オルテガ・イ・ガセットのレビュー一覧
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ポピュリズムという言葉が流行る前に書かれた、大衆についての本。
オルテガは、植民地を肯定した上で、過度なナショナリズムも批判しつつ、ヨーロッパ人の多様性を尊重している、という現代日本ではあまり見ないタイプのインテリであるらしい。
しかも書かれていることは抽象的な記述が多く具体例がないため、彼の真意が掴み切れないところもあるが、ポピュリズムという言葉に問わられない状態で、哲学者が大衆の定義を試みているのはなかなか興味深かった。今なら、これは民主主義の弊害のポピュリズムだね、で終わってしまうところを、よく観察し批判していると思う。
具体例に乏しいためオルテガの真意の理解が難しいというのは残念なところであるが、国と時代が違えどポピュリズムが発見されている点はなかなか面白かった。 -
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※激高した労働者が武装蜂起、世界初の労働者政権(パリコミューン)が成立(1871)
人間は集団になると一体感をもち、無意識に同一の方向に動く。個々の人間の性質とは異なる集団の精神が生まれる。大勢の中にいると個人を抑制する責任感が消滅し、本能に負けてしまう。催眠・暗示を受けやすくなる(1-1)。群衆の中の個人はもはや彼自身ではなく、自らの意志で己を導く力を失った”自動人形”となる。群衆は衝動で動き、昂奮しやすく、他人の言葉を軽率に信じ込み、感情が誇張的で単純、偏狭で横暴。また、個人がなし得るよりも高度の犠牲的な無私無欲な行為も行い得る(1-2)。ギュスターヴ・ル・ボンLe Bon『群衆心理』1895 (94) ※心理学者
◆群衆は国籍・職業・性別を問わない(1-1)。
◆群衆は放任されていても、自己の混乱状態に飽きて、本能的に隷属状態のほうへ赴く(1-2-4)。
→大衆主導の民主主義への不信。
大衆(的な性質)。同調しやすい。自分に高い基準を課さず、現状に満足している。責任感がない。わがまま。下品。社会について深く考えない。特別の資質をもたない。平均的な人たち。他の人と同じであることに喜びを見出す。自分の限界を自覚せず自己主張する。自分の権利を押し通そうとする。こうした大衆(的な性質をもつ人々)が社会全体の価値基準を支配する。ファシスト党もボリシェヴィキも大衆に支えられている。自分の専門に閉じこもり傲慢で他人の言葉に耳を傾けない専門人(知識人)も「大衆」的な人々▼エリート(的な性質)。良い意味で個性をもつ。行動が自律的。向上心がある。責任感がある。公共の利益を優先。高い品格。自分に高い要求を課す。常に自己懐疑を持ち、自分が愚劣に陥る危険性を感じている▼大衆(的な人々)とエリート(的な人々)を分けるのは階級でも財産でもない。オルテガ・イ・ガセットGasset『大衆の反逆』1930 (97)
■6世紀にヨーロッパの歴史が始まってから1800年まで、人口はずっと1億8千万以下だったが、1800年から1914年までのわずかな期間で人口は4億6千万に増加した。p.118
■文明の基礎は他人への配慮。共生への意志。他者を考慮しないのは反市民的で野蛮。p.154
革命を目指す人々の心性(集合心性)は何の背景もなく生まれるのではない。その芽生えははるか昔にさかのぼる。領主と農民の対立は、封建制とともに古いものであり、数えきれない農民一揆によって露わにされてきた(p.38)。あらかじめ人々の内に革命的な集合心性が醸成され、それが何かのきっかけに意識の前面に現れる(p.33)。革命的「群衆」の心性は動物性への回帰ではない(p.65; cf.ル=ボン)▼敵対者のイメージは抽象化される。たとえある領主が個人としては穏健で寛大な性格を持っていても、次第に考慮しないようになっていく(p.42)。「典型的領主」は利己的で悪しき意図をもっており、自らの優越性を脅かす一切の改革を妨害する、と農民たちは短絡的に決めつける。なぜなら農民たちがもし自分が領主の立場に立てば、同じように改革を妨害するだろうと疑問の余地なく感じ取っているからだ(p.43)。一方、苦しむ階級についてのイメージは楽天的であり、貧しき者はあらゆる徳を付与される(p.45)。アンリ・ルフェーヴルLefebvre『革命的群衆』1934 (96) ※マルクス主義
※ 農民の領主への鬱憤はイングランドにもあったのでは? 農民一揆も
人はみな独りぼっちだと不安を感じる。仲間からの承認がほしい。そこで他人の行動を見て、自分の行動を決めるようになる。常にレーダーを張って、他人の期待や好みに敏感に反応。社会の側が個人に世界への反応の仕方を要求している(社会的性格)▼政治に無関心か、もしくは政治について知識や情報を得ることには熱心であっても、自ら進んで政治に関わろうとしない。傍観者。デイヴィッド・リースマンRiesman『孤独な群衆』1950 (90)
