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Posted by ブクログ
上座部≒小乗仏教もゴータマ死後、「ブッダ絶対視・唯一無二論≒『神格化』」「女性差別」「教団維持の自己目的化」などの在世当時からの逸脱をしていた。
「大乗興起」とは、ブッダの真意に立ち還れという教団の内部変革運動であったことが法華経原文から読み取れる、とする。
なぜ紀元前5世紀頃の「枢軸時代」に相次いで現代までつづく「世界宗教(土着・民族宗教を超えて)」が複数、生まれたか?同時期に物々交換から経済は“貨幣”=moneyに移行し最初のグローバリズムが芽生えた。長者窮子・衣裏宝珠の譬など商業資本の台頭を想わせる。シャカの死後、教団の統制のため二百五十、五百戎が定められ、女性差別人種差別が横行し、原点への回帰運動が大乗興起であったと、サンスクリット原典の解釈から論証する。
近代文明の合理主義が処理できないものは人間の死。それをカバーする宗教は不滅だが時代によって千変万化
Posted by ブクログ
自分の家の宗派が日蓮宗のため、「南無妙法蓮華経」のお題目として、『法華経』のことは知っていた。言い方を変えると、タイトルしか知らず、中身については、まったく知らなかったわけなのだが、指導改善研修の一貫で、禅について勉強をしている流れで、『法華経』についても勉強をしておかなくては、と思い、読むことにした。
まず、第一印象として、『法華経』の内容が、思っていたのとまったく違っていた。お経といえば、葬式のときにお坊さんが唱えているイメージしかなかったので、てっきりその内容は、一種の呪文のようなものか、はたまた哲学書のような思想の解説か何かかと思っていたのだが、冒頭から釈尊が出てきて、何やら弟子たちに向かって語りかけ始めたので驚いた。お経というのは、一種の寓話になっていて、釈尊の言行が、物語の形で伝えられているものだったのである。そのため、本書の大部分を占めている『法華経』本文の解説は、当初期待していたような内容とは、まったく違っていた。
そうした読む前の心構えとのずれもあって、はっきり言って、肝心の『法華経』の中身については、まったく記憶に残っていない。類書も読んで、色々な文脈で触れない限り、なかなか内容の理解には至らなさそうである。
大雑把に掴めたのは、とにかく『法華経』の目指すことが、原始仏教への原点回帰であるという点だ。釈尊が在世中には、本人が生きていたこともあって、その教えはきちんと守られていた。しかし、釈尊滅後、時代がくだるにつれて仏教は権威化し、本来、万人が成仏できるはずであるとされた平等思想は、男性出家者だけが救われるとされる差別思想へと変化を遂げてしまう。
こうした思想は、一部の人間しか救われないという皮肉を込めて「小乗仏教」と呼ばれるようになる。そこに対するアンチテーゼとして生まれたのが、三世紀ごろに成立する、「大乗仏教」であり、その最後に生まれた経典が、『法華経』だった。
『法華経』の内容については、あまり掴めなかったが、その歴史的位置付けについては、非常によく分かった。というのも、この本では、『法華経』成立以前のインド仏教の実態について、かなり詳しく説明をしてくれているからである。
仏教の歴史について明るくない自分としては、この第二章のパートは、非常にありがたかった。「上座部」とか「大衆部」とか、「小乗」とか「大乗」とか、昔、歴史の授業で聞いた覚えがある程度の知識しかない仏教の諸派について、かなり整理して理解することができる。特に、釈尊在世中の「原始仏教」から、釈尊滅後の「部派仏教」にかけて、仏教が様々な側面で権威化していくというストーリーラインを理解することができたのは、仏教の解説をするときに、非常に有効な補助線になってくれそうで、有意義だった。
最終章の、「法華経の人間主義」も面白かった。「自帰依」と「法帰依」の二つの言葉で説明されていたが、「原始仏教」において、釈尊は、成仏に向けた仏道修行の拠り所として、自らを拠り所とすることと、善く生きるための理法としての「法」を拠り所とすることを重視していた。それにより、男女の如何、在家か出家かの違いに関わらず、誰もが成仏することができるとするのが、釈尊の教えだったとされる。
しかし、後世に至って、この教えは形骸化し、ストゥーパのような偶像が崇拝されるようになり、釈尊は、特別な存在として非人間化され、信仰の対象となっていく。挙句、男性であることと、出家者であることが特権化され、女性や在家の人々の地位は、不当に貶められていくことになる。
このことを象徴する出来事として、「法身」という言葉の意味が変化していくことが語られているところが面白かった。本来、「法身」という言葉は、「法の集まり」程度の意味しか持っておらず、釈尊が残した善く生きるための生活の理法という意味の「法」を指していた。しかし、のちにこれが、「永遠の仏」というような意味に解されて、釈尊が滅することなく現在も生きているといった解釈までなされるようになる。
このことは、一般大衆たちが、何か神聖で超越的なものを信仰したいという欲望を持っていたことを意味するだろう。誰しも、面倒な修行によって自分が仏になれるというよりも、仏という特別な存在になった何かを、崇めるだけで救われたいのだろう。
『法華経』の後半の六章は、原文にはなく、時代の要請に従って、後世に付け加えられたものなのだと考えられているそうだ。というのも、そこには、釈尊が嫌ったとされる陀羅尼であったり、原始仏教には見られない焼身供養の記述があったりと、その思想からは、必ずしも出てこない内容が出てくるからである。
これらは、仏教の教えを大衆に広めるあたって、大衆の欲望を叶える形で付け加えられたものではないかと分析されているようである。ある意味、俗化していった小乗仏教に対する批判として現れたはずの大乗仏教の経典が、その最後に、また、一つの俗化の傾向を表していることは、皮肉なことである。
『法華経』が現れてきた歴史を見ることで、宗教というものが、どのようにして変化していってしまうものであるのかといったことや、多くの大衆が宗教に何を求めるのかということが、見えてくる。一つの経典について学ぶという以上に、一つの宗教の成り行きを理解することのできる本として、この本は、非常に優秀だと思う。『法華経』を知りたいという人もそうだが、仏教全般の歴史について、その大まかな流れが知りたいという人にも、おすすめできる本だと思う。
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