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小さい頃から動画をたくさん見るとどんな影響があるのか? SNSを長時間使う子は読解力が低い? 紙とデジタル媒体では、どちらで読むほうが正確に読めるか? ICT教育のメリット・デメリットは何か? デジタル技術の急速な普及で、子どもたちの学習環境は大きく変化しており、考えるべきことは山積みだ。本書は、日本のみならず、海外の最新の研究をもとにデジタルと「学び」の関係を丁寧に分析する。これから先の教育を考えるうえで必読の一冊。
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Posted by ブクログ
AIを含むデジタル技術と教育の関係について関心があり本書を手に取りました。私は教育関係者ではありませんが、子供を持つ親としてとても興味深く読みました。まず本書は新書ですが、かなりの情報量で読み切るのにだいぶ時間がかかりました。ただ素人にもわかるようにアカデミック研究をかみ砕いて説明してくれているので...続きを読む、基本的なことは理解できた気がします。 細かい点はさておき、本書を読んだあとの全体的な印象です。幼稚園児以下にはテレビがプラスの影響をもたらさない、といったように結論がほぼ出ている領域もあるのですが、大半の教育分野については、誰に、どうデジタル技術を活用するかによって、プラスにもマイナスにもなり得る、というのが結論ではないかと思います。つまりケースバイケースだと。そうなると、効果測定をいかに簡単にやれるかが肝になるのではないでしょうか。つまりデジタル技術を使ったこのやり方は効果が出ていないが、別のやり方は効果が出ている(例えば英語学習で効果が出たなど)、といったことがわかれば、軌道修正すればよいからです。 本書ではAIについても少し触れられていますが、AIは教育の個別化だけでなく、評価にも十分使えるような印象を受けました。たとえば人間が書いたエッセイについて、AIが評価したものと人間が評価したものの相関係数は0.8を超えている(しかも相関係数は徐々に高まっている)とのことだからです。効果的な教育方法については唯一無二の手法はなく、人それぞれだとしても、AIがそれを逐次評価・軌道修正していく、というのが未来像として見えた気がします。とても勉強になる良書でした。教育関係者以外でも、小さな子供がいる人なども必読かと思います。
デジタル・コミュニケーションを前提とした、子どものリテラシーを育てるための言語教育に対する提言が書かれた本。また、急速に進歩した子どもの言語習得に関する最近の欧米や日本の様々な研究が紹介されている点も価値が高い。 著者は、子どもの第二言語習得が専門の、ペンシルバニア大学バトラー後藤裕子教授。 この...続きを読む本の最大の特長は、日本語と欧米の言語の特性を踏まえた上で論考がなされていることだろう。 また、ことばを身につけるときの身体性の重要性を説いているのも、子どもとことばに関わるボランティアをしている私の実感と合っている。 これからを生きるこどもたちには、デジタルを使ったコミュニケーションによって、インターパーソナルな空間を広げ・深められるリテラシーを、習得して欲しいと願っている。
デジタル・デバイスを用いた学習、とくに、著者が専門とする語学学習について述べられた本です。 必要に応じて、学習に限らず、デジタル・デバイスの歴史やAIの歴史にも触れてあり、デジタル・デバイスを用いた学習についての外観を知るにはとってもよい本だと思います。 ただし、学習全般ではなく、基本的には語学学習...続きを読むに限定されている点には注意が必要です。 今の技術では、デジタル・デバイスだけでの語学学習は厳しい、とくに年齢が低いほど厳しいですが、小学生以降であれば、使い方次第では有効な場面が多々あるようです。 結局のところ、デジタル・デバイスを用いた学習と、人のサポ―トのある学習の組合せが、語学学習にはベストではありますが、そのバランスは、技術の進歩とともに変わっていくと思われます。 また、今後は、デジタル・デバイスとのコミュニケーション、という新たなコミュニケーションが必要になる可能性もあります。 新たなコミュニケーションや学習法については、抵抗感があるケースもあるかと思いますが、今後の語学学習については、今まで以上に、食わず嫌いにならないことが重要になりそうですので、いろんな手法に取り組む姿勢が、語学学習を効率的に進める鍵になりそうです。
英語教育に携わっているので、読んでよかった。著者の研究がICT分野に進出していった理由は、イコールデジタル世代への言語教育にはICTが不可分である、と分かった。また、学校では教師にデジタルリテラシーが必須だということが納得行った。まずは使うことからだな、と。
子供とのinteractionがありさえすれば、YouTubeをみさせるのもあり、など子育てに役立つ情報は結構あった。
