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青山にある大病院の娘に生れ、斎藤茂吉と結婚した輝子。お嬢様として育ち気丈で破天荒な性格の彼女と、癇癪もちでワンマンな茂吉が、夫婦として折り合うはずもない。家にはいつも嵐が吹き荒れ、四人の子らは右往左往。そんな斎藤家の次男である著者が幼少時代の記憶を辿り、文学にめざめた頃を反芻しつつ、母への愛惜、父への尊敬、そして二人の死を綴る。追慕溢れる自伝的小説。
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Posted by ブクログ
宗吉(北杜夫)が茂吉を父として認めた一瞬。
《本文より》
そのうち、苦労して「赤光」「あらたま」からの自薦歌集「朝の蛍」を入手した。
これらの初期の歌は、ずっと圧倒的な感動を私に引起した。
青年期の感情的、抒情的な歌どもであり、更に私の記憶に懐かしい青山墓地や私がそこで育って嫌だった狂院のことなどが詠みこまれていたからだろう。
私は暗記するまでそれらの歌を繰り返し読み、私自身のとりとめのない、だが切迫した感情にひたった。
そして、昔から単に怖いと思っていた父は、突如として茂吉という崇拝するに足りる歌人の姿として、私の内部で変貌したのである。
あの頃のわたしの異常ともいえる感傷癖は、やはり死が身近に迫っていることからもたらされたもあったかも知れない。父の歌の中でもとにかく「さびし」くて「悲し」ければ私の嗜好ぴったりするのであった。
輝子の天蓋無謀、我儘勝手、傍若無人がよくでている。
《本文より》
母は自分の息子が当時では滅多にいけなかった外国を訪れたことに対して、むらむらと負けてなるものかという持前の好奇心をおこした。それが生来の、母の本性であった。
母にとってはけしからぬことに、二人の息子、つまり私(杜夫)と兄が、「ハンブルクのレーパーバーンは…」云々と話しあったりしているのを聞いていると、彼女の胸の中に生来の祖父ゆずりの好奇心が抗いがたく沸いてきたのはごく自然のことであっただろう。
いや、そればかりではなく、母はッカチで、またいざという場合、男まさりの闘志をふるい起こす性であった。息子に負けてはならぬ。否、彼らを海外旅行においても凌駕してやろう。こうした意思が、母の胸の中にみなぎりだしたことは当然のことであったのである。
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