Posted by ブクログ
2011年01月15日
「聞きなれない名前だけど最近よく目にするなぁ」というのが幻冬舎という出版社に対する第一印象。あまりそれ以上に意識したことはなかったのですが、「編集者という病い」見城徹(太田出版)を読んで見城さんという1人の男の生き様=幻冬舎だということがわかりました。
正規の面接では入れなかった大手出版社にアルバ...続きを読むイトとして入り込み、そこから実績を積み上げていって正社員に、そしてベストセラーを飛ばしながら常に最年少で昇格して42歳で角川書店の役員に。その後、角川春樹社長のコカイン事件を機に退社し、幻冬舎を設立。「新参の出版社が書店への流通システムに乗ることさえ難しい」という出版業界にたった6人で挑み、「話を聞いた百人が百人、失敗するから止めろ」といわれた中で、いきなり五木寛之、村上龍、吉本ばなな、山田詠美、北方謙三、篠山紀信の書き下ろしの同時刊行を皮切りに業界の慣行を次々に打ち破りながらベストセラーを大量に連発、10年で株式上場を果たす。
こうとだけ書くと凄腕のサラリーマンの成功談にしか聞こえませんが、そうではないところがこの本の面白さであり壮絶さです。一般のビジネスでは良い商品を作って売れば良いのですが、編集者という仕事は作家と一般の読者の間に立って「人さまの精神を商品化するという非常にいかがわしい」商売であり、商品を供給する側の作家は単なるビジネス勘定だけでは本は書いてくれません。ましてや、参入障壁の高い出版業界でカドカワの看板を捨てて始めた名も無い出版社に対してはなおさら。では、見城さんはどうやって数多くのベストセラーを角川書店時代に生み出し、そして幻冬舎を短期間で一大ブランドに育て上げて株式上場にまで至らしめたのか?
僕は作家でも、ミュージシャンでも、無名の人でも、まずその人たちと同列に切り結ぶ。その人たちが無意識に隠し持っているもの、葛藤しているものを引き出し言語化させる。心に傷があればそこをえぐって、僕の場合は、塩を塗り込んででも書いてもらう。そこまでやって、書き手自身も気づかぬようなかたちで生きていたものが、初めておのれをあらわにしてくる。僕にとって、問題は肉薄度。精神や存在の深いところに肉薄しない限り、表現は生まれない。(中略)作家は書くことによって、治癒されるか、救済されるか、開放されるか、なんです。そうしたものが出てない本は読み手の心を打たない。(中略)編集者が葛藤をむき出しにしないで、書き手におまえさんだけ裸になれ、と言ったって土台無理な話で。これは人間関係の基本だと僕は思っている。僕は一人の作家を落とす時には、体重かけて徹底的にやる。徹底的にその人の全著作物を読む。一週間かけて10枚くらいの依頼の手紙を書く。「これを読んで落ちなかったらおかしい」と自分に言い聞かせてね。
(p.226 常識って僕より無謀です 『New Paradigm』 NTTデータ 99年夏号)
こうして時には自分自身が自殺にまで追い込まれるほど作家と向き合い、信頼関係を築いていった結果として、出来るべくして出来るべく時に1冊の本という形で世に出て行くのが彼にとっての出版。彼の場合はスティーブ・ジョブスが言うような「好きな仕事」を見つけられたというよりも、編集者という仕事でしか生きていけないという持病のような深さで仕事と向き合っています。ただ、それを単なる情熱だけで突き進むのではなく、一方でビジネスとして「売れる」本に仕立てるためのマーケティングや周到な準備ができるのも事実であり、この右脳と左脳のバランスというか、天性の持ち味が活かされて今の彼があるのだと思います。
そして、もう1つ、同書を読んで彼から受け取ったメッセージは変わり続けることの大切さ。
会社というのはつねに自分の隠れ家なんですよ。それが本拠地になってしまうとダメだと思う。一匹のヤドカリが、角川書店という大きな宿から出て、小さな幻冬舎といういつ崩れてもおかしくない宿に移っただけなんですよ。僕にとって、所属する組織はいつも隠れ家じゃなきゃダメなんです。その場所が自分のアイデンティティになってしまうと、自分の存在価値は全くなくなってしまう。人間は、会社が大きければ大きいほどそのレッテルに頼ってしまうものなんです。そうなってしまうと、もう終わりだと思う……
(p.186 安息の地からの脱出 『F&E特集』 <不良の隠れ家>)
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人間は、年を取ったり社会的な地位や評判が上がってくると、なかなか自分をゼロに戻すことができなくなる。現状維持がいちばんラクだからね。自分をゼロに戻すのは極めて難しい。僕自身、そうした危機感をずいぶん前から覚えるようになっていたんですよ。このままではいい仕事はできなくなる。(中略)その時、自分が腐っていることをいつも感じていた。吐き気すら催すほどに、「このままじゃ駄目だ。自分をゼロにして、また新しい一歩を踏み出さなければ」と、心の中で叫んでいた。
(p.244 見城徹の編集作法 『編集会議』 03年6月号)
僕自身、今を振り返ると大きな転換期に差し掛かっているように感じます。居心地の良い仕事に安住して適当にタスクをこなすようになっていないか?我を忘れて没頭できるような仕事をしているか?仕事を通じて新たな出会いや発見があるか?自分は今でも成長できているか?
僕に言わせれば、自分の責任において事態を引き受けないことや、そういう自分を主張することこそ、実は無謀であって、事態の根拠を問わずに腑に落ちたとしてしまうような、そんな無謀な常識に居住まいを正しちゃっていたら間に合わない。現実はそんな常識をとっくに凌駕しちゃっているんだから。(中略)僕は本質こそ常に新しい、と思っている。で、その本質というのは、自分の体重をかけたところからしか立ちあらわれてこない。本が売れないっていうだけの狭い話に限ったことじゃなくて、社会だってその姿勢と実践によってしか進まないし、新しく始まらないからね。僕はそう思って、やっている。
(p.228 常識って僕より無謀です 『New Paradigm』 NTTデータ 99年夏号)
自分の内面と時代の流れ行く方向性、物事の本質を見極めること。ここさえ押さえておけばそうそう外れない、結果は後から必ずついてくるはずというポイント。忙しい毎日に流されず、その先に視線を上げて自分のやるべき仕事に一歩ずつ近づいていきたいものです。