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新時代の風を一身に浴び、民主的な立憲君主になろうとした昭和天皇。しかし、時代はそれを許さなかった-。本書は今まであまりふれられることのなかった青年期に至るまでの教育課程に注目し、政治的にどのような思想信念をもっていたかを実証的に探る。そしてそれは実際の天皇としての振る舞いや政治的判断にいかなる影響を与えたか、戦争責任についてどう考えていたか、さらに近代国家の君主のあり方をも考察する。
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Posted by ブクログ
昭和天皇の、主に戦前期の生涯と戦争責任にどう向き合って来たかを題材にした本。「昭和天皇拝謁記」出版前のものでは(もちろん一般に出回っている書籍レベルの話ではあるが)一番詳細な研究がされているものではないだろうか。個人的には升味準之輔「昭和天皇とその時代」がそれまでで最も詳細かつ中立的に書かれたものと...続きを読む考えていたが、そこからさらに一歩踏み込んだものとなっている。 他の書籍や「拝謁記」なども読んでいるため、既知の知識も多かったが、この本で得た知見の中で大きなものが3つある。 1つは張作霖爆殺事件によって天皇の不興を買い退陣したとされる田中義一が、事件前からかなり問題のある行動を繰り返していたことである。選挙を有利に進めるためのかなり強引な人事や、政治経験がなくかつ思想的に偏りのある人物を閣内に引き入れたことについて昭和天皇はかなりの懸念を示していたし、その点について侍従や内大臣などに相談を投げかけていた。その背景を知ると単に「立憲君主として軽率な発言」とも言いづらくなってくる。個人的には満州事変以降の陸軍軍人よりこの田中義一の方が遥かに問題的な行動をしているように思う。 第二に、「拝謁記」の執筆者である田島道治が当初「天皇退位論者」として同じく天皇制継続に消極的であった芦田均によって送り込まれた人物であったことだ。「拝謁記」自体は就任約1年後の昭和24年からのものなので特に田島が退位論をぶち上げるようなことがなく、これは意外だった。本書には天皇と田島が面会し、引き続き在位することについての意見交換があった、とある。その理由については本書にも書かれているため省略するが、田島がどのような心境で意見を改めたかについては興味がある。 最後に、昭和天皇が最後まで戦争責任を重く受け止めていたことである。マスコミなどが責任転嫁の言質を度々取ろうとするも最後までその隙を見せず、自身の責任を負ってきた。簡単なようで中々できないものだ。また前述した「なぜ退位しなかったのか」についても昭和天皇が自己の責任の重大さ故に敢えてその選択肢を選ばなかったことがわかる。昭和天皇の人間性の本質がここに見えるような思いがした。 昭和天皇ほど時代にインパクトを与えた天皇は今後まず現れないだろう。立憲君主・象徴天皇としての思いや苦悩が垣間見える良書だと思う。
昭和天皇の生い立ちから逝去までを側近の日記等を用いて実証的に整理し、その人物像を克明に著した評伝。 特に太平洋戦争前後の昭和天皇の政治的な関与に関しては天皇ご自身の発言から史実がどこにあったのか理解することができ興味深い。 皇太子時代からの英才教育を通じて形成された人格、思想が戦中、戦後も貫かれて...続きを読むいることがよく著されている。 大正天皇の健康状態もあり、若い時分から想像以上に多面的な教育を受けていたことに驚きこと感じる。 (当時の側近の見識の高さなのだろう) 昭和天皇の政治信条は、儒教的な徳治主義と、西欧諸国、特にイギリスを模範とした民主的な立憲君主制。 また生物学にも関心を持たれていたことは神格性を自ら否定的に捉えていたことがよく理解できる。 戦中に現人神と奉られながら、陸軍と対立関係にあった事実は皮肉としかいいようがない。ある意味では大日本帝国憲法も含めた国家の制度の問題が顕在化したに過ぎないのかもしれない。 また昭和天皇すら孤立する状況を考えると世論、マスコミの怖さも改めて感じた。 以下引用~ ・杉浦重剛は、天皇が統治するという日本の国の在り方は、個々の天皇の努力によって、国民を感化し、かつ国民からの支持を得てこなければ続くことはなかったと教えた。これは当時政府が認めていた天皇観・国家観とは全く異なっている。 当時の政府の公式の天皇観・国家観とは、天皇の地位は絶対不変というものである。 ・「聖断」まで時間がかかったことは問題を残した。太平洋戦争における日本の戦死者約175万人の過半数と民間人約80万人のほとんどがサイパン陥落以後であることを考えればなおさらである。 ・しかし、国制が、薩長閥指導者たちの自由民権運動への不信感、すなわち一般国民の政治的能力への根強い不信感から、天皇の絶対性(狭義の国体論)を前提とした作られていたことは、致命的な悪影響を残した。
昭和天皇の伝記。 幼年期からの教育内容やその方針による人格形成など、 昭和天皇自身の人となりが何に立脚しているものかを解説しつつ、 天皇自身の発言を頻繁に引用することでわかりやすく、 かつ深く理解できる一冊となっている。 特に聖断に至る経緯はそれまでの積み重ねもあり 説得力を持って受け止められる。 ...続きを読む個人的には最後の元老、西園寺の影響力に驚かされた。 昭和史を読み解く上でぜひオススメしたい。
