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私たちが充実した暮らしを送るには“右肩上がりの経済成長率”という物差しが本当に必要なのだろうか。むしろ個人の幸せを実感できる社会へと舵を切れないか? 日本全国の実状を知る地域エコノミスト藻谷浩介(『デフレの正体』)とコミュニティデザイナー山崎亮(『コミュニティデザイン』)の歯に衣着せぬ対談からヒントを得る!
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Posted by ブクログ
このお二人の対談面白いです。地域資源のフローとストック、確かになと。村民の所得は少ないけど、豊かに暮らしている人達はいるし、逆もあるな。
201405/ 行政に呼ばれて僕たちがコミュニティの話を聞きに行っても「特に問題はないから何もやらなくていい」という回答ばかりな町もあります。しかし、実際には商店街は空き店舗だらけ、小学校も統廃合が繰り返され、耕作放棄地が増えている。町に住む人が自分たちの町の課題をしっかり認識していない場合が多いで...続きを読むすね。/ どうせ市民活動をやるのだったら、市内各所でバラバラにやるのではなく、駅前の広場や空き店舗、あるいは駅中、駅近くの神社などを利用しましょう、と呼びかけたのです。そうすると、それぞれの活動団体のファンがさらに駅前に集まる。その人たちが活動団体のプログラムに参加して、ついでに商店街で少し買い物して帰る。そんな循環をつくり出そうというのが、今延岡で取り組んでいることです。/ 実は同じ日本でも場所によって、ストックがひじょうに豊かにある所と、ストックを摩耗させてしまって日銭がないと生きていけない地域があるのです。ストックがきちんとある所はそんなに日銭がなくても幸せに生きていける。みんなが家や農地を持っていて、海産物にも恵まれたさっきの海士町なんかがそうですよね。鹿児島もそうなんです。今は目先では儲かっていないけれども、人材のストックがちゃんとあり、償却の終わったビルもあって、ある程度の購買力のある層がいる。そういうストックがあると、所得が低い県でもそのストックで食いつないでいけます。/ 今までの話を整理すると、まずは①仮定を積み重ねてつくられた経済成長率の計算が実体とずれてしまう。次に②経済成長率の計算が仮に正確にできたとしても、それは平均値の話なので、そのなかにいる個人個人の富の増加ペースとはずれている。さらに、③経済成長率が本当に高い地域に成長を実感できている人がいたとしても、そこで測っているのはフローであって、過去にその人がどれだけストックを蓄積できているかという話ではない。その人の暮らしている地域にどれだけのストックがあるのかという話もこの数字には出てこない。これは青森の例を出すとわかりやすいでしょう。ストックが少ない県なんだけれども、さっきのグラフの時点では核燃料サイクル基地の建設がピークだったことから、たまたまフローが大きくて経済成長率が高くなったのです。おしまいに、④経済的にストックがあってかつ成長していたとしても、その人が人間的に幸せになれるとは限らない。このように数字と実感の間には、四重のずれが生じてしまうわけです。/ もともとコミュニティデザインあるいはコミュニティプランニングと呼ばれる仕事は1960~70年代に一度アメリカから輸入されているのです。その時、アメリカで言われていたコミュニティデザインあるいはプランニングというのは、ニュータウンをつくる時に知らない人たち同士がどうやってコミュニティをつくるかを目的としたものでした。つまり、地縁型のコミュニティ、自治会をどうつくるかというものでした。/ ただそれが30~40年経つ間に、日本ではまあまあ経済成長してニュータウンも一通りでき、人口もガンガン増えていく時代ではなくなり、むしろニュータウンの中から少しずつ空き家が目立ってきました。そして90年代から2000年にかけて、もう少し違うタイプのコミュニティデザインが必要ではないかという気運が生まれたのだと思います。その時に問題となっていたのが、孤独死だったり隣に誰が住んでいるのかわからないという状態でした。