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【第50回谷崎潤一郎賞受賞作】舞台は東京。地中に潜む「地霊」が、歴史の暗黒面を生きたネズミや人間に憑依して、自らの来歴を軽妙洒脱に語り出す。唯一無二の原理は「なるようにしかならぬ」。明治維新、第二次世界大戦、バブル崩壊から福島第一原発事故まで……首都・東京に暗躍した、「地霊」の無責任一代記! 史実の裏側で、滅亡へ向かう東京を予言する。果てしないスケールで描かれた第50回谷崎潤一郎賞受賞作。
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Posted by ブクログ
読んでるうちに「つまりこういうことでは」と疑問が生まれるのだが、最後まで読むと「やっぱりね」と思います。
坦々と江戸時代から現代までの近代史を追いかけ、歴史の分岐点の裏には常に東京そのものである私がいるという偽史もの。偽史好きなこともあり楽しく読めた。 東京の栄枯盛衰に対応して「私」も隆盛したり盛り下がったりするのがなんだか愛おしい。東京ちゃん、と呼び掛けたくなる。 著者の批評的な視線として、「なるよう...続きを読むになる」という適当さを日本の近代から現代に見出しているのが興味深い。適当という補助線を引いてみると、我が国ってほんとに適当だよなと感じる。コロナウイルスの対応についても政権与党の対応が場当たり的に流されていること、数年前に本作を書いた筆者の慧眼といったところ。 また東京という都市の象徴にネズミを置いたのも、なるほどというかんじ。狭い土地に密集しアホみたいに狂乱する愚かな人間のメタファーとしてすごくしっくりくる。
奥泉光『東京自叙伝』は東京での事件外観である。 江戸末期から、現代に至るまで、東京で発生する怪しげな事件はすべて私が起こしたあるいは私が関与したのである。 私とは、どこからが私かそれはわからないが、ある時から自分が「私」であると認識するのだ。つまり、ある時からは自分は「私」ではなくなり、別の人物...続きを読むが「私」になる。 ある時は柿崎幸衛門の養子、柿崎幸緒であり、ある時は陸軍参謀になる榊春彦、そしてある時は放火犯の戸部みどりなのである。それぞれの人物はそれぞれ当人としての人生を全うしているが、その一部期間が「わたしなのである。」。しかもその人物が「私」になるきっかけはいつも二つある。一つは大量に発生する鼠が現れること、もう一つは大地震とそれに類する大火災だ。これらをきっかけに、人物を渡り歩き、場合によっては、当人同士が同時に「私」でありながら、対峙するというもう訳が分からない状況が。 もう一つ特徴がある。それは東京に絡むということである。東京にいる場合はよくも悪くも大活躍するが、東京を離れると急に肝が冷え急にやる気が薄れるのである。 私にかかるとあらゆる事件やイベントが私が絡んでいる。そう、すなわち「私」とは実は東京そのものであり、東京で発生する事態にいずれも絡むのは当然なのだ。 東京がもつパワーを、複数の私が共有しながら歴史が形作られていく、そんな荒唐無稽な物語でありながら、奥泉光の筆致力でひとつの物語にまとめられていくのは流石だ。
虚実内混ぜ。六人の告白は、若干冗長に感じた。戦前の描写はウクライナと重なって、なんとも。災禍が繰り返すが、人間は無力。
東京という土地が歴史を大きく動かしてきたのか。べらんめぇ調の語り口が絶妙で面白かった。ただ、全体として長く感じたのが残念。
単行本は確か見出しが岩波新書ふうに配置されていた。 単行本の真っ赤=火事のイメージ、帯の言葉溢れ出る感じ、に比べると、文庫の表紙はすっきりしすぎているかな。 でも、背表紙の水色+表紙のピンクにちょこなんといる鼠を見て「カワイイー!」とジャケ買いしたほんわか女子が、読後ガツンとやられている光景を想像し...続きを読むたりして。実際にその頭を「漫画マウス」にやられてしまえばなおよいが……いや、ないか。 読み始めて当初連想したのは三島「豊饒の海」の輪廻転生、中上「百年の愉楽」の反復。 中盤で、違うな、転生でも反復でもなく、鼠の群れのように同時存在する私の語りなのだな、と気づく構成になる。 また特異な視点から歴史の語り直しをするだけでも価値があるのに、さらに東京の地霊が日本の自画像だと浮き彫りになっていく小説でもあるのだ。 無責任の体系そのもの、中心は空っぽ、「なるようにしかならぬ」とは「勢いで成っていく」ことだ、といった批評は大東亜戦争に引き付けてずっと論じられてきたが、 それが戦後にもそのまま続き、高度成長、バブル崩壊を経て311へ。 そう、ひねりにひねった311後文学なのだ。 それにしてもこの地霊、なんとなんと奥泉的な人物?なのだろうか。 饒舌で軽薄で激しやすく冷めやすく責任感なし。ユーモラスでアイロニカル。 蛹の私を孵化させる火事は野次馬根性的に好き。 地霊にとってみれば諸行無常など当然なのだ。 彼の行動原理は唯一、愛着のある東京にいたいということで、それ以外はどうでもいい。無責任一代記。 この私が拡散と凝集を繰り返す。 前半は業が深いゆえの悲劇的な死を迎えるのに対し、 後半、日本が東京化し日本人が鼠化することで視点物の特徴は薄れていく。 このあたり、やはり「豊饒の海」の尻すぼみと似ている。 思い返せば奥泉はいつも暴力を描いてきた。 理不尽に振るわれる暴力と、暴力の内面化。システムとしての暴力。 あっけらかんと陰惨の同居。 その代表として最たる例が、最終章の「凄まじい光景」。 言葉を失ってしまったよ。
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