オルテガ・イ・ガセットのレビュー一覧
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これからの時代に大切な事は、未来への思考である。過去に立脚した教訓を持ち、そこから未来と言う共同目標を持つことで、国民が1つとなり、あらゆることを成し遂げていくことができる。19世紀の時代は大量生産社会であり、分業の時代であった。だからこそ、機械的な人間が模範となる人間であったし、そういった人間を教育するようになっていた。しかし、上の命令を聞くだけの人間は、これからの時代には全く通用せず、路頭に迷うことになる。だからこそ、教育の大転換が必要である。過去の歴史から教訓や周りへの尊敬の念を高め、そこから開かれた未来を想像できる人間を作っていかなければならない。これは、これまでの中で1番質の高い人間
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「言葉はこれまでの濫用によって、その権威を失墜してしまった。ここで言う濫用とは、他の多くの場合と同じく、配慮なしに、つまり道具としての限界について意識なしに使用することである。ほとんど二世紀も前から、話すとは「万人に向かって」(urbi et orbi)話すことだと言じられてきたが、これは結局、誰に対しても話さないに等しい。私はこうした話し方を嫌悪するし、自分が誰に対して話しているか具体的に知らないときには胸の痛みさえ覚える。」
このオルテガの言説からおよそ95年が経った現在、「万人に向かって」(urbi et orbi)話すことを理想とする言説が過去になったとは言い難い。むしろ、テレビから -
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ネタバレ1930年刊行。某経済誌で今読むべき古典と紹介されていた。
たしかに、名言・格言だらけ。例えば、
「人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のままに漂う浮標のような人々である(p18)」
「今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするとこ -
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それ以前の人々にとって生とは重苦しい運命だった。しかし、現代の「大衆」=「平均人」は、彼を取り巻く世界に甘やかされている。経済的、肉体的、社会的安楽さをあたりまえのものと思っている。
近年のヨーロッパに蔓延する無力感は、「潜在能力の大きさ」と「政治機構の大きさ」とのアンバランスから生まれる。
「国家というものは、人間に対して贈り物のように与えられる一つの社会形態ではなく、人間が額に汗して作り上げてゆかねばらないもの」
国家を成り立たせる要因は、血縁でも、言語でも、過去でもなく、「われわれが一緒になって明日やろうとすること」
「国家は一つの事物ではなく、運動である」
「ヨーロッパ大陸の -
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学生の頃に探すも見つけられなかった本が筑摩の文庫にあった。18世紀のルソー「社会契約論」19世紀のマルクス「資本論」、20世紀はこれと言われた社会論のバイブル。皇帝、覇王など選ばれた人のための国家と違い、近代の国民国家は、ビジョンも持たず自ら責任も取らない「慢心しきったお坊ちゃん」たる大衆が支配者になった。大衆の集まりによる自由民主主義の限界。今後どうあるべきか。90年前オルテガはファシズム、ナショナリズム、スターリン的マルクシズムの限界を見抜き、ヨーロッパの現状を憂いて書いたが、今やアメリカも日本も、世界がこの状況にある。多くの学者や思想家が影響を受け、論じてきたが誰も答えを見つけられていな
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ネタバレ文明に突如現れた野蛮人。
教育水準の向上が要因?
まるで、今日の状況を分析したような論文集である。
反〇〇に対する過去を絡めた考察は、示唆に富み、唸ってしまう。
論文集。
大衆の唯一の行動は、私刑(りんち)。
社会のアノミー化。
ヨーロッパ文明の凋落。
オルテガは、堕落した大衆の誕生を、ヨーロッパ文明の支配の低下、つまり、歴史的に見ているふしがある。
民主制度の価値の失墜。
国民国家の形成には、未来への計画が必要。
後半は、ヨーロッパという国民国家を超えた共通の基盤のせり出しに注目している。
生の原理の基盤として、ヨーロッパを置き、歴史的使命を終えた国民国家に代わり、ヨーロッパ -
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「大衆というものは、その本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである」
「われわれがここで分析しているのは、ヨーロッパの歴史が、初めて、凡庸人そのものの決定にゆだねられるにいたったという新しい社会的事実である。あるいは、能動体でいえば、かつては指導される立場にあった凡庸人が、世界を支配する決心をしたという事実である」
「人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な欲求を持たない人々 -
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※激高した労働者が武装蜂起、世界初の労働者政権(パリコミューン)が成立(1871)
人間は集団になると一体感をもち、無意識に同一の方向に動く。個々の人間の性質とは異なる集団の精神が生まれる。大勢の中にいると個人を抑制する責任感が消滅し、本能に負けてしまう。催眠・暗示を受けやすくなる(1-1)。群衆の中の個人はもはや彼自身ではなく、自らの意志で己を導く力を失った自動人形となる。群衆は衝動で動き、昂奮しやすく、他人の言葉を軽率に信じ込み、感情が誇張的で単純、偏狭で横暴。また、個人がなし得るよりも高度の犠牲的な無私無欲な行為も行い得る(1-2)。ギュスターヴ・ル・ボンLe Bon『群衆心理』189