それはある種の犯罪につながったりするかもしれないし、そういう人びとのつながりのなさが問題になってきて、これはもう住棟配置をどう工夫しても解決できるものじゃないなということが見えてきたのです。ハードだけで人のつながりをつくるのが難しくなってきて、NPOの人たちと協働しながら、ソフトのアイデアで直接、人と人をつなげていかないといけない時代になってきたのだと思います。/ いつの間にか、アダム・スミスが描いたような「いつか経済が成長してみんなが豊かになり、人類が殺し合うことはなくなる」という世界観から、「成長しろ」ということだけがイデオロギーとして取り出されてい待ったんです。/ 幸せは計るものではなく、実感するもの/ 何を持って幸せの目標とするのかがないままに、単に金勘定上損だからと言い出すと、実は日本の存在自体が金勘定上、損だったりするのです。世界の果てからわざわざ資源を運んできて、わざわざ製品をつくって元の所に売って戻すなんて、エネルギーの無駄でしょう?しかもそこが天災多発地帯で、東日本大震災がユーロショックを誘発したりするわけですから、本当はそんなところに経済力があると困るのです。日本がなくなった方がいい・・ということだってあり得るのです。/ どこで線を引くかというと、やっぱりある程度そこそこのフローとストックがあって、ある程度みんながハッピーに暮らせている所。移住させるとかえってみんながアンハッピーになって、おそらくお金もさらにかかってしまうような所。それとは別にお金では測れないけれど住んでいる人がある程度、幸福になれる仕組みが備わっている所。そこら辺を勘案しながら、個別具体的に考えないといけません。/ 今世界に評価されている日本の伝統文化は、まったく人口が増えなかった江戸時代後半に発展したものなのです。/ 中山間離島地域では、自治会や老人会や婦人会のような地縁型コミュニティの力が強くて、「しがらみ」という言葉に代表されるように過度な結びつきが活動を抑制していることが多い。若い人が何かやりたいと言っても、自治会、婦人会、老人会の手前、勝手なことはできないよという雰囲気がある。監視の目も含めて、一般的に地縁の結びつきが強すぎる場合が多いです。そういう場合は、テーマに特化したコミュニティをつくっていくことが多いのですね。だから、中山間離島地域では地縁型の自治会や区会を前提として、さらにテーマに特化したコミュニティをどうつくり、お互いに刺激しあえるかを計画することになります。/ ある意味、明治時代の東北に行ったことのある現代人がいたとしたら、今のブータンと同じことを感じたかもしれないと考えます。でもやはり、その後の時代にはみんな物欲にまみれた。しかし、21世紀になって震災になってみると助け合いましたよね。だから、一旦物欲まみれというステージをきちんと通り過ぎた後で、やっぱり物欲だけではしょうがないというところに至って初めて、次のステージに行けるのではないかと思います。だから私は、ちょっとブータンに危うさを感じています。日本は、むしろ物欲を通り過ぎるところまで来ているので、逆にブータンにはできないような別の幸福度を入れても良いように思います。/ 東京都青ヶ島村/ 人口214人(2005年国勢調査)、日本最少の自治体だ。東京より船で11時間の八丈島からさらに70km南の絶海の孤島。全周が断崖絶壁で、南半分には巨大な火口が開く。「八丈島の黒瀬川」(黒潮本流)を突っ切る困難から、往来は毎朝1便のヘリコプター頼みだ。海水をひんぎゃ(火山の噴気)で3週間乾燥させた「ひんぎゃの塩」は全国に通販されるが、村の歳出12億円に対し村税収入は4000万円に満たない(2005年度)。なぜそこまでして住むのか、その理由は島の歴史にある。江戸時代半ばまでは、火口の中の池のほとりで豊かな農業が営まれていた。しかし1785年の大噴火で全島が被災、救難船に乗れなかった130名が命を落とす。助かった200名は八丈島内の荒地に入植し、艱難辛苦の末39年後に全員で「還住」(帰島)。溶岩で埋まった火口内をあきらめ山頂の北側斜面に甘藷畑を開拓、11年後ついに検地を受け年貢を納めるに至り、誇りを込めて「再興」を宣言した。当時の年貢も現代の天然塩売り上げも微々たるものだろう。だが生を受けた土地に根ざして道を拓き、微力でも社会参加を志す意思の尊さは、他所の住民に勝るとも劣らない。地震が多発する火山列島・日本に住まう者として、彼ら還住者の子孫の思いを否定できようか。/
