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事大主義とは、強者に追随して保身を図る態度である。国民性や民族性を示す言葉として、日本や朝鮮、沖縄で使われてきた。本書は、福沢諭吉、陸奥宗光、柳田国男、朴正熙、金日成、司馬遼太郎などの政治家や知識人を事大主義の観点で論じ、時代の変遷を描く。日本への「島国根性」という批判や、沖縄への差別意識はどこに由来するのか。韓国と北朝鮮の相剋の背景は何か。自虐と侮蔑が交錯した東アジアの歴史が浮き彫りに。
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Posted by ブクログ
事大主義の成り立ちと変遷、さらに各地における受容の経過をまとめた本書。 事大主義がその源流においては、ただ外交政策を意味しているだけであるとは初めて知った。「大国に事(つか)える」という状況を「事大」と表す実にシンプルな言葉である。 それに「主義」をくっつけ、今日における意味となったのは明...続きを読む治時代以降。作成者は福沢諭吉であるという。 明治時代は列強各国に対抗していかなくてはならない時代。故に背伸びし、先鋭化していた影響がこういう言葉にまで及んでいたと見るべきか。 明治時代は確かに光の部分も多々あるが、その負の部分も多い。その負の部分が現代まで尾を引き、未だ清算できずにいる。その内の一つが事大主義なのだろう。
会社の中でも上位の役職者に対して意に反しながらも、追従したり、盲目的に指示に従う様な雰囲気が醸成され風土化されている企業は多くある。長いものには巻かれろとばかりに「はいはい」とやっている方が、サラリーマン(今やビジネスパーソンと言うべきだが)にとっては楽な事は多い。従来の制度に大いに疑問を持ち、自分...続きを読むがこの会社を変えてやろうなんて、意気揚々と取り組み発言し続けるのは、せいぜい入社5年以内ぐらいなものだ。私自身もそうして転職を重ねる度に、気力を奮い戦い続けたのは数年、体力も気力も限界に達し、いつの間にか「空気を読む」側の人間に成り下がってきたと感じる。多少のストレスを感じながらも、日々終わりの見えない膨大な指示を受けて、それでも自分の理想のやり方を描き続けるのは時間的に無理である。とは言え静かな理想の火を絶やさず、心中にオブラートに包みながら「決してその火を絶やさず」持ち続ける事をやめたりはしないのだが。決して仕舞えば自分の存在価値が無くなるのではないか。 「事大主義」、その言葉の定義や生まれを追求し、過去の歴史の中でどの様に解釈されてきたか。本書はあらゆる文献や記事を分析し、当時の言葉の使われ方や定義を紐解いていくと共に、時代時代によってなされてきた解釈、使われ方について言及していく。福沢諭吉が最初に論じたかもしれない言葉の意味と使い方は、あらゆる政治的、社会的背景を経て、その意味を卑屈なものへと変遷させて行く。朝鮮半島は古い歴史から大陸中国と後進国ながら島を飛び出した日本に脅かされ続ける。陸に海に強国に挟まれながらいずれの国家とも朝貢や被支配という形で存在を維持し続ける。日本はかつて半島を支配下におさめ日本語化教育を強いるなど散々な事をやってきた。だがそうした中でも民族のアイデンティティを維持し、日本敗戦と共に見事に復活を遂げる。当時、逆らえないほどの力(軍事力)に押さえ込まれ自主性を奪われながらも、それらは一時的なものとして許容し、我慢し生き延びてきた。そして今や国民一人当たりの給与レベルでは日本を凌ぐ存在にまでなった。 沖縄、古くは琉球王国時代に中国の朝貢国となり、日本との間の貿易拠点として栄える。仮に中国を敵に回せば、小さな島国の力だけでは、大陸の億を超える人口を持つ中国にはとても敵わないだろう。そう考えると「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」と言った聖徳太子(推古天皇が遣隋使の小野妹子に手渡させた手紙)は凄いと思うが。普通の感覚なら、やはり軍事的に遥かに凌ぐ実力を目の前にしたら、(嫌々ながらも)服従せざるを得ないと考えるものだが。 太平洋戦争に敗れアメリカの支配下に入った日本がGHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによって、心底卑屈な敗北感と戦争責任を深く国民に刻み込んだわけだが、現代日本を見ていても、常にアメリカの顔色を伺いながらの外交は今なお続く。まさかその頃から続く戦後日本教育がそこまで深く国民性に根付くというのは信じ難いかもしれないが、実際には就任したトランプ(第二次トランプ政権)の元へいち早く駆けつけ、手土産と言わんばかりに、日本製鐵の買収を否定するあたり、更にはそれを外交的な成功と評価するようなメディアの姿勢にも「事大主義」的なものが見え隠れする。日本の平和はアメリカの軍事力頼みな部分が大きいから、いつしか国民の心中にはアメリカを日本の父と認識する様な感覚が根付いてしまったのだろうか。確かにアメリカは強い。資源にも恵まれ、経済力も軍事力でも日本を圧倒している。姑息にうまくやっていると評価すべきか、賢明と言うべきか。 誰しも強者を前にしては、相手の顔色を窺ったり、相手に取り入ったりするものだ。特に自分の生存が掛かる様な危険な事態は絶対に避けなければならないし、回避するための手段として取り入る様な行動は自然な事だろう。自力で何とか出来なければ、誰かに保護されたり力を借りるのは仕方ない。今の日本に於いて、不安定な世界情勢に於いて、日本が今を生き抜く為の、日本にとっての唯一の方法であるかもしれない。冒頭の話に戻るが、サラリーマンが上司に逆らわず、淡々と忙しい日々を過ごしながらも、心に絶やさず持ち続ける強い想いを、いつかその機に接した時に、一気に爆発させる事も出来るかもしれない。 本書を読みながら、事大主義という言葉を前に、生き抜く強さ、生きるための知恵、絶やさず燃やし続ける心の火の大切さを学べた気がする。無くして仕舞えば終わりだから。
事大主義という言葉は朝鮮の外交政策や性向の話という認識だったが、この言葉自体は孟子の言葉から福沢諭吉が作ったものであること、朝鮮を併合したことにより日本にこの言葉が向くようになったこと、意味としては空気を読むのに似ていること、沖縄でもこの言葉が言説の中でよく使われていたこと、伊波普猷という人物のこと...続きを読む、現代朝鮮半島でこの言葉の持つ意味など、勉強になった。
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事大主義―日本・朝鮮・沖縄の「自虐と侮蔑」
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