Posted by ブクログ
2018年01月06日
色々な読まれ方をしていると思います。父親の育児=イクメンだとか、専業主夫=ジェンダー論とか。でも、自分は、アスペルガーの社会復帰のお話として読みました。
とにかく、アスペルガーの主人公、直のアスペルガーらしさが真に迫っています。
冒頭、直が自分がアスペルガーだということに気付いて興奮する場面があ...続きを読むるのですが、これ、自分がアスペルガーって自覚がある人は結構共通する思い出があるのではないでしょうか。自分が感じていた「生きづらさ」は、「僕が怠けていたわけじゃなく」「性格が悪いわけでもなかったんだ!」という情報は、アスペルガーの人にとっての福音です。
フラッシュバックの辛さ、会社であまりにも辛い思いをしているがために、家族から優しくされても「…今のは 例の あの」「「社交辞令」 とかいうやつかな」と感じてしまうほどの二次障害・自己評価の低さ、など、生きづらさが生々しく描かれます。
ただ、直はそこで立ち止まらず、「相手の様子や雰囲気を読み取る脳が働きづらいから」「気をきかせたり気を遣ったりが苦手だったんだ」「いや まて! 苦手と決まったわけじゃない 論理的思考は得意なんだから そっちの脳で苦手なほうを補えばいいんだ!」という唯一の解決策、そして、そこから必然的に導かれる「A愛がある B愛がない なら Aの方が望ましいでしょうが」「A愛はあるけど世話しない B愛はないけど世話をする なら Bがベターだと思うのです 特に乳幼児期は」「「愛」はコントロールできないけど」「「世話」は努力で何とかなる」「だから僕は自分にできる最大限の」という育児に関する取り組み方につながります。
直にとって、育児は、冒頭「昔十姉妹にエサやり忘れて」「カブトムシとか」「金魚とか」「僕がきちんとしなかったせいで」「赤ん坊も」という独白、さらに後の巻での金魚の飼い方にもつながってくるように、「愛」などという抽象的であいまいな概念で行うものではなく、キッチリマニュアルどおりに行うべきもの。自分の決めたルールやスケジュールどおりに物事が進むのを好むアスペルガーにとって、予定外のことが起こり過ぎる「育児」は苦痛の連続ですが、その折り合いの付け方が、後半の読みどころです。
そして、「どの転職先でも無視された」「誰も何の期待もしてくれなかった」「その僕が」「今世界中のひとたちから注目され期待されてる感覚だ」「「その子を育てろ」「幸せにしろ」「お前にしかできない事だ」「顔を上げろしっかりしろ」「落ち込んでる場合じゃないぞ」「役立たずとかってスネてる場合じゃない」」「うん そうだ その通りだ 僕は 父親だ」「この子を育てる使命を帯びた父親なのだ」と、プロチチとして目覚めた直は、あんなに受け入れてもらえなかった社会に、赤ちゃんを連れているというだけで向こうからアクセスしてくるという事実に気が付きます。いったんは社会から疎外された直が社会に復帰した瞬間です。
似たような境遇の方には絶対にお勧めです。自分がアスペルガーであるということに気付いたのと同じレベルのカタルシスがあります。
それにしても、アスペルガーに関する的確な描写は、誰のアドバイスによるものなのでしょうか。著者ご自身や著者の配偶者の方は、他の著作やインタビューからアスペルガーには思えないのですが…。