自分が権力をもてる&エリートに操作されやすい「大衆社会」△。自分が権力をもてる&エリートに操作されにくい「多元的社会」◎。自分が権力もてない&エリートに操作されやすい「全体主義社会」×。自分が権力もてない&エリートに操作されにくい「共同体社会」。共同体社会では支配層と一般人が隔絶されている。ウィリアム・コーンハウザーKornhauser『大衆社会の政治』1959 -
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【印象に残った話】
・大衆とそうでないものの違いは以下の通り
・大衆:自分自身に特殊な価値を認めず、自分は「すべての人」と同じだと信じ、それに喜びを見出すすべての人間
・大衆ではないもの:自らの能力に不満を覚えていたとしても、常に多くを自らに求める者
・大衆の国家に対する態度は以下の通り
・自分のものと信じこんでいる
・何か問題が起きたとき、国家がそれに対して責任を取り、直接手を下して解決すると思っている
【考えたこと】
・新型コロナウイルスに対する政府の対応を非難し、その非難に応じて政府が対応方針を変更したとしてもさらにそれを非難する、今の日本の姿と重なる -
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ネタバレ全ての意見に賛成という訳では無いですが、耳障りの良い正論ばかりでは無い魂のこもった文章で、また新たな視点に気づく事が出来た作品でした♪
ところどころカチンと来るところもありますしこんな生き方は息苦しいと思ってしまいますが、過去に無敵艦隊とまで呼ばれていたスペインの凋落ぶり・無気力ぶりに喝を入れようとした教育者的使命感で書いた新聞記事として捉えると俄然価値のある作品に思えてくるから不思議。昔読んだ「E・H・カー」の「歴史とは何か」に書かれていた一節「歴史を研究する前に、歴史家を研究して下さい。そして、歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的及び社会的環境を研究して下さい。歴史家は個人であると同時に歴史及び社会の産物なのです。」を思い出しました。
この本のあとがき&訳者解説はかなり秀逸なので、「ちょっとこの本、苦手だな」と思った人は、まずあとがき&訳者解説から読む事をオススメします☆ -
Posted by ブクログ
1930年刊行で90年が経過。
オルテガが指摘したように、大衆が大衆であることを認識しているだけならまだしも、大衆が凡俗ではなく一門の人間であると声高に主張するような時代になりつつあり、もはや軌道修正などはかれそうもないという絶望を感じつつ、コロナ禍でシステムの中にいることが当たり前ではないということに気づけた人たちがいるのは、もしかしたら意識を大きく変えられるチャンスなんじゃないかと思った。
数学の公式を利用した物理学が天文学の分野で活かされていて、ピタゴラスが「星は動きながら音を出す。そして宇宙は音楽を奏でている」という言葉を残したように、独立しているであろう学問が実はすべて結びつきがあるという考えがすごく好きなんだけど、象牙の塔に籠らず総合知を身に着けるという考え方はもっと広まって欲しい。
岩波版の評価もよいのでそちらも読んでみたい。 -
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エリートの政治から大衆の政治への転換による弊害について述べられたもので、1930年に書かれている。あくまでヨーロッパに焦点が当てられていることと過激な表現が多いことが気になるが、本質を鋭く突いており、とても二次大戦前に書かれたとは思えない。現代社会も状況は大きく変わっておらず、本書の意見を踏まえ物事を考察していくことは大事であろう。
「大衆人はただ欲求のみを持っており、自分には権利だけがあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない」p23
「今日の虎は六千年前の虎とまったく同じである。というのは、虎は一頭一頭、あたかも以前に虎など存在していなかったのごとく、新たに虎としての存在をはじめなければならないからである。ところが人間は、記憶力のおかげで自分自身の過去を蓄積し、それを利用する。つまり新しく生まれてきた人間は、最初から過去の堆積というある程度の高みに立っているのである。その唯一の宝の最も小さな長所は、それがわれわれに、つねに同じ誤りを繰り返すのを避けるために、失敗を記憶することがいかに重要であるかを教えてくれることである」p50
「民族は、過去のあらゆる時代を完全にわがものとし、それを積極的な働きをする財産として保持している」p53
「大衆が(エリートの)少数者に対して不服従となり、少数者に服従することも、少数者の模範にしたがうことも、また少数者を尊敬することもなく、その反対に少数者を脇に押しのけ、彼らにとって代わろうとしている」p73
「(大衆の行う)政治形態は未来のことを計算して出てきたのではなく、現在の緊急事を解決するために出てきた政治形態である。そのため、社会的権力の活動はその時々の葛藤をかわすことだけに限られている。その活動は葛藤を解決するためではなく、さし当たってそれから逃れるためである」p110