日本はデジタル教育も既に後進国であり、その差はコロナ禍で世界の先進国比でも2歩も3歩も遅れた致命的な結果を生み出した。それは、ここにあるデジタルテクノロジーに対する「アクセスの差」から「使用の質の差」となって現れているのは賛同する。政府(文部科学省)、教育委員会はデジタル教育に対する「形式だけ」で実...続きを読む務が伴ったリーダー的存在が欠けており、1990年代にも「一人1台のPC」と言って既に30年近く立っているが未だ同じことを言っている。やはり教育関係者も含めて一般的にデジタル・リテラシー不足であり、その人材不足が旧態依然のシステムのままで、今後、その差はアジア諸国でも最低となることは既に見えている。もう一つの原因は、日本の政府組織も含め組織そのものにも課題があり、若い人材の採用、権限委譲など積極性に欠ける組織と体制だ。
「紙がいい、デジタルがいい」と判断するのはこの本を読んでから。 新井浩子さんの議論や、ゲームの意義、AIなど、人によっては物足りない部分もあるかもしれない。
私が子供の頃はゲームや漫画、テレビ。今の子供たちは、オンラインでゲームをする事が多いし、ネットの動画や検索が当たり前の社会に生きていて、そこにAIも加わる。昔は外で遊びなさいと言われる事もあった。それは運動の必要性のみならず、親世代が外遊びから得た学びを体験して欲しいからという理由もあるのだが、今、...続きを読むどんな学びが正しくて、デジタル社会どのような影響を与えるのかは予測できない。 ちょっと小難しい事を述べる。この世界は素粒子単位をデジットとしたデジタル社会として仮定する事は概ね可能で、しかし複雑系などの相互作用や量子のランダム性などにより、予測不可能な状態があるため、実存とデジタル観念世界、可能世界が区分される。つまり、デジタル的な世界観(離散的な情報の集合)と、非デジタル的な世界(連続性や予測不可能性を含む実存)が対立する構図になる。そして、それらの間に「可能性世界」が存在する。哲学的にはライプニッツの「可能世界」、物理学的には「シミュレーション仮説」や「情報実在論」が援用できそうだ。 何が言いたいかというと、我々は、解析しきれてはいないが、そもそもデジタルな世界を生きている。デジタルの中にいながら、陳腐なデジタルコンテンツから娯楽性を享受し、入れ子構造のように生きているのだ。生きる意味を探るために、この世界のデジタル性を解き明かす。その過程で発見した、初期段階の比較的原始的なデジタルからそれを使いこなして遊び始めている。 その解析方法が数学や化学、物理学などの科学の領域であり、哲学である。そのデジタル上の人類の現象解析が法学や経済、心理学。じゃあ、その半端なデジタルは、何を子どもたちに齎すのか。 凄く横道に逸れたが、上記は全く本書に書かれている話ではない。この本で面白かったのは、デジタル書籍と紙の本の違いについてだ。急に現実に戻るが。 ー 最近行われたいくつかのメタ分析によると、読解に関しては、基本的に紙媒体の読みとデジタル上の読みの違いはないという。しかし、細かく見てみると、条件によっては違いがでてくるものがあることがわかる。まず、物語などのフィクションでは、どちらの媒体による読みでも差が見られないが、説明文などの読みに関しては、紙の読みに軍配が上がるようだ。内容を正確に把握するようなことを要求される読みに関しては、どうも紙で読んだほうが、読解結果が良さそうなのである。 ー また、テクストの長さによっても違いがでている。英語の場合、500語以下の短文の場合は、デジタルも紙の媒体の場合も違いがでないが、500語以上の長いテクストになると、紙で読んだほうが読解力が高まる。デジタル・スクリーンにおさまりきらない長さのテクストは、スクロールしなくてはならない。このスクロールという行為が、どうやら読解にマイナスに働くようだ。 ー 同様に、テクストからざっくりと要点を理解するタスクにおいては、デジタル媒体での強みでも鉄上の読みでも差はないが、テクストに書いてある細部の情報を記憶したり、推測しながら読む力においては、紙媒体での読みのほうがパフォーマンスが良い傾向があるという。 紙の方が残ページからクライマックスが分かりやすかったり、見開きで別の文字が目に入りやすい、文脈における物理的なページの位置関係が記憶されやすいからだろう。これ自体が人間自身をハックした解析である。 話を戻すと、デジタルにより変わるのは、我々自身のデジタル化だ。徐々に徐々に。その過程のチープなデジタルが齎すものは、半端に融合するため個体により侵襲度が変わるので不明、といった所だろうか。
デジタルをどのように使っていくかが、やっぱり大切ということ。 研修を受けた時に紹介されていたので、読んでみた。 幼少期の動画視聴やテレビ視聴は一緒に見ている大人が大事ということがすごくわかった。
SNSとかゲームとか、そういう楽に楽しめるものに時間を持ってかれすぎてる。しかも、そういう人たちがとても増えている。大人も含めて。 これが国力を落としてる原因になってるのは、事実だと感じる。 一方で、ちょっと指先を動かせば、なんだって学べる。未経験のものに取組んだり、より深く学んだり、そういう障壁...続きを読むは異常に低くなったとも感じる。 全体としては、堕落の方向に沈んで行ってるんだから、せめて自分だけはそうならないよう、テクノロジーも選んで使う側に居たい。
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