無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
東京の街の歴史的背景
・愛宕山は江戸時代には周囲を見渡す高さを誇り、1925年に始まったラジオ放送のアンテナもここに作られた。また明治5年に始まった測量の三角点の一つも設置された。
・上野公園の清水観音堂、不忍池、弁天堂はそれぞれ京都の清水寺、琵琶湖、竹生島を模している。そもそも江戸の鬼門に設置された「東叡山」寛永寺自体が京都の鬼門鎮護の目的を持つ比叡山延暦寺と対をなしていた。1868年の上野戦争で寛永寺は大伽藍のほとんどを焼失し、その後上野の自然を生かして公園とされた。これが日本で最初の「公園」であり(1873)、上野・浅草・芝・深川・飛鳥山が選ばれた。
・1886年のコレラの流行は東京に近代的な水道を建設するきっかけとなった。また当時の神奈川県西多摩郡の多摩川上流で川に汚物を流したという話が問題になり、三多摩地域の東京への編入を促した。
・荒川の下流部は人工の川であり、1910年の大洪水をきっかけに作られた。右岸の堤防の天端の幅は左岸より広く、都心側を守る意図があった。
・かつて山手線の外側を走る環状線の構想があり、井の頭線の新代田−明大前の折れ曲がりはこの環状線との乗り換えを見越して作られた。
・根津権現の門前の大路の本郷区根津八重垣町にはかつて遊郭が軒を連ねていたが、東京帝国大学の設置に伴い明治21年に洲崎(現在の東陽町)に移転された。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
小説・文芸
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用