「甘やかされた大衆は知性がかなり低く、空気と同じように自分の自由になる物質的、社会的組織も、やはり空気と同じ起源のものだと信じている」p123
「飢饉が引き起こす暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、その際に彼らが用いる手段といえば、こともあろうにパン屋を破壊することである」p124 -
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きわめて強力でありながら同時に自分自身の運命に確信が持てない、自分の力に誇りを持ちながら、その力を恐れている時代。優越感と不安感の入り混じり。
大衆⇔貴族:努力の人、優れた人というに等しい。つねに自己を超克し、おのれの義務と要求を強く自覚して、既成の自己を超えてゆく態度を持つ者。
大衆が国家という匿名化された機械を使う
アメリカはヨーロッパから生み出された若返りにすぎない
アメリカが優れているのは市場が広大である事の結果にすぎない
国家(state)は一つの均衡状態を意味する。しかし平衡状態ということは、そのうちにダイナミズムが秘められているという事。
ヨーロッパ各国のアイデンティティのほとんどはヨーロッパ内で共有されている物
大衆の願望は、いかなるモラルにも束縛されずに生きることにある
現代は大衆人(生の計画を持たない存在)が支配している→大衆人の「お坊ちゃん」化。自分を取り巻く豊かな環境を当たり前に感じてそれが生み出され維持されている事に感謝を忘れ、自分より優れた者の声に耳を貸さない不従順で自己閉塞的で野蛮な人間になっている。
現代の危機は、模範的人間の欠如と反逆的大衆の増大の両方。解決するためには、過去の歴史など、現状の背景を意識する必要がある。 -
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本気なのか?反語なのか?といった攻めている感じの文章がある。その先を続けてよく読めば本当に言いたいことが何かわかるが。センセーショナルな章タイトルや導入部の書き方は、新聞のキャッチ―な見出しやリード(前文)に通じるものがある。
「大衆とは、良い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出している」という部分で、自分のことを言われているようだった。
「研究者の仕事がますます専門化する」「科学者が一世代ごとにますます狭くなる知的活動分野に閉じこもってゆく」「自己の限界内に閉じこもりそこで慢心する人間」といった言葉は、思想を持つために知を得る時に陥りがちな専門バカや狭窄的な視点への警鐘に思われた。
また「真に自己を迷える者と自覚しない者は、必然的に自己を失う」「一つの真理を発見するものは、その前に習得したものを粉砕しなければならない」という言葉も心に残った。 -
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スペインの哲学者オルテガによる1930年に発表された著作。
二つの世界大戦の間で、ファシズムが台頭しつつあったヨーロッパという環境下で書かれ、欧州各国でベストセラーになったと言う。
本書で著者は、
◆社会は、特別の資質を備えた個人である「少数者」と、特別な資質を持っていない「大衆」に二分され、「大衆」とは「自分に特別な価値を認めようとはせず、自分はすべての人と同じであるというふうに・・・他の人々と同一であると感ずることに喜びを見いだしているようなすべての人」である。「大衆」を生み出したのは「自由民主主義」と「科学的実験」と「工業化」であるが、1930年代のヨーロッパでは「大衆」が社会的権力の座に登った。
◆社会はよりよく生きるための道具として国家を作ったが、国家主義の高まりにより、社会は「大衆」によって構成される国家のために生きなければならない矛盾に陥った。ファシズムとは、このような大衆人の運動から生まれたものである。
◆また、世界中で台頭する「民族主義」は、歴史を形成してきた「創造的民族」(=ヨーロッパに反抗しようとする「大衆民族」の運動である。
◆nation stateとは、独自の原動力、即ち成員に共通した自己の計画・共通性を持つ必要があり、ヨーロッパ大陸の諸民族の集団による、そのような一大nation stateを建設することのみがヨーロッパを強化し得る。
と述べている。
「大衆」に関する分析は普遍性を持っており、現代日本における政治・社会の根本的な問題を的確に表している。佐伯啓思が月刊誌『新潮45』で繰り返し取り上げる民主主義の課題がここにある(新書化され、『反・幸福論』、『日本の宿命』、『正義の偽装』で刊行されている)。
一方、「創造的民族」vs「大衆民族」という主張は唯物史観的な発想であり、違和感を覚える。
民主主義について考えるための、一つの視点を与えてくれる。
(2011年2月了)