最近の日本の、特に地方の地の魅力とマクロ指標が指し示すこれからの日本人の気持ちの持ち方を、お金の使い方を、わかりやすく、シンプルに伝えてくれる本。 藻谷浩介さんが前面に出た本のようにも感じるが、山崎さんの想いがそれを覆い包んでいて、不思議な一体感を感じる。
山崎さんのような仕事をされている方でさえ「儲けたい」とは思う(金銭的なことを含んだ、多様な意味において)わけで。 「儲けた」という実感を主観ではなく、数字に置き換えたデータでもって「幸福論」として定義し、一個人として実感しなおし、またそれがあることによって共有化が図られる・・・なんてことは全然書か...続きを読むれていません。 どうやったら幸せになれますかね?お金はあんまり無いんですけど。 っていう、全国のチョイ貧乏人、チョイ貧乏自治体。 それらに対して、藻谷さんがわかりやすく説明し、さらなる学習のための道をほんのちょっと見せてくれる、ユーモアたっぷりの対談が載ってる。 そんな本です。 安心して読み進めながら、各種データには真剣に目を通しましょう。藻谷さんの話は笑いながら何度も読み返しましょう。 そんな本です。面白かったです。
地元愛が生まれる本。 海士町には行ってみたい。 そして地元の子供たちを連れて行きたい。 同じ離島でも甑島は地元を愛していなかった。 良かった時代を引きずって、後悔ばかり聞かされた。 徳之島は元気だった。 しかし住んでみたいのは甑島だったのはなんだったろう? 人口政策は古いといった恩師の言葉も思い出...続きを読むした。 藻谷さんの話は非常に面白いし、とても良い本だった。
対談のネタになった場所が鹿児島のマルヤガーデンズだったので、県民としては非常に楽しく読めました。 (時に爆笑しながら!!) 経済成長と地方の幸福感は比例しないということが、現場から良くわかる一冊です。
なぜまちづくりやコミュニティ活性化をしなければならないかを考えた時に、「経済」について考える事は欠かせない中で、いまいち腑に落ちる論理のプロセスが見つからないでいた。藻谷さんの定量的なデータをもとにわかりやすく解説されているので非常に参考になる。
鹿児島のお話がたくさん出ていて驚きました。 絶妙な、鹿児島における人と経済のバランス。 数字の見方。ストックとフローのお話。 出版から10年近く経っていますが、今まで考えたこともなかった視点が提示されていて、とても興味深かったです。
コミュニティーデザイナーの山崎亮氏と日本総研の藻谷浩介氏による対談から生まれた本書。 経済成長というのは一つの指標であり、それに比例して幸せになるとは限らない。 4章のタイトルにある通り、まさに「幸せは計るものではなく、実感するもの」ということだろう。 ただ、ブータンのように国民の幸福度が高いといわ...続きを読むれている国は、発展途上であるからこそなのかもしれない。 つまり、高度成長期を経てモノの溢れる時代を経験する前の日本人は、今のブータンの人々と同じような感覚だったのかもしれない。 ブータンと日本の違いは、モノの豊かな時代を経験し、物欲というものを実際に体感しているかどうかだ。 「物欲まみれ」というステージをきちんと通り過ぎた後で、初めて次のステージに行けるのではないかという藻谷氏の意見はまさにその通りで、今私たちはその岐路に立っているのだろうと思う。 幸福とは人それぞれ違うから、正しいも間違いもないのだけれど、経済的な面より、精神的な面で豊かになりたいなと思う。 そして、色々な選択肢が増えればより幸福に近づけると思う。 また、各地に素敵に生活している人がたくさんいることを知って元気が出た。 どんな世の中でも逞しく生きていく力を身につけたい。
対談本は内容が薄くて好きではないが、この本は学ぶべき要素がつまっていた。経済成長率はフローしかみておらず、ストックは測れない。地域のストックは人材、自然、つながりなどのソーシャルキャピタル。このストックを活かして幸せに暮らし続けれるのであれば成長は必要ない。里山資本主義につながる前提となる価値観に感...続きを読む銘を受けた。
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