今でこそ違うが、かつては神格化されていた天皇を生身の人間として見ることができて新鮮に感じた。 怒る天皇、悲しむ天皇、喜ぶ天皇・・・ 国民想いで、平和主義であった昭和天皇が、時代の流れに抗いながらも避けられず第二次世界大戦に突入してしまう悲しさ。 一次資料が多いため、文面は少々読みにくいが、読む価...続きを読む値あり。面白い。 --- Memo i 昭和天皇ほど評価が分かれる著名人は少ない。国民のことを思い、平和を希求した偉大な人物か、それとも自分・皇室・国家の存続のために国民の命を顧みなかった無責任な権力者か。 24 (皇太子時代の)講義を通じて天皇が神の子孫ではないことを知ったこと、天皇機関説を受け入れる素地ができたことは確かである。 43 当時、日本ではダーウィンの進化論が普及しつつあった。こうしたなか、裕仁皇太子は、天孫降臨神話を否定した。 52 天皇をいただくという国のあり方(国体)は、長年の歴史の結果国民がそのように確信したから定まったのだ 55 天皇機関説によって「君臨すれども統治せず」を実現することが皇室永続につながるとしており、 75 182 儒教の徳治主義、イギリスの立憲君主制と協調外交を理想とした 184 道徳的な政治を求める昭和天皇にとって、ナチスの行動はおよそ理解し難かった 205 陸軍内の皇道派青年将校たちが決起した。日本近代史上最大規模のクーデター事件たる二・二六事件の勃発である。 304 狭義の国体論:天皇を絶対視する考え方 広義の国体論:皇室が維持されていくこと 308 昭和天皇はもともと狭義の国体論を信じておらず、国体護持のために国民を犠牲にするとまでは考えなかったのである。 311〜312 終戦への流れ 315 「戦争責任者を自分一人引き受けて退位でもして収める訳には行かないだろうか」と述べたように、昭和天皇は、最終的な責任が自分にあることを認識しており、責任の取り方として退位も視野に入れていた。 321 マッカーサーは昭和天皇に好意的な態度をとったことが外務省の記録からわかる。 394 昭和天皇は、戦後の後半生において、戦争責任という問題に向き合わざるをえなくなった。
平和的に道徳的に日本を導こうとして、結局理想に導けなかった昭和天皇像が描かれている。軍部や閣僚の暴走と、自身の政治理念に挟まれながら、最終決断の責任を負う立憲君主って大変だわ。 昭和天皇の責任といえば、太平洋戦争の開戦や終戦時期について追及されるが、開戦時には既に昭和天皇は政治的に孤立しており、陸軍...続きを読むの暴走を止められない状態であったとされる。おそらく誰も止められなかったかも知れない。とすると、その原因となった日中戦争勃発時の処理の誤り、もしくは、その戦中の判断について責任追及されるべきなのかな? 親英とされる昭和天皇だが、中国、朝鮮等、対アジアに対する考え方がもう少し異なっていたら、もしかして、歴史は違うものになってたかも?と思ってしまいました。
歴史とは人の生き方である、とは誰から聞いた言葉だっただろうか。平和な世に住む(大震災やテロに被られている現在ではあるが)私たちにとって激動の「昭和」時代はなかなか創造が難しい。その最高位であった人物、昭和天皇の理想、挫折、そして責任。単なる年号や出来事ではわからぬ深さが「人」を読むことで身にしみてき...続きを読むた。
ありそうでなかった「昭和天皇の伝記」。新書で400ページを超える大作だ。 国を意のままに操れる絶対君主ではなく、立憲君主とは何とも難しい立場だ。すべてが思い通りに行くわけではないし、「やーめた」と最近の日本総理大臣のようにあっさりと地位を放り出せるわけでもない。そんな難しい立場で史上最高の天皇在位...続きを読む期間を全うした昭和天皇。超人的な忍耐力を持った人だ。
陸軍の暴走を苦々しく思いながらも、権限が曖昧のまま進む無理ゲー感をすごく感じました。 この時この決断をしていたらとか全くできないことが、物凄く切ない。
想像以上にリベラルな、英米協調主義な姿。最初の帝王教育の成果。戦前は、その姿勢故に日本と孤立し、苦しい立場に追い込まれる。 戦争直前は、厭世的に見え、それが後に戦争責任を問われる原因の一つになってしまったか。
古川隆久 「 昭和天皇 」戦前から戦後の昭和史を 昭和天皇の聖断(天皇の決断)とともに見渡せる本。凄い本だと思う。 昭和天皇の聖断 *張作霖事件の不手際に対する田中義一内閣の退陣→天皇の政治責任 *ポツダム宣言の受諾→国体論的な国家体制から訣別 昭和天皇の思想は 昭和の意味に込められている 昭和...続きを読むの意味=百姓昭明、協和万邦=世界平和、君民一致 天皇を絶対化する国体論という政治思想
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昭和天皇 「理性の君主」の孤独
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