ホセ・オルテガ・イ・ガセット
(西: José Ortega y Gasset、発音: [xoˈse oɾˈteɣa i ɣaˈset]、1883年5月9日 - 1955年10月18日)は、スペインの哲学者。主著に『ドン・キホーテをめぐる思索』(Meditaciones del Quijote、1914年)、『大衆の反逆』(La rebelión de las masas、1929年)がある。W・ジェームズに触発された実用主義的形而上学により構成され、フッサールの実在論的現象学の方法を用いた「生の哲学」を展開し、(ハイデッガーに先駆けて展開された)原始実存主義や、ディルタイ、クローチェとも比較される歴史主義などといった彼の諸思想の基礎となった。日本では名の「ホセ」が削られ、姓のみの「オルテガ・イ・ガセット」と表記されまた呼ばれることが多い。
「真にものを言うということは、単に何かを言うだけではない。何者かが何者かに向かって何かを言うことなのだ、という事実があまりにも忘れられている。すべての言説の中には、話されている言葉の意味に対して無関心ではいられない発信者と受信者がいるのだ。意味は彼らが変わるに応じて変化する。二人が同じことを言っても、意味は同じではない( Duo si idem dicunt non est idem.)。すべての語は場合によって変化する( 1)。言語活動は本質的に対話であり、それ以外のすべての発言形式は効果が劣っている。それゆえ一冊の本は、私たちにひそかな対話をもたらすかぎりにおいて良書である、と私は考える。つまり著者が具体的に読者を想定でき、そして読者の方でもまるでその行間が親しく自分に触れ、愛撫しようとする──あるいは極めて慇懃に殴打を食らわそうとする──その一本の触手のようなものが出てくるのが感じられる限りにおいて良書であると考えるのだ。」
「国家という周知の、そしてこわばった仮面を着けているところにしか、つまりヨーロッパの特定の国々にしか、社会的権力の統一を見ないというのでは、再び古くからの隘路に入っていくことになろう。ともかく私は、そうした国々において機能している決定的な社会的権力が、国内のもしくは国民の社会的権力にのみ基づいているという見方を断固として否定する。ここではっきり気づかなければならないのは、もう何世紀も前から──意識するようになってからは四世紀このかた──ヨーロッパのすべての民族が、その動的な性格から、まさに力学的な「ヨーロッパ的均衡」もしくは「勢力均衡」( balance of Power)という名称で呼ばれている社会的権力にしたがって生きているということである。 その力の均衡こそが、真正なるヨーロッパの政府と言えるものであり、古代世界の廃墟から飛び立った蜜蜂のように勤勉で好戦的な諸民族の群れを、歴史を通じて律してきたのだ。ヨーロッパの統一は幻想ではなく現実そのものである。幻想と言うなら、それはまさにフランス、ドイツ、イタリア、スペインが実体的で独立した現実であるという思い込みの方なのだ。しかしながら、ヨーロッパは「物」ではなく一つの「均衡」だから、誰もはっきりとはヨーロッパの現実を捉えていないのも頷ける。すでに十八世紀に、歴史家ロバートソン[ウィリアム・ロバートソン。スコットランドの歴史家。一七二一─九三]は、ヨーロッパの均衡を「近代政治の大いなる秘密」と呼んだ。」
「言葉はこれまでの濫用によって、その権威を失墜してしまった。ここで言う濫用とは、他の多くの場合と同じく、配慮なしに、つまり道具としての限界について意識なしに使用することである。ほとんど二世紀も前から、話すとは「万人に向かって」(urbi et orbi)話すことだと言じられてきたが、これは結局、誰に対しても話さないに等しい。私はこうした話し方を嫌悪するし、自分が誰に対して話しているか具体的に知らないときには胸の痛みさえ覚える。」
このオルテガの言説からおよそ95年が経った現在、「万人に向かって」(urbi et orbi)話すことを理想とする言説が過去になったとは言い難い。むしろ、テレビからインターネット、SNSへの移り変わりという歴史的局面は、「発信者」を多様にすることによって、万人に向かって話す人々の絶対数を増やし、万人に向かって話すことを理想から現実、前提へと変えてきた。