、いかにもこの著者らしいという気がします。 -
Posted by ブクログ
そういえば、デリダの「脱構築」とかってよく聞く割には意味が分かっていないなぁと感じて新書コーナーにでんと積まれていたのを手に取った一冊。
著者曰く「市民のための語りおろし現代思想」ということだそうだけれど、なるほど文体は講義調で比較的平易な言葉が使われているにも関わらず、あまり説明がうまくない(あくまで個人的な感想だが)せいか若干の消化不良感の残る一冊ではあった。少なくとも、これを読んでタイトル通り「現代思想ってそうだったのか!」とピンと来るような人は少ないと思われる。哲学にはままあることだけれど、分かりやすく説明するために用いられる図というのがまず分かりやすくないし、文化人類学に関してはそこそこ前知識があるはずの自分でさえよく飲み込めない部分が度々あったので(まぁ、結局は自分の勉強不足によるものが大きいのだが)ましてやこれまで哲学や思想やらに全く触れたことのない完全なビギナーにこれを読んで現代思想を理解しろと言っても土台無理な話だろう。
個人的には、ひとまず各思想家の原著に自分で当たってみて、玉砕した後にこの本を読むというぐらいが内容把握にはちょうど良い気がする。その点では、フーコーに関する説明は分かりやすくてかなり助けになった。また、逆にこの一冊をさらりと軽く読んで、どうやら面白そうだなと感じた思想家から入ってみるのも良いかもしれない。以前自分で勉強した時には訳が分からないと匙を投げてしまったソシュールも、この本を読むと面白く思えてきたことは自分でも不思議だった。そういう、食わず嫌いというか、勝手な思い込みで理解できないと諦めていた思想を今一度興味の対象として持ってくる力はある。その意味では、思想の解説書とはいえ、あまり根を詰めて読まない方が良い一冊かもしれない。
流れとしては、終始ニーチェに始まるという「現代思想の潮流」に常に力点をおいて解説がなされていたのはとても良かった。当時性とか時代性が見えにくくなっている今、こういう長いスパンでどのように思想が変化・発展してきたかという見方は、自分もまた世界のうねりの中で生きているのだという実感を取り戻してくれる。個人的には、当初の想像以上に著者の考えが深く練り込まれている一冊というか、純粋な概説というには大分著者の解釈が強く関わってきている本だという印象を持ったので、読んだ後にはこの著者の主張を足がかりに、現代の諸問題についていろいろと自分の考えを巡らしてみるというのが本書の理想的な生かし方なのだろうと思う。あとは、私は文化人類学畑の人間なので、「相対主義」というとどうしてもすぐに「文化相対主義」が出てきて、「みんな違ってみんな良い」というような、そんなほのぼのとした幸せなイメージばかりが湧いてくるものを、著者自身が「恣意性を乗り越えていくことが現代の一つの課題だ」という風に指摘していた点は非常に興味深かった。そうは言っても、「みんな違ってみんな良い」じゃ、この世は好き勝手にされてしまうじゃない?と、常日頃疑問を感じているような人には、なるほどと一つ納得できる意見が示されていたように思う。見た目の分厚さには最初引いてしまう部分もあるけれど、気軽に現代思想の世界に触れられるという意味では楽しい一冊だった。そうして、やっぱりフーコーという人は本当に凄かったんだなぁ。