オルテガ・イ・ガセットのレビュー一覧
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【印象に残った話】
・大衆とそうでないものの違いは以下の通り
・大衆:自分自身に特殊な価値を認めず、自分は「すべての人」と同じだと信じ、それに喜びを見出すすべての人間
・大衆ではないもの:自らの能力に不満を覚えていたとしても、常に多くを自らに求める者
・大衆の国家に対する態度は以下の通り
・自分のものと信じこんでいる
・何か問題が起きたとき、国家がそれに対して責任を取り、直接手を下して解決すると思っている
【考えたこと】
・新型コロナウイルスに対する政府の対応を非難し、その非難に応じて政府が対応方針を変更したとしてもさらにそれを非難する、今の日本の姿と重なる -
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ネタバレ全ての意見に賛成という訳では無いですが、耳障りの良い正論ばかりでは無い魂のこもった文章で、また新たな視点に気づく事が出来た作品でした♪
ところどころカチンと来るところもありますしこんな生き方は息苦しいと思ってしまいますが、過去に無敵艦隊とまで呼ばれていたスペインの凋落ぶり・無気力ぶりに喝を入れようとした教育者的使命感で書いた新聞記事として捉えると俄然価値のある作品に思えてくるから不思議。昔読んだ「E・H・カー」の「歴史とは何か」に書かれていた一節「歴史を研究する前に、歴史家を研究して下さい。そして、歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的及び社会的環境を研究して下さい。歴史家は個人であると同時に -
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1930年刊行で90年が経過。
オルテガが指摘したように、大衆が大衆であることを認識しているだけならまだしも、大衆が凡俗ではなく一門の人間であると声高に主張するような時代になりつつあり、もはや軌道修正などはかれそうもないという絶望を感じつつ、コロナ禍でシステムの中にいることが当たり前ではないということに気づけた人たちがいるのは、もしかしたら意識を大きく変えられるチャンスなんじゃないかと思った。
数学の公式を利用した物理学が天文学の分野で活かされていて、ピタゴラスが「星は動きながら音を出す。そして宇宙は音楽を奏でている」という言葉を残したように、独立しているであろう学問が実はすべて結びつきがあ -
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オルテガ 「大衆の反逆」。大衆社会への批判と国家観を論述した歴史哲学な本。ヒトラーの大衆操作と民族的国家観と 比較しながら読んだ。
著者が伝えたかったのは、大衆を批判することで、人間のあるべき生き方。
「歴史は 農業と同じく、谷間から養分を吸収するのであって山頂から ではない。社会の平均水準から養分を取るのであって、傑出した人からではない」
大衆=平均人=慢心しきったお坊ちゃん
大衆社会=大衆により平均化された社会
*歴史的水準は向上した
*生の水準は向上した
ヒトラーは 大衆を言葉と権威で服従させたが、オルテガは 大衆を言葉で目覚めさせようとしたのではないか。国家観については ヒトラ -
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エリートの政治から大衆の政治への転換による弊害について述べられたもので、1930年に書かれている。あくまでヨーロッパに焦点が当てられていることと過激な表現が多いことが気になるが、本質を鋭く突いており、とても二次大戦前に書かれたとは思えない。現代社会も状況は大きく変わっておらず、本書の意見を踏まえ物事を考察していくことは大事であろう。
「大衆人はただ欲求のみを持っており、自分には権利だけがあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない」p23
「今日の虎は六千年前の虎とまったく同じである。というのは、虎は一頭一頭、あたかも以前に虎など存在していなかったのごとく、新たに虎としての存在をはじめな -
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きわめて強力でありながら同時に自分自身の運命に確信が持てない、自分の力に誇りを持ちながら、その力を恐れている時代。優越感と不安感の入り混じり。
大衆⇔貴族:努力の人、優れた人というに等しい。つねに自己を超克し、おのれの義務と要求を強く自覚して、既成の自己を超えてゆく態度を持つ者。
大衆が国家という匿名化された機械を使う
アメリカはヨーロッパから生み出された若返りにすぎない
アメリカが優れているのは市場が広大である事の結果にすぎない
国家(state)は一つの均衡状態を意味する。しかし平衡状態ということは、そのうちにダイナミズムが秘められているという事。
ヨーロッパ各国のアイデンティティのほとん -
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本気なのか?反語なのか?といった攻めている感じの文章がある。その先を続けてよく読めば本当に言いたいことが何かわかるが。センセーショナルな章タイトルや導入部の書き方は、新聞のキャッチ―な見出しやリード(前文)に通じるものがある。
「大衆とは、良い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出している」という部分で、自分のことを言われているようだった。
「研究者の仕事がますます専門化する」「科学者が一世代ごとにますます狭くなる知的活動分野に閉じこもってゆく」「自己の限界内に閉じこもりそこで慢心する人間」といった言葉は、思想を持つために知を -
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スペインの哲学者オルテガによる1930年に発表された著作。
二つの世界大戦の間で、ファシズムが台頭しつつあったヨーロッパという環境下で書かれ、欧州各国でベストセラーになったと言う。
本書で著者は、
◆社会は、特別の資質を備えた個人である「少数者」と、特別な資質を持っていない「大衆」に二分され、「大衆」とは「自分に特別な価値を認めようとはせず、自分はすべての人と同じであるというふうに・・・他の人々と同一であると感ずることに喜びを見いだしているようなすべての人」である。「大衆」を生み出したのは「自由民主主義」と「科学的実験」と「工業化」であるが、1930年代のヨーロッパでは「大衆」が社会的権力の座 -
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原著が書かれたのが1930年。訳書の初出が1953年、神吉訳が67年。そして神吉訳がちくま学芸文庫で再版されたのが95年、いま手元にあるのはその二十二版で2014年発行。
2015年になってから読んだ本書は、あと十数年で原著の出版から一世紀が経とうとしているが、未だに色褪せないばかりか、今日の社会の様相をよく言い当てているという感じがする。
今日的に解釈しなおすべき部分があるとすれば、それは大衆の可視的な現象が都市の中だけでなく、インターネット上に現れているということである。大衆による無知の押し付け、私刑(リンチ)の執行は、見えない暴力として目に見える形で人を襲っている。技術によってインタ -
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有名な“大衆批判”の書。
大衆を批判できる者は、当然「自分は大衆の一人ではない」と自覚していなければならないはずだ。 どんな上から目線やねん……と“大衆根性”丸出しで読み始めたら、早々にねじまがった根性を叩き直されるような一文に遭遇。
(以下、引用)
『一般に「選ばれた少数者」について語る場合、悪意からこの言葉の意味を歪曲してしまうのが普通である。つまり人々は、選ばれた者とは、われこそは他に優る者なりと信じ込んでいる僭越な人間ではなく、たとえ自力で達成しえなくても、他の人々以上に自分自身に対して、多くしかも高度な要求を課す人のことである、ということを知りながら知らぬふりをして議論してい