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日清戦争に始まり、アジア太平洋戦争の敗北で終わった帝国日本。日中開戦以降、戦いは泥沼化し、国力を総動員するため、政府・軍部・報道界は帝国の全面勝利をうたい、プロパガンダ(政治宣伝)を繰り広げた。宣伝戦はどのように先鋭化したか。なぜ国民は報道に熱狂し、戦争を支持し続けたのか。錦絵、風刺画、絵葉書、戦況写真、軍事映画など、戦争熱を喚起したビジュアル・メディアから、帝国日本のプロパガンダ史を描きだす。
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Posted by ブクログ
明治維新後、対外拡張に乗り出した日本のプロパガンダ事情話。徐々に厳しくなる検閲や統制を受け入れながら発展するメディアと、戦後GHQに占領されてからのGHQによる検閲を解説。沖縄軍政下のアメリカによるプロパガンダ話も面白かった。
著者もあとがきに書いていますが2022年ロシア軍のウクライナ侵攻によってプロパガンダという言葉は現在進行形の意味を持つキーワードになっています。この新書は主に1894年に始まった日清戦争から1945年の太平洋戦争敗戦を経て占領統治が終わるまでの「帝国日本」のプロパガンダ(著者は政治宣伝と戦争報道をま...続きを読むとめてそう呼んでいます。)を手際よくまとめています。日清戦争期を版画報道の流行、日露戦争期を「戦勝神話」の流布、第一次世界大戦期を日独戦争をめぐる報道選択、中国、米国の反日運動では報道と政治の関係、台湾霧社事件と満州事変では新聞社と軍の接近、日中戦争期は国家プロパガンダの絶頂期、アジア太平洋戦争期をビジュアル報道の衰退、敗戦直後うぃ占領統治のためのプロパガンダ…章がほぼディケイド毎になっていて戦争は武器の進化だけでなくコミュニケーションのイノベーションを次々生み出していることが多くの図版によって示されていきます。近代国家はナショナリズムをエネルギーに成立していくのだ、と考えるとプロパガンダの主役は、そう思わせたい国家だけでなく、そう思いたい国民、そしてその情報で利益を上げたいメディアの三位一体の行為である、と思いました。特に1931年10月1日の社説からの朝日新聞が行った軍縮キャンペーンから関東軍の意に沿う方針への大転換が朝日不買運動から始まったことには強いインパクトを感じました。昨年読んだ『言論統制というビジネス: 新聞社史から消された「戦争」』と相まってジャーナリズム、宣伝、プロパガンダ、広告、広報などメディアを巡る言葉が頭の中でグルグルしています。そういえば今週は新聞週間。新聞の凋落は戦争との関係の清算が終わっていないところから始まるのか?みたいな気にもなってしまいました。
主要な内容は日清戦争である。第二次世界大戦の中では1/4しか書かれずしかも歴史的事実が多く、プロパガンダはほとんど言及されていない。一方、明治の日清戦争が最も詳細に書かれている。しかし、プロパガンダよりも歴史的事実の説明の方が多い。
日清戦争期 錦絵がリバイバルブーム(記録メディアとして写真が出始める)旧メディアの錦絵vs新メディアの新聞 日露戦争期 写真が広まり始める 絵葉書も流行る 活動写真も出始める 日独戦争期 写真がプロパガンダに使われ始める 日中戦争期 博覧会、写真、映画、ポスター、紙芝居などの新旧のプロパガン...続きを読むダ・メディア 上のはざっくりとしたまとめ。それぞれのメディアが流行った時代は重なってたりするからあくまで目安としてのメモ。 白瀬矗はおもしろ知識として知ってたけど、そうか大和雪原は日本領だとしたがるよなそりゃ。 「敗退」が戦略的撤退と報道されるような世界。曹操側が赤壁の戦いで船に火をつけられて敗退したのも、自分で火をつけたんだ、って言い張ったみたいなものかな。いずれにせよ真相がどっちかはわからない。 1938年公開の『五人の斥候兵』。文部省、内務省、陸海軍省、警保局、教育総監部、日本文化協会などから表彰状をもらっている。もちろんプロパガンダとしての貢献からだろうけど。ヴェネツィア国際映画祭でもイタリア民衆文化大臣賞を貰ってるみたいで、この前年には日独伊三国同盟が結ばれているからそれで気を遣ったんじゃないか、っていう著者の指摘も面白い。 いまや誰もがスマホを持っている時代で、SNSにつながるのも当たり前になった。ラジオや新聞の全盛期よりも、報道の速報性は高まっているし、双方向的なメディアであることから国民同士の同時性も高い。これまでよりも「戦争熱」が一層高まりやすい状況にあることは少し考えればわかる。 情報は切り取り方によってさまざまな見方をさせることができる、と言葉ではわかっていても、実際に距離を置いた見方を取り続けていてもなかなか解決にはつながらない。だからこそ身を乗り出して新しい情報に食いついてしまうんだろうけど。 もっというと、この本だってプロパガンダになり得る。ほかのあらゆる本もそう。どんな情報メディアを信用するか、なんていうのも最早あてにならないのかもしれない。 ビジュアルがそこそこ収録されてて面白い。同じく中公新書の『宗教図像学入門』と同じ感覚で読める。 とはいえ、もっと図録があってもいい。本文では説明されてるのにその写真やイラストがないといまいちピンとこない。新書っていうメディアの限界なのかもしれないけど。
済南事件と日貨排斥を巡る日本国内のマスメディアの動きが、当時の写真技術の進歩と合わさり、プロパガンダとして大きな一歩を踏み込んだ。
日清戦争からアジア太平洋戦争敗戦まで、当時の日本で飛び交った政治宣伝を研究している一冊です。 今の尚残る日本人同士の同調圧力ですが、これをプロパガンダを用いて方向性を共有した場合の力は凄まじいものだと感じました。 察することを美徳とする民族であるが故に精神的に一丸となることも可能であり、それにより島...続きを読む国でも大国と戦えるのですね。 しかしいつの世でも同じように宣伝は針小棒大や竜頭蛇尾であったり、更には虚偽であったりするものです。 嘘も結果として真実となることはありますが、行き着く先には制御不能の国が拵えられるのです。 言葉や情報には力が宿るもの、集団でも個人でも気を付けて使いたいものですね。
<目次> 序章 戦争と宣伝 第1章 日清戦争期~版画報道の流行(1890年代) 第2章 日露戦争期~「戦勝親和」の流布(1900年代) 第3章 第一次世界大戦期~日独戦争をめぐる報道選択(1910年代) 第4章 中国、米国の反日運動~報道と政治の関係(1920年代) 第5章 台湾霧社事...続きを読む件と満州事変~新聞社と軍の接近(1930年代前期) 第6章 日中戦争期~国家プロパガンダの絶頂期(1930年代後期) 第7章 アジア太平洋戦争期~ビジュアル報道の衰退(1940年代前期) 終章 敗戦直後~占領統治のためのプロパガンダ(1940年代後期) <内容> 新書っぽいまとまり方で、主に新聞社の戦争報道にスポットを当てて、戦争をどのように報道したのか?報道らしさよりも軍や政府との関係、利益という側面から、世論(大衆)に媚びへつらっていた側面を描いている。もうちょっと図版を増やしてほしかった。
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帝国日本のプロパガンダ 「戦争熱」を煽った宣伝